1987年に最初の編成が登場し、最終的に196両が製造された小田急の1000形。
リニューアルを行わずに廃車となった編成があり、現在は残った98両が活躍を続けています。
1000形の歴史は、4両の1051Fが登場した段階から始まりましたが、増備の過程で様々なバリエーションが生まれたことで、各編成が登場した順番は分かりにくくなりました。
竣功日による調査となりますが、1000形の各編成がどのような順番で登場したのか、おさらいしてみたいと思います。
近郊区間の各駅停車を8両化するため、4両の編成が最初に登場しましたが、千代田線への乗り入れを想定した編成や、ラッシュ時の使用を意識したワイドドア車等が加わり、バリエーション豊かな編成が揃いました。
組み替え等が行われる前の段階において、両数ごとの編成数をまとめると、以下のとおりとなります。
【ノーマルドア車】
4両:19編成
6両:6編成
8両:1編成
10両:4編成
【ワイドドア車】
4両:6編成
6両:2編成
小田急の歴史において、ここまで編成のバリエーションが多い形式は珍しく、4両を中心に全線で見られる車両となりました。
結果的には、その特殊性が一部の編成を引退に追い込んだともいえそうですが、試行錯誤の時代だったということなのでしょう。
編成に両数を添えつつ、竣功日順に並べることで、その順番を振り返ってみたいと思います。
1000形の各編成を竣功日順に並べると、以下のとおりとなります。
1051F(4両):1987年12月23日
1052F(4両):1987年12月23日
1053F(4両):1988年1月25日
1054F(4両):1988年1月28日
1055F(4両):1988年2月9日
1056F(4両):1988年2月12日
1057F(4両):1988年2月23日
1058F(4両):1988年2月26日
1059F(4両):1988年9月28日
1060F(4両):1988年10月3日
1061F(4両):1988年11月10日
1251F(6両):1988年12月10日
1252F(6両):1989年1月14日
1253F(6両):1989年2月27日
1062F(4両):1989年11月1日
1063F(4両):1989年11月7日
1254F(6両):1989年12月4日
1064F(4両):1989年12月15日
1255F(6両):1990年1月18日
1065F(4両):1990年2月1日
1066F(4両):1990年2月19日
1256F(6両):1990年3月2日
1067F(4両):1990年10月18日
1068F(4両):1990年10月23日
1069F(4両):1990年12月5日
1552F(4両):1991年3月4日
1752F(6両):1991年3月7日
1551F(4両):1991年3月13日
1751F(6両):1991年3月21日
1091F(10両):1992年1月29日
1553F(4両):1992年2月9日
1554F(4両):1992年2月12日
1555F(4両):1992年2月23日
1556F(4両):1992年2月26日
1092F(10両):1992年11月24日
1093F(10両):1993年1月8日
1081F(8両):1993年2月8日
1094F(10両):1993年3月3日
結果はこのようになっており、最初は4両ばかりが連続して登場するものの、千代田線に乗り入れるための編成を増備する頃から、6両が混ざるようになります。
やがてワイドドア車の増備へと移行していきますが、その間で10両が1編成だけ登場していたり、10両の間で8両が登場していたりと、意外に入り乱れていたことが分かりました。
基本的には、両数ごとの編成番号にはさからわずに竣功していますが、ワイドドア車については例外があり、初期の編成は順番が逆になっています。
全体的に増備が途切れていないことも印象的で、それだけこの時期は車両を増やすことに迫られていたということなのでしょうね。
現在は4両と10両だけになりましたが、これからも元気に活躍していくれることを願うばかりです。
リニューアルを行わずに廃車となった編成があり、現在は残った98両が活躍を続けています。
1000形の歴史は、4両の1051Fが登場した段階から始まりましたが、増備の過程で様々なバリエーションが生まれたことで、各編成が登場した順番は分かりにくくなりました。
竣功日による調査となりますが、1000形の各編成がどのような順番で登場したのか、おさらいしてみたいと思います。
全196両が登場した小田急1000形
