小田急の江ノ島線内で最も駅間距離が短く、隣駅のホームが見えている南林間と鶴間。
江ノ島線内は他の駅間が全て1km以上となっている中、小田急全線で見た場合においても、最も短い区間の一つとなっています。
開業時から現在と同じ位置関係だった南林間と鶴間ですが、なぜこんなに短い距離で駅を設けたのでしょうか。
そんな江ノ島線の中で例外といえるのが、南林間から鶴間にかけての区間で、駅間距離は僅かに0.6kmしかありません。
隣の駅は肉眼でもはっきり認識できるほどで、各駅停車はある程度まで加速してから、すぐに減速を始めてしまいます。
以前記事にした際に調査をしましたが、ホームの端と端で距離を測るともっと短く、約445mしかありませんでした。
江ノ島線は1929年4月1日に開業しましたが、南林間と鶴間はその際から設けられており、最初から現在と同じ位置関係だったことになります。
まだ沿線人口もさほど多くなかった時代に、この距離で二つの駅が設けられたことになりますが、その理由はどのようなものだったのでしょうか。
そんな中、生方良雄氏の「小田急の駅 今昔・昭和の面影」という著書の中で、気になる記述を見つけました。
大和寄りにある踏切はかつての矢倉沢往還であり、東側には下鶴間宿があったようで、駅がある位置は交通の要衝だったことになります。
矢倉沢往還について調べていくと、バイパスの整備等によって位置は変化しているものの、その後は国道246号線となっており、鶴間の駅前を通っていた時代がありました。
国道246号線に踏切があったというのは想像しにくいですが、1986年に下鶴間トンネルが開通するまでは鶴間の駅前を通っており、渋滞も発生していたようです。
現在の国道246号線は、800mほど大和寄りに進んだところで、小田急をアンダーパスしています。
鶴間が設けられた理由はなんとなく分かりましたが、これだけでは南林間が近いことの説明がつきません。
しかし、詳しい方は既にお気付きかと思いますが、そもそも南林間は小田急が開発を計画していた林間都市の名残であり、それによって駅の位置が決まったものと思われます。
林間都市内における駅の配置と、鶴間を交通の要衝に設ける必要が、あのような位置関係を生み出したといえそうです。
違和感があるほど短い南林間と鶴間の駅間距離にも、歴史的な経緯があったということなのでしょうね。
江ノ島線内は他の駅間が全て1km以上となっている中、小田急全線で見た場合においても、最も短い区間の一つとなっています。
開業時から現在と同じ位置関係だった南林間と鶴間ですが、なぜこんなに短い距離で駅を設けたのでしょうか。
駅間距離が短い南林間と鶴間
線路がまっすぐに敷かれ、駅間距離も長い江ノ島線は、列車が快調に飛ばして走るのが印象的な路線です。そんな江ノ島線の中で例外といえるのが、南林間から鶴間にかけての区間で、駅間距離は僅かに0.6kmしかありません。
隣の駅は肉眼でもはっきり認識できるほどで、各駅停車はある程度まで加速してから、すぐに減速を始めてしまいます。
以前記事にした際に調査をしましたが、ホームの端と端で距離を測るともっと短く、約445mしかありませんでした。
江ノ島線は1929年4月1日に開業しましたが、南林間と鶴間はその際から設けられており、最初から現在と同じ位置関係だったことになります。
まだ沿線人口もさほど多くなかった時代に、この距離で二つの駅が設けられたことになりますが、その理由はどのようなものだったのでしょうか。
南林間と鶴間が近距離にできた理由
開業時から近接していた南林間と鶴間ですが、調べても駅間距離が短い理由がなかなか見つかりませんでした。そんな中、生方良雄氏の「小田急の駅 今昔・昭和の面影」という著書の中で、気になる記述を見つけました。
大和寄りにある踏切はかつての矢倉沢往還であり、東側には下鶴間宿があったようで、駅がある位置は交通の要衝だったことになります。
矢倉沢往還について調べていくと、バイパスの整備等によって位置は変化しているものの、その後は国道246号線となっており、鶴間の駅前を通っていた時代がありました。
国道246号線に踏切があったというのは想像しにくいですが、1986年に下鶴間トンネルが開通するまでは鶴間の駅前を通っており、渋滞も発生していたようです。
