1995年に営業運転を開始した小田急2000形。
小田急2000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
当時の小田急は、中間に先頭車が入らない固定編成を増やすことで、少しでも収容力をアップしようとしており、2000形もそれを狙いの一つとしていました。
2次車以降の編成とは異なる部分が比較的多く、外見上では通過表示灯の有無、車体下部の処理に違いが見られます。
車内には路線図方式の案内装置が設けられていましたが、後に撤去されてしまいました。
2051Fと2052Fの2編成が登場して以降、3年間は増備が全くなかったため、形式自体が珍しいという状態が長く続きました。
8両固定編成という性質上、優等列車での活躍は多くありませんが、準急や区間準急で使用された時期もあります。
近年は希少運用への充当を除き、小田原線の各駅停車を中心に活躍しています。
※左側が新宿方
デハ2002:1次車
デハ2102:1次車
サハ2152:1次車
サハ2252:1次車
デハ2302:1次車
デハ2402:1次車
クハ2452:1次車
デハ2002:川崎重工業
デハ2102:川崎重工業
サハ2152:川崎重工業
サハ2252:川崎重工業
デハ2302:川崎重工業
デハ2402:川崎重工業
クハ2452:川崎重工業
デハ2002:1995年3月22日
デハ2102:1995年3月22日
サハ2152:1995年3月22日
サハ2252:1995年3月22日
デハ2302:1995年3月22日
デハ2402:1995年3月22日
クハ2452:1995年3月22日
小田急2000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2052Fの概要
1次車として1995年に登場した編成で、2000形としては最初期に登場したグループです。当時の小田急は、中間に先頭車が入らない固定編成を増やすことで、少しでも収容力をアップしようとしており、2000形もそれを狙いの一つとしていました。
2次車以降の編成とは異なる部分が比較的多く、外見上では通過表示灯の有無、車体下部の処理に違いが見られます。
車内には路線図方式の案内装置が設けられていましたが、後に撤去されてしまいました。
2051Fと2052Fの2編成が登場して以降、3年間は増備が全くなかったため、形式自体が珍しいという状態が長く続きました。
8両固定編成という性質上、優等列車での活躍は多くありませんが、準急や区間準急で使用された時期もあります。
近年は希少運用への充当を除き、小田原線の各駅停車を中心に活躍しています。
編成表
クハ2052-デハ2002-デハ2102-サハ2152-サハ2252-デハ2302-デハ2402-クハ2452※左側が新宿方
製造区分
クハ2052:1次車デハ2002:1次車
デハ2102:1次車
サハ2152:1次車
サハ2252:1次車
デハ2302:1次車
デハ2402:1次車
クハ2452:1次車
製造所
クハ2052:川崎重工業デハ2002:川崎重工業
デハ2102:川崎重工業
サハ2152:川崎重工業
サハ2252:川崎重工業
デハ2302:川崎重工業
デハ2402:川崎重工業
クハ2452:川崎重工業
竣功日
クハ2052:1995年3月22日デハ2002:1995年3月22日
デハ2102:1995年3月22日
サハ2152:1995年3月22日
サハ2252:1995年3月22日
デハ2302:1995年3月22日
デハ2402:1995年3月22日
クハ2452:1995年3月22日
コメント
コメント一覧 (1)
この編成川崎重工製ですが、阪神・淡路大震災の時落成した編成です。私も当時大阪市内に住んでおり思い入れのある編成です。
当時JR神戸線は寸断されておりいつ小田急線に来たかも記憶にありませんが、被災しても、大きな被害は無かったと思います。
ワタシダ
がしました