小田急トラベルが開催を決めたツアーにより、小田急と東京メトロの千代田線が相互直通運転を開始してから、45年の節目であることを思い出しました。
既に半世紀近い歴史となっているわけですが、少ない運行本数からスタートし、今日まで拡大を続けています。

完全に乗っかるスタイルの記事となりますが、相互直通運転がどのような歴史を歩んできたのか、改めてまとめてみたいと思います。
当時は東京メトロではなく営団地下鉄で、小田急から乗り換えなしで東京都心部に入れるようになりました。
元々は多摩線とを結ぶ計画の相互直通運転でしたが、開始当初は小田原線の本厚木までの運行で、列車種別は準急とされました。
千代田線の車両は10両編成だったため、当時は各駅停車での運行ができなかったことが背景にあるのでしょう。
こうして始まった相互直通運転でしたが、開始当初は運行本数が少なく、ラッシュ時を中心とした14往復のみとなっていました。
日曜と祝日を除いた平日のみの運行で、車両は小田急が9000形、営団地下鉄は6000系が使用されています。
走行距離を調整する関係で、9000形の一部は日中に千代田線内の折り返し運用に就いており、乗り入れる距離の差がダイヤにも反映されていました。
相互直通運転に変化があったのは1989年のことで、小田急から乗り入れる車両が1000形に交代し、1990年には9000形が乗り入れの運用から外れています。
1991年からは土休日においても乗り入れが行われるようになり、変化が激しい時期が続きました。
相模大野の発着を基本としつつ、運行本数が大幅に増加しており、平日の朝には多摩線にも直通列車が走るようになりました。
この頃には06系も小田急に乗り入れており、車両のバリエーションは少し増えています。

試行錯誤の時代だったのか、相模大野での発着は長く続かず、2002年には新種別として多摩急行が登場します。
小田急と千代田線の乗り入れは多摩線方面という時代の幕開けで、このスタイルは長く続くこととなりました。
2004年には営団地下鉄が東京メトロへと変わり、長く親しまれたSマークが役目を終え、車両にはハートMマークが掲出されるようになります。

多摩急行を中心にしつつも変化の時代は続き、2007年には小田急から乗り入れる車両が4000形への交代を開始、2008年には60000形(MSE)が乗り入れを開始し、ロマンスカーが地下鉄線内を走るようになりました。
2010年に東京メトロが16000系の導入を開始しつつも、ダイヤの面では安定した状態がしばらく続きますが、2016年に相互直通運転はJR東日本を加えたものに拡大することとなり、多摩急行の多くが急行に変更されつつ、乗り入れの本数はさらに増加することとなります。

3社の車両が多摩線を走る状態は長く続かず、複々線が完成した2018年のダイヤ改正において、相互直通運転は小田原線を中心とするものに戻りました。
減便等の変更を行いつつ、現在も維持されている運行スタイルですが、この先も変わらずに続くこととなるのでしょうか。
5年後には50周年の節目を迎えますが、その際にはどのような状態となっているのか、想像しつつ時が経つのを待ってみてもよいかもしれませんね。
既に半世紀近い歴史となっているわけですが、少ない運行本数からスタートし、今日まで拡大を続けています。

完全に乗っかるスタイルの記事となりますが、相互直通運転がどのような歴史を歩んできたのか、改めてまとめてみたいと思います。
長距離運行の準急から始まった相互直通運転
小田急と千代田線の相互直通運転は、1978年3月31日に開始されました。当時は東京メトロではなく営団地下鉄で、小田急から乗り換えなしで東京都心部に入れるようになりました。
元々は多摩線とを結ぶ計画の相互直通運転でしたが、開始当初は小田原線の本厚木までの運行で、列車種別は準急とされました。
千代田線の車両は10両編成だったため、当時は各駅停車での運行ができなかったことが背景にあるのでしょう。
こうして始まった相互直通運転でしたが、開始当初は運行本数が少なく、ラッシュ時を中心とした14往復のみとなっていました。
日曜と祝日を除いた平日のみの運行で、車両は小田急が9000形、営団地下鉄は6000系が使用されています。
走行距離を調整する関係で、9000形の一部は日中に千代田線内の折り返し運用に就いており、乗り入れる距離の差がダイヤにも反映されていました。
相互直通運転に変化があったのは1989年のことで、小田急から乗り入れる車両が1000形に交代し、1990年には9000形が乗り入れの運用から外れています。
1991年からは土休日においても乗り入れが行われるようになり、変化が激しい時期が続きました。
相互直通運転は多様化の時代へ
基本的な運行スタイルを変えずに続いてきた相互直通運転でしたが、2000年に大きな変化が生じます。相模大野の発着を基本としつつ、運行本数が大幅に増加しており、平日の朝には多摩線にも直通列車が走るようになりました。
この頃には06系も小田急に乗り入れており、車両のバリエーションは少し増えています。

