小田急と京王の2路線が都心部に繋がりながらも、緑が豊富でゆとりがあるまちづくりが行われてきた多摩ニュータウン。
開発に合わせて鉄道も整備され、小田急と京王の2路線が乗り入れることとなりました。
多摩ニュータウンに乗り入れる路線の建設は、西武も有力候補として残っていましたが、なぜ小田急と京王になったのでしょうか。
まとまった土地があり、都心部からも近い、そのような条件を満たすエリアとして南多摩地域が選ばれ、多摩ニュータウンとして整備されることとなります。
新たに大規模な都市をつくるにあたっては、同時に交通機関を整備する必要があり、道路だけでは輸送力が不足することから、都心部と繋がる鉄道の乗り入れが検討され、小田急、京王、西武の3社が有力候補として残りました。
小田急にとっては、大東急で一緒だった時期がある京王と、箱根でシェアを競い合った西武が相手になったことは、なかなか興味深いところでもあります。
3社の中で、唯一路線が実現しなかったのは西武となりますが、多摩川線を延伸して多摩センターに乗り入れる構想でした。
ルートは白糸台付近から分岐する計画だったようで、実現していれば最も北側を走る路線だったということになります。
競合する区間が多くなることを考えれば、隣接している両社を選ばない選択肢も考えられるでしょう。
最終的に選ばれなかった多摩川線は、他の西武の路線とは繋がっておらず、孤立した路線となっていることが特徴です。
路線自体も短く、中央線の武蔵境を起点とし、是政までの8kmを結んでいます。
小田急や京王と異なるのは、西武単独で新宿に到達できないことで、都心部に直結する場合には他路線の力を借りる必要がありました。
その相手先として候補になったのが、武蔵境で接続する中央線でしたが、既に輸送力が限界に達しつつある状況だったため、多摩ニュータウンの輸送需要を引き受けることは不可能でした。
ルートも小田急や京王に比べて遠回りをしており、仮に自社の新宿線に繋いだとしても、さらに遠回りになる位置関係だったことになります。
このような経緯があり、西武の路線延長は断念されますが、多摩ニュータウンの計画人口は30万人を超える規模であり、将来的には複々線レベルの輸送力が必要となる見込みでした。
そこで、小田急と京王の2社が乗り入れることに決まり、実際に建設が進められることとなりました。
3路線が乗り入れるようなことになればどうなっていたのか、実現しなかった姿を想像してみるのも面白そうですね。
開発に合わせて鉄道も整備され、小田急と京王の2路線が乗り入れることとなりました。
多摩ニュータウンに乗り入れる路線の建設は、西武も有力候補として残っていましたが、なぜ小田急と京王になったのでしょうか。
有力候補となった3社の路線
大都市への人口流入が活発になり、1960年代にニュータウンの構想が具体化しつつありました。まとまった土地があり、都心部からも近い、そのような条件を満たすエリアとして南多摩地域が選ばれ、多摩ニュータウンとして整備されることとなります。
新たに大規模な都市をつくるにあたっては、同時に交通機関を整備する必要があり、道路だけでは輸送力が不足することから、都心部と繋がる鉄道の乗り入れが検討され、小田急、京王、西武の3社が有力候補として残りました。
小田急にとっては、大東急で一緒だった時期がある京王と、箱根でシェアを競い合った西武が相手になったことは、なかなか興味深いところでもあります。
3社の中で、唯一路線が実現しなかったのは西武となりますが、多摩川線を延伸して多摩センターに乗り入れる構想でした。
ルートは白糸台付近から分岐する計画だったようで、実現していれば最も北側を走る路線だったということになります。
小田急と京王が選ばれた理由
最終的に小田急と京王の2路線にまとまった鉄道網ですが、なぜこの2社が選ばれたのでしょうか。競合する区間が多くなることを考えれば、隣接している両社を選ばない選択肢も考えられるでしょう。
最終的に選ばれなかった多摩川線は、他の西武の路線とは繋がっておらず、孤立した路線となっていることが特徴です。
路線自体も短く、中央線の武蔵境を起点とし、是政までの8kmを結んでいます。
小田急や京王と異なるのは、西武単独で新宿に到達できないことで、都心部に直結する場合には他路線の力を借りる必要がありました。
その相手先として候補になったのが、武蔵境で接続する中央線でしたが、既に輸送力が限界に達しつつある状況だったため、多摩ニュータウンの輸送需要を引き受けることは不可能でした。
ルートも小田急や京王に比べて遠回りをしており、仮に自社の新宿線に繋いだとしても、さらに遠回りになる位置関係だったことになります。
このような経緯があり、西武の路線延長は断念されますが、多摩ニュータウンの計画人口は30万人を超える規模であり、将来的には複々線レベルの輸送力が必要となる見込みでした。
そこで、小田急と京王の2社が乗り入れることに決まり、実際に建設が進められることとなりました。
おわりに
壮大な計画でスタートした多摩ニュータウンでしたが、社会情勢の変化により当初の人口規模には至りませんでした。3路線が乗り入れるようなことになればどうなっていたのか、実現しなかった姿を想像してみるのも面白そうですね。
コメント
コメント一覧 (11)
ワタシダ
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多摩線や相模原線も単線化、電化撤去、もしくは廃線も現実的なな現状。税金の無駄遣いとはまさにこのこと
ワタシダ
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まるで、私鉄同士での複々線のような感じで、この2駅は結ばれている。
しかも、上り方面は、共に新宿行きになったりもする訳で、例えば、日替わりで使い分けとかもできたりするので、興味津々といった感じ。
都心に限りなく近い所で、こうした私鉄同士が競合しあうなんて。。
ワタシダ
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当時国鉄中央線の混雑は、最悪時間帯・区間が定員の300パーセントに迫るほどの勢いで、とても武蔵境から西武の新宿方向の乗客を受け入れるキャパはありませんでしたね。それで国鉄が難色を示し、結局実現出来ませんでした。
白糸台分岐の計画は今回初めて知りました。当初は是政からそのまま延長する計画案だったと思います。
ワタシダ
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ワタシダ
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京王がもう少し北側を小田急が南側を通っていれば利用客もうまく分散されたような気もします。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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