現在の国道246号線は、800mほど大和寄りに進んだところで、小田急をアンダーパスしています。
鶴間が設けられた理由はなんとなく分かりましたが、これだけでは南林間が近いことの説明がつきません。
しかし、詳しい方は既にお気付きかと思いますが、そもそも南林間は小田急が開発を計画していた林間都市の名残であり、それによって駅の位置が決まったものと思われます。
林間都市内における駅の配置と、鶴間を交通の要衝に設ける必要が、あのような位置関係を生み出したといえそうです。
おわりに
駅が近いことには理由があり、狛江と和泉多摩川、登戸と向ヶ丘遊園についても、それぞれの事情がありました。違和感があるほど短い南林間と鶴間の駅間距離にも、歴史的な経緯があったということなのでしょうね。
コメント
コメント一覧 (20)
小田急の創立者の娘さんが聖セシリアを作るというので、その用地の近くに駅を設定したのだというのを親から聞いたことがあります。
これも(聖セシリアの用地決定が先か林間計画での駅設定が先か)真偽のほどは分かりませんが……
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
目と鼻の先に対して、反対の大和は 2km 以上の
距離があります。しかも 鶴間~大和の中間で
東名高速が横切り、東名大和バス停が 交差地点の
西側にあります。僕も以前、当バス停から JRハ
イウェイバスで静岡に向かったことがありますが、
1km 余り歩かなくてはならないんですよね。近く
に 江ノ島線の駅があったらなと、惜しくなります。
また、本文中に「交通の要衝」とありますが、
鶴間駅(特に東口)を発着する 神奈中バスも、
多方面へと延びています。鶴ヶ峰駅方面(以前
は、横浜駅西口行が何本かありました。)、
瀬谷駅方面、桜ヶ丘駅・上和田団地方面、そして
町田市南地域・町田駅方面。つまり鶴間駅って、
横浜市北西部や 町田市(東京多摩地域 南端部)
への 玄関口でもある訳なんですね。
ワタシダ
がしました
南林間駅西側は真っすぐ伸びる中央通りを中心に碁盤目のように整備されていて個人商店や飲食店も多くありました。
南林間と鶴間を結ぶ二条通り商店街は夕方は買い物客で溢れ活気がありましたね。
また一歩裏に入ると閑静な住宅街が形成されていました。もともと周辺は相模野の台地に位置し比較的平坦な土地なので田園都市線沿線のように高齢者が坂道に悩まされるなんてことも少ないですし、最近の豪雨で川が氾濫するとか地滑りなんかの心配も少ない地域です。小田急で新宿まで1時間もかからないですし渋谷や横浜にも出やすいです。なので都心のベットタウンとして早くから発展したのでお店や学校も多くそういった意味ではとても住みやすいエリアだったと言えるのですが唯一のこのエリアの悩みは厚木基地の騒音問題でしたね。住んでみないと分からないことですが横須賀に空母が来た時の夜間飛行訓練の騒音はハンパないです。今は岩国にほとんど移行して減ったようですが。
田園都市線が中央林間に接続し、追い打ちをかけるように日産座間工場の閉鎖ということで徐々に中央林間との立場は逆転してしまいましたが現在でも乗り換え客を除けば南林間の方が乗降客は多いはずです。いろんな意味で街の満足度は南林間や鶴間の方が勝っているような気もします。確かに住人の高齢化もありかつてほどの賑わいはないかもしれませんが。
ちょっと地元ネタということで思い入れもあって今回長々とコメントしてしまいました。すみません。
ワタシダ
がしました
南林間に急行が止まるのは
小田急の社長レベルのエライ人が南林間に住んでいたから、なんてウワサ話がありましたよ。
真偽のほどはわかりませんが…
ワタシダ
がしました
座間市方向の商店街の活気の低下、心配です。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
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鶴巻温泉と東海大学前も、あの地域としてはかなり近いですが、何か経緯があるのでしょうか?
ワタシダ
がしました
ワタシダ
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