試行錯誤の時代だったのか、相模大野での発着は長く続かず、2002年には新種別として多摩急行が登場します。
小田急と千代田線の乗り入れは多摩線方面という時代の幕開けで、このスタイルは長く続くこととなりました。
2004年には営団地下鉄が東京メトロへと変わり、長く親しまれたSマークが役目を終え、車両にはハートMマークが掲出されるようになります。

多摩急行を中心にしつつも変化の時代は続き、2007年には小田急から乗り入れる車両が4000形への交代を開始、2008年には60000形(MSE)が乗り入れを開始し、ロマンスカーが地下鉄線内を走るようになりました。
2010年に東京メトロが16000系の導入を開始しつつも、ダイヤの面では安定した状態がしばらく続きますが、2016年に相互直通運転はJR東日本を加えたものに拡大することとなり、多摩急行の多くが急行に変更されつつ、乗り入れの本数はさらに増加することとなります。

3社の車両が多摩線を走る状態は長く続かず、複々線が完成した2018年のダイヤ改正において、相互直通運転は小田原線を中心とするものに戻りました。
減便等の変更を行いつつ、現在も維持されている運行スタイルですが、この先も変わらずに続くこととなるのでしょうか。
おわりに
車両や運用面を中心に、小田急と千代田線の45年の歩みを振り返ってみました。5年後には50周年の節目を迎えますが、その際にはどのような状態となっているのか、想像しつつ時が経つのを待ってみてもよいかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (9)
(メトロ車、JR車も回送で伊勢原まで行ってました)
本厚木駅の折返線がパンクし、本厚木から伊勢原までの間を回送で折り返していましたが、この区間は小田急でも有数の混雑率であり、中には本厚木で10両編成の列車を4両編成の短い列車に乗り換えされられ、10両編成はそのまま伊勢原迄回送とういうケースもあり、本厚木で積み残し寸前の列車もあるなど、相当な苦情が出ていました。
中には、3社乗り入れにおけ走行キロ調整では回送列車も含まれるので、この伊勢原までの回送を客扱いしても、車両使用料は発生しないと記述した者もいました。
そんな訳で、2018年ダイヤ改正では千代田線直通の伊勢原延長が実現しました。
ワタシダ
が
しました
かわりに代々木上原~喜多見間は小田急線+千代田線ということで複々線化することになった。
ところが千代田線との直通運転開始時は複々線化されてなく、工事も始まってないので、小田急線には千代田線分の列車を走らせる余裕がない。
なので必然的に千代田線への直通列車は本数が少なかった。
という流れは分かるのですが、では日中はどうなの?というと、どうも説明ができない。
需要がないから設定されてなかった、のだろうか?
ワタシダ
が
しました
小田急9000・国鉄103-1000共に3直準備工事されていましたが、実現しませんでした。
ロマンスカー地下鉄直通には驚きました。
回送専用線経由新木場行きなどミステリー列車を超えていました。
取手ー伊勢原の長距離もありました。
日中の多摩線直通復活望みます。
ワタシダ
が
しました
とありますが当時、旧営団車両は代々木上原で地下鉄出てから本厚木までに対し、小田急車両は確か北千住で地下鉄出てから綾瀬までと走行距離差が歴然だったので、小田急車両でありながら、代々木上原~綾瀬間の地下のみしか走らない“丁稚奉公”に出された車両もあったと聞きます。
また、小田急線内での車両故障や事故によるダイヤ乱れの際に、新宿駅にメトロ車両が入線しているのに出くわすとワクワク、ラッキー!と思うのは私だけでしょうか?
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
江ノ島線から千代田線に通勤時間帯に運転させるのも利用者ありきだと思います。
ワタシダ
が
しました
一日中直通するようになるまでがとても長かったという記憶です。
1970年代の小田急は乗客の急増期、特に郊外の開発期で、多摩線が開通した時も、千代田線直通が始まった時も、ダイヤがすでに満杯で新しい系統を多く作れる状況ではなかったですね。
朝ラッシュ時もコアの時間帯は全部新宿行きでラッシュのはじめのほうと終わりのほうに直通があったように記憶しています。
ラッシュだけの直通から始まっていろいろな変遷を遂げましたが、今はPASMOなどICカード主流になって、乗客の動きを把握できるようになり、今の形は根拠があることだと思います。
あとはどこかで大きなダイヤ乱れがあって直通運転中止となる(頻度が低いとは言えない)場合のリスクも考えてのことでしょうね。
小田急の場合はメインは新宿であることを大前提にどういう直通系統をつくるのか、これまでもこれからも悩みながらやっているのだと思います。
車両も小田急とJRは3代目、東京メトロは2代目になりましたね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました