小田原線の新百合ヶ丘から分岐し、多摩ニュータウンに向かっている小田急の多摩線。
路線の途中からは多摩ニュータウンの中を走りますが、半分ほどは神奈川県の川崎市内を通っています。

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多摩線には、起点の新百合ヶ丘を除くと川崎市内に四つの駅があり、栗平が最も利用者が多い状況となっています。
周辺の住所も栗平となっていますが、駅名の由来はどういったものなのでしょうか。

優等列車が停車する栗平駅

川崎市内にある多摩線の駅の中で、栗平は唯一優等列車が停まる駅となっています。
きっかけは2002年に登場した多摩急行で、千代田線との直通運転が行われるようになり、地下鉄の車両が日常的に見られるようになりました。
2003年には急行の停車駅にも格上げされ、現在は快速急行や通勤急行も停車しています。

元々の栗平は、五月台や黒川と同じ静かな駅でしたが、周辺の宅地化が進んだことで利用者が増加し、現在はやや引き離している状況です。
将来的には待避線を設けることが可能な用地を確保していたものの、エレベーターの設置等が行われたことで、拡張の可能性はなくなっています。

地名から生まれた栗平の駅名

多摩線の開業と同時に設置された栗平ですが、駅名の由来はどのようなものなのでしょうか。
所在地も栗平であることから、地名がそのまま駅名になったように感じられますが、そこまで簡単ではありません。

栗平という地名は、1976年に住居表示が実施されたことで誕生しました。
この時点で時系列がおかしいことに気付かされますが、多摩線の開業は1974年のことであり、駅名が地名に採用されたことを示しています。

多摩線の建設が進められていた当時、駅は都筑郡の栗木村と片平村に跨って設置することが決まりました。
各地で見られるパターンではありますが、双方の村を合わせて駅名を栗平としたものです。
しかし、駅周辺の地名が早々に栗平となったことで、駅名の由来は分かりにくくなっています。

現在も住居表示に栗木と片平は残っており、南口側の駅から少し離れた位置となります。
片平は五月台付近を抜けて柿生まで続いており、古くは柿生の生活圏内だったことが見えてきます。

おわりに

駅名が後に地名となり、その由来が隠れてしまった多摩線の栗平駅。
多摩線の開業が周辺地域を一変させ、二つの村を住宅地へと発展させることになりました。