百合丘団地の建設に合わせ、1960年に開業した小田急の百合ヶ丘駅。
周辺が丘陵地であることが特徴の一つで、平坦な場所がほとんどありません。

そんな百合ヶ丘ですが、開業から20年ほどが経過した頃に、早くも駅の改良工事を行っています。
改良工事によって現在の姿となりましたが、なぜ早期に行われたのでしょうか。

改良工事が行われる前の百合ヶ丘駅

掘割部に設けられた百合ヶ丘は、小田急の中では戦後生まれの比較的新しい駅です。
かつては読売ランド前から柿生まで駅が存在しませんでしたが、丘陵地帯の開発に合わせて新駅の設置へと至りました。

駅は百合丘団地の入居開始に合わせて開業し、周辺には住宅地も形成されていきました。
当時としては近代的な団地だったようで、映画の舞台ともなるほどでした。

開業当時の駅舎は、現在と異なり南側のみにありました。
駅舎からそのまま階段を下りられるのは昔からですが、異なるのは跨線橋が使われていたという点で、階段自体も各ホームに一つだけでした。

まだ隣には新百合ヶ丘がないという時代、かなり広い範囲が百合ヶ丘の生活圏となっていました。
小田急自体の利用者は爆発的な増加が続き、車両の編成が長くなるのに合わせて、百合ヶ丘のホームは最終的に10両分まで延長されます。
停車する10両の列車は準急だけでしたが、長いホームに一つの階段と狭い跨線橋がある状態となり、開業当時とは状況が大きく変わりつつありました。

早期に改良工事が行われた理由

戦後に生まれた百合ヶ丘でしたが、開業当時とは様々な状況が変わりつつありました。
南側のみに駅舎がある関係で、北側からは高石橋を渡って改札口に行く必要があり、やや遠回りが必要でしたが、この状態が問題となっていくのです。

現在の高石橋を見れば分かるとおり、歩道がない比較的狭いものとなっており、ここを歩くというのは想像しにくいといえるでしょう。
それもそのはずで、駅が開業した当時は自家用車がそこまで普及しておらず、橋を通る車は後年ほど多くありませんでした。
しかし、自家用車の普及率が上がることで、高石橋は人と車で混雑するようになり、歩行者の安全性を確保するという点で、問題がないとはいえない状態となってしまったのです。

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そのような状況を解消すべく、百合ヶ丘の橋上駅舎化が行われることとなり、南北を行き来することができる自由通路が設けられました。
この自由通路は、高石橋の歩道としての役割を兼ねているともいえ、歩車分離が図られたことで、安全性の向上にも寄与しています。

おわりに

開業から20年ほどで改良工事を行い、大きく姿を変えることになった百合ヶ丘駅。
自家用車がここまで急速に普及するとは予想できず、早々に設備の限界を迎えてしまったということなのでしょうね。