果実の柿という文字が駅名に入り、かつては地域の中心的存在だった小田急の柿生駅。
小田原線が開業した際に設置された駅ですが、近隣に他の駅がいくつか設置されたことで、立ち位置は変化してきました。

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駅名の柿生は開業時から使われていますが、由来はどのようなものなのでしょうか。
由来に隠れる歴史とともに、確認してみたいと思います。

今も駅名に残る柿生村

柿生は川崎市麻生区の中心地である新百合ヶ丘の隣に位置し、小田原線が開業するのと同時に設置されました。
同区内にある小田急の駅としては、唯一開業時から存在しており、後に百合ヶ丘と新百合ヶ丘、多摩線の各駅が追加されています。

駅名として採用された柿生ですが、含まれている文字からは、果実の柿が関係しそうなのは分かります。
柿生という駅名自体は、開業当時の所在地である柿生村が由来ですが、なぜこのような村名となっているのでしょうか。

小田急が開業した当時、神奈川県に川崎市麻生区は存在せず、柿生村は都築郡に属していました。
駅周辺だけではなく、柿生村はかなり広範囲に渡っており、王禅寺やはるひ野付近までが含まれます。
1939年に柿生村は川崎市へと編入され、現在は町名さえも残っていませんが、小田急の駅名として受け継がれています。

柿生という村名は、王禅寺という寺院で発見されたといわれる禅寺丸柿が由来で、やはり果実の柿がルーツとなっていました。
聞き慣れない品種であることからも分かるとおり、現代においては希少種となっている柿で、主に地元で販売されています。

村名の由来となった禅寺丸柿

駅名に繋がった禅寺丸柿についても、せっかくなので少し触れておきましょう。
禅寺丸柿は、1214年に王禅寺で発見されたとされ、日本最古の甘柿といわれています。
不完全甘柿とされる品種で、形状は丸く小振りなのが特徴です。

やがて地域一帯で生産が盛んとなり、大正時代にピークを迎えますが、より甘い品種の登場や、都市化の進行によって、禅寺丸柿は市場から姿を消していきました。
小田急が開業したことも、少なからず影響したといえるのかもしれません。

現在も生産量が劇的に増加するといった状況ではありませんが、地域では保存活動も行われており、国の登録記念物にも指定されています。
かきまるくんというキャラクターも生まれており、柿生地域の催し物を中心に活躍中です。

おわりに

日本最古の甘柿をルーツとして、現在も駅名として残っている小田急の柿生。
柿が生まれたと書く駅名ですが、奥深い歴史がその2文字には隠れていました。