塗装を省略した銀色に輝くステンレス車体に、ロイヤルブルーの帯を従来車と同様に巻いた1000形は、1987年に最初の編成が竣功し、1988年3月22日に営業運転を開始しました。近郊区間の各駅停車を8両化するため、4両の編成が最初に登場しましたが、千代田線への乗り入れを想定した編成や、ラッシュ時の使用を意識したワイドドア車等が加わり、バリエーション豊かな編成が揃いました。
組み替え等が行われる前の段階において、両数ごとの編成数をまとめると、以下のとおりとなります。
【ノーマルドア車】
4両:19編成
6両:6編成
8両:1編成
10両:4編成
【ワイドドア車】
4両:6編成
6両:2編成
小田急の歴史において、ここまで編成のバリエーションが多い形式は珍しく、4両を中心に全線で見られる車両となりました。
結果的には、その特殊性が一部の編成を引退に追い込んだともいえそうですが、試行錯誤の時代だったということなのでしょう。
1000形の各編成が登場した順番
様々なバリエーションが生まれた1000形ですが、どのような順番で登場したのでしょうか。編成に両数を添えつつ、竣功日順に並べることで、その順番を振り返ってみたいと思います。
1000形の各編成を竣功日順に並べると、以下のとおりとなります。
1051F(4両):1987年12月23日
1052F(4両):1987年12月23日
1053F(4両):1988年1月25日
1054F(4両):1988年1月28日
1055F(4両):1988年2月9日
1056F(4両):1988年2月12日
1057F(4両):1988年2月23日
1058F(4両):1988年2月26日
1059F(4両):1988年9月28日
1060F(4両):1988年10月3日
1061F(4両):1988年11月10日
1251F(6両):1988年12月10日
1252F(6両):1989年1月14日
1253F(6両):1989年2月27日
1062F(4両):1989年11月1日
1063F(4両):1989年11月7日
1254F(6両):1989年12月4日
1064F(4両):1989年12月15日
1255F(6両):1990年1月18日
1065F(4両):1990年2月1日
1066F(4両):1990年2月19日
1256F(6両):1990年3月2日
1067F(4両):1990年10月18日
1068F(4両):1990年10月23日
1069F(4両):1990年12月5日
1552F(4両):1991年3月4日
1752F(6両):1991年3月7日
1551F(4両):1991年3月13日
1751F(6両):1991年3月21日
1091F(10両):1992年1月29日
1553F(4両):1992年2月9日
1554F(4両):1992年2月12日
1555F(4両):1992年2月23日
1556F(4両):1992年2月26日
1092F(10両):1992年11月24日
1093F(10両):1993年1月8日
1081F(8両):1993年2月8日
1094F(10両):1993年3月3日
結果はこのようになっており、最初は4両ばかりが連続して登場するものの、千代田線に乗り入れるための編成を増備する頃から、6両が混ざるようになります。
やがてワイドドア車の増備へと移行していきますが、その間で10両が1編成だけ登場していたり、10両の間で8両が登場していたりと、意外に入り乱れていたことが分かりました。
基本的には、両数ごとの編成番号にはさからわずに竣功していますが、ワイドドア車については例外があり、初期の編成は順番が逆になっています。
全体的に増備が途切れていないことも印象的で、それだけこの時期は車両を増やすことに迫られていたということなのでしょうね。
おわりに
様々なバリエーションが生まれながらも、リニューアルと廃車によりシンプルな構成に整理された1000形。現在は4両と10両だけになりましたが、これからも元気に活躍していくれることを願うばかりです。
コメント
コメント一覧 (3)
あと1252Fには「昭和64年」(実際には1月7日まで)のメーカー銘板がありましたね。今は1096Fの小田原方6両として更新されていますが新造時の銘板はなくなりました。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
近隣の京王や東急で見ると、前者では7000系の増備過程で中間車両を増備して長編成化しており、後者でもやはり8500系の長編成化による中間車両の増備で編成内における経年のばらつきが生じとります(それらに比べると小田急はこうした長編成化用の増備車が少なく、編成内の経年を統一しようという意図があると言えますね)。
ワタシダ
がしました