待避線がない駅ながら、東側に3本の留置線が設けられている小田急の開成駅。
夜間を中心に車両が留置され、早朝になると出庫していくのがおなじみの光景となっています。
そんな開成の留置線ですが、駅が開業した当時は存在せず、後から設置されました。
僅かに3本だけの留置線は、いつ何を目的として造られたのでしょうか。
ポイントは小田原方に設置されており、入庫の際は上り線側から下り線を跨ぎ、出庫時はそのまま下り線に出ていきます。
開成は1985年3月14日に開業した比較的新しい駅ですが、当時は留置線が設けられておらず、保線用の車両等が置かれていました。
後から留置線を設置したにもかかわらず、駅の構造を変更していないのはそのためで、階段の位置は開業時から変化していません。
そのような状況に変化があったのは、駅の開業から約15年が経過した2000年のことで、12月2日のダイヤ改正に合わせて留置線の使用を開始しました。
2600形が2004年に引退する際には、この留置線に車両を展示するイベントが行われましたが、まだバラストは綺麗な状態であり、設置から年数があまり経っていないのが分かります。
意外と歴史が浅いように感じる反面、既に設置から20年以上が経過しており、時の流れは早いのだと実感します。
開成の留置線は3本全てが10両の留置に対応しており、小田原寄りに10両をそのまま留置できる場所が増えたことになります。
元々は足柄と小田原で4本の10両を留置できたところに、開成の3本を加えることで、合計7本の10両を留置できるようになりました。
これにより、朝方に海老名検車区から車両を送り込む本数を減らせるため、運用の効率化が図られています。
現在も夜から朝にかけては10両が留置され、営業を終えた車両は留置線で夜を明かし、朝は小田原まで回送してから、折り返しの営業列車に充当されます。
このように開成の留置線は夜間留置を主な用途としていますが、日中にロマンスカーを留置するといった使い方もあり、様々な面で活用されています。
現在も有効活用されており、小田原寄りにおいてなくてはならない設備となっています。
夜間を中心に車両が留置され、早朝になると出庫していくのがおなじみの光景となっています。
そんな開成の留置線ですが、駅が開業した当時は存在せず、後から設置されました。
僅かに3本だけの留置線は、いつ何を目的として造られたのでしょうか。
2000年に使用を開始した開成駅の留置線
小田急の開成駅には、本線に隣接して3本の留置線が設けられています。ポイントは小田原方に設置されており、入庫の際は上り線側から下り線を跨ぎ、出庫時はそのまま下り線に出ていきます。
開成は1985年3月14日に開業した比較的新しい駅ですが、当時は留置線が設けられておらず、保線用の車両等が置かれていました。
後から留置線を設置したにもかかわらず、駅の構造を変更していないのはそのためで、階段の位置は開業時から変化していません。
そのような状況に変化があったのは、駅の開業から約15年が経過した2000年のことで、12月2日のダイヤ改正に合わせて留置線の使用を開始しました。
2600形が2004年に引退する際には、この留置線に車両を展示するイベントが行われましたが、まだバラストは綺麗な状態であり、設置から年数があまり経っていないのが分かります。
意外と歴史が浅いように感じる反面、既に設置から20年以上が経過しており、時の流れは早いのだと実感します。
開成駅に留置線を設置した理由
足柄や小田原にも留置線がある中、開成にも設置した背景には、1998年に始まった全線での10両運転が関係していました。開成の留置線は3本全てが10両の留置に対応しており、小田原寄りに10両をそのまま留置できる場所が増えたことになります。
元々は足柄と小田原で4本の10両を留置できたところに、開成の3本を加えることで、合計7本の10両を留置できるようになりました。
これにより、朝方に海老名検車区から車両を送り込む本数を減らせるため、運用の効率化が図られています。
現在も夜から朝にかけては10両が留置され、営業を終えた車両は留置線で夜を明かし、朝は小田原まで回送してから、折り返しの営業列車に充当されます。
このように開成の留置線は夜間留置を主な用途としていますが、日中にロマンスカーを留置するといった使い方もあり、様々な面で活用されています。
おわりに
駅の開業時には存在せず、10両の運行を拡大するのに合わせて整備された開成の留置線。現在も有効活用されており、小田原寄りにおいてなくてはならない設備となっています。
コメント
コメント一覧 (2)
自分も見に行きました。
確か記念切符(硬券)とドア上にある停車案内図を買った記憶があります。
2004年だと19年も前になるのですね。
時が経つのは早いものです。。
ワタシダ
がしました
横取り装置があったということは、保線車の留置も考慮したような構造にするつもりだったのか、そもそも電車留置線に改築する予定があったのか、その場合新宿方からも出入り出来る構造にする計画だったのか、今となってはよくわかりませんね。
ワタシダ
がしました