短期間に多くの両数が増備され、小田急に所属する車両の勢力を一新した3000形と4000形。
過去に登場した車両とは相違する部分が多く、古くからの小田急ファンには戸惑いも与えることとなりました。

現在の最新形式である5000形は、車両としての方向性がやや昔に戻った印象ですが、3000形と4000形はなぜ過去の車両と異なるものとなったのでしょうか。

大量増備が必要だった3000形

稀少形式だった2000形が一気に増えた翌年、2001年に衝撃的な車両が小田急にお目見えしました。
車体はストレートで全体的に直線的なデザイン、前面は非貫通で屋根上には大きなクーラーがあり、それまでとは何もかもが異なる車両でした。

2000形と同様に、通常より幅が広いドアという面に小田急の意地を感じたものの、当時JR東日本等で勢力を拡大していた車両に近付き、素直に受け入れられない自分もいました。
5編成目以降は側面も当時の標準的なスタイルへと変わり、小田急らしさと表現できるものはかなり薄くなったといえます。

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この時期の小田急には、2600形、4000形、9000形といった、老朽化が進んだ古い車両が大量に残っていました。
3000形はこれらの車両をハイスピードで置き換える役割を担い、数年のうちに世代交代が完了しています。
しかし、将来的な複々線化を見据え、車両としての性能は従来車より高く設計されており、走りの面では大きく改善されました。

特徴的な側面は、日車式ブロック工法を採用したことによるものですが、その背景にはコストダウンという目的があるといえます。
一方で、車両性能を大きく向上させていることから、結果的に製造コストは従来車とそこまで変わらないともいわれ、大量に増備するためにコストダウンを行いつつ、同時に性能アップも図るために3000形が生まれたことになります。
車体の狭さは後々課題として顕在化しましたが、当時の時代背景を考えれば、やむを得ない決断だったといえそうです。

4000形を生んだ常磐緩行線との相互直通運転

増備の過程で標準車両の色が濃くなっていった3000形に続き、より一層小田急らしさが薄れて登場したのが4000形でした。
設計自体がJR東日本のE233系をベースとしており、ついにそこまでの決断に至ったかと当時は感じたものです。
実際には小田急独自の設計となっている部分も多く、少々不思議な存在の車両ともいえます。

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他社の車両と設計を共通化することで、より一層のコストダウンを図ったものと思われましたが、後々それだけではなかったのではないかと感じさせるできごとが発生します。
登場時から準備工事はされていましたが、東京メトロの千代田線を介して常磐緩行線に乗り入れるため、車両の改造が始まったのです。
つまり、JR東日本の路線と円滑に直通運転を行うため、ある程度設計を共通化したと考えることも可能で、将来的な予定を見据えてのことだった可能性が高まりました。

後に登場したE233系2000番台は、4000形の兄弟車両のような存在となっており、現在も力を合わせて活躍を続けています。
長きに渡って直接の直通運転を行わなかった小田急とJR東日本でしたが、それを実現するためには4000形が必要だったということなのかもしれません。

おわりに

4000形に続いて登場した5000形では、再び小田急独自の設計が見られるようになり、3000形と4000形の誕生には事情があったのだと、改めて認識させられることとなります。
これからも様々な時代背景が影響するものと思われますが、小田急はどのような車両を生み出していくのでしょうか。