複々線化に合わせて地下へと移り、地上で小田急の電車を見ることはできなくなった下北沢。
他の区間が基本的に高架で複々線化される中、下北沢付近だけが地下に潜り、アップダウンを繰り返す線形となりました。

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そんな下北沢付近ですが、元々は地下化ではなく高架化で計画されており、それを変更して現在の姿となっています。
地下化により複々線の完成を成し遂げた、苦労の歴史を振り返りたいと思います。

高架化で計画されていた下北沢付近

平成という時代に本格的な複々線化が進められた小田急ですが、その計画には長い歴史があります。
代々木上原から東北沢までを除いて、複々線化の着工までには長い年月を要し、全ての工事が終わったのは2018年度のことでした。

小田急の複々線化と、それに大きく関係する千代田線の建設は、1964年の都市計画から実現に向けて進められていきます。
当時の都市計画において、下北沢付近の小田急は地上に4本の線路を並べるもので、周辺地域のことを考えれば現実的なものではありませんでした。
地下化前の東北沢には4本の線路を跨ぐ踏切があり、元々の計画を想起させられられます。

小田急は、最終的に下北沢付近も高架での立体化を計画し、京王の井の頭線よりも上を通る高架橋が想定されていました。
JR東日本の秋葉原に近いイメージだと思いますが、仮にそうなっていたら下北沢はどのような風景になったのでしょうか。

代々木上原から東北沢にかけては、先行して複々線化が済んでいましたが、当然下北沢付近の地下化を想定したものではなく、最終的には工事のやり直しも一部で発生しています。
小田急の複々線がアップダウンを繰り返す構造になったのは、このような計画変更が関係していたことになります。

下北沢付近はなぜ地下化されたのか

高架化で計画されていた下北沢付近ですが、なぜ最終的に地下を通すことになったのでしょうか。
梅ヶ丘から急勾配で世田谷代田に繋がっており、そこからも計画変更をうかがい知ることができますが、そこまでしてでも地下にする必要があったことになるといえます。

他の区間の複々線化が完成に近付く中、最も新宿寄りにある下北沢付近については、工事の着工すらできない状態が続いていました。
下北沢付近の複々線化が終わらない限り、効果を最大化することは不可能であり、少しでも早く完成させたかったことは容易に想像できます。

複々線化を進めるため、立体化においては様々な案が検討されたようで、元々の計画である4線を高架上で並べるものや、高架と地下を組み合わせる案等があったようです。
シンプルな線形が得られるのは、他の区間と同じ4線を高架上で並べるものですが、井の頭線の上を通すためにはかなりの高さが必要となるため、日照等の面で様々な課題がありました。
そこで、コストの面等でも大きな差がない地下の二層構造が採用され、他とは異なる複々線区間が誕生することになったのでした。

おわりに

総合的な判断により、高架ではなく地下を走ることになった下北沢付近の小田急。
やむを得ない事情だったとはいえ、利用者の目線ではアップダウンの激しさや、下北沢での乗り換えが不便になったというような影響があり、よいことばかりではありません。

大きな事業を進めるために、誰もが納得できる結果を導くのはいかに大変なことなのか、下北沢の地下化は教えてくれているように思います。
そのような状況において、完成まで事業を進めた関係者の苦労は、並大抵なものではなかったことでしょう。