新百合ヶ丘から唐木田までを結び、多摩ニュータウンから東京の都心部への輸送を担う小田急の多摩線。
全長は10.6kmと長くはないものの、JR東日本の上溝駅までの延伸が計画されており、実現する場合には相模原までの先行開業が有力視されています。

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相模原までの延伸が少しずつ現実味を帯びてきた多摩線ですが、元々は城山までの路線が計画されていました。
現在の延伸計画を簡単におさらいしつつ、過去の計画について振り返ってみたいと思います。

計画される相模原までの延伸開業

1990年に唐木田まで路線が延びて以降、多摩線は延伸されることなく今日に至ります。
路線の長さは10.6kmしかなく、やや中途半端な状態といえますが、多摩ニュータウンの計画人口が引き下げられたことや、複々線化前の小田原線は輸送力が限界に達しており、延伸どころではありませんでした。

そんな多摩線ですが、将来的な延伸を考慮していなかったわけではなく、喜多見検車区唐木田出張所内には、本線の扱いとなっている線路があります。

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写真の右端にある2本の線路が本線の扱いで、延伸時には手前側にトンネルを掘る想定のようです。
JR東日本の相模原と上溝を経由し、小田急の本厚木まで繋がる構想となっていますが、具体化しているのは上溝までの延伸で、現実的に本厚木まで延ばすことは難しいでしょう。

多摩線の延伸が現実味を帯びてきた背景には、相模原駅に隣接する米軍の相模総合補給廠において、一部の敷地が返還されたことがあげられます。
鉄道や道路用の敷地としても返還されており、相模原駅前の開発も含めて相模原市は前向きな姿勢です。
小田急はインフラ整備に対して慎重な立場であるため、上下分離方式を採用して、運営のみを担当する方向で検討されています。

採算性の観点では、上溝までの延伸は厳しい試算が出ているようで、相模原までの先行開業が有力視されつつあります。
まだ延伸が確実になったわけではありませんが、どうなっていくのでしょうか。

延伸が進まない多摩線の歴史

元々は喜多見からの分岐が計画されていた多摩線は、最終的に起点を新百合ヶ丘へと変更し、1974年6月1日に開業しました。
当初は小田急永山までの開業で、翌年に小田急多摩センターまで延伸しますが、そこで計画はストップしてしまいます。

小田急多摩センターから先は、津久井郡城山町(現在の相模原市城山町)までの路線免許を所持していましたが、小田原線の輸送力が限界に達する中で、京王と並行する路線を建設するメリットはないに等しく、1987年に小田急は路線免許を失効させました。
こうして城山までの延伸計画は白紙となりましたが、京王と競合しない唐木田までの延伸が1990年に実現し、その後は相模原方面への延伸が計画されるようになります。

わざわざ喜多見検車区唐木田出張所内に本線を設けつつも、長らく延伸の気配はない状態が続きました。
複々線化でそれどころではなかったのでしょうし、相模原駅前の米軍基地問題もあり、進めようがなかったともいえます。
以前よりも実現の可能性は上がってきたといえそうですが、人口減少社会となっている中、多摩線はどうなっていくのでしょうか。

おわりに

多摩ニュータウンの計画変更に振り回され、短い路線として定着してしまった多摩線。
相模原まで到達する光景を見てみたい気はしますが、簡単ではないというのが実際のところなのでしょうね。