小田急トラベルが開催を決めたツアーにより、小田急と東京メトロの千代田線が相互直通運転を開始してから、45年の節目であることを思い出しました。
既に半世紀近い歴史となっているわけですが、少ない運行本数からスタートし、今日まで拡大を続けています。

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完全に乗っかるスタイルの記事となりますが、相互直通運転がどのような歴史を歩んできたのか、改めてまとめてみたいと思います。

長距離運行の準急から始まった相互直通運転

小田急と千代田線の相互直通運転は、1978年3月31日に開始されました。
当時は東京メトロではなく営団地下鉄で、小田急から乗り換えなしで東京都心部に入れるようになりました。

元々は多摩線とを結ぶ計画の相互直通運転でしたが、開始当初は小田原線の本厚木までの運行で、列車種別は準急とされました。
千代田線の車両は10両編成だったため、当時は各駅停車での運行ができなかったことが背景にあるのでしょう。

こうして始まった相互直通運転でしたが、開始当初は運行本数が少なく、ラッシュ時を中心とした14往復のみとなっていました。
日曜と祝日を除いた平日のみの運行で、車両は小田急が9000形、営団地下鉄は6000系が使用されています。
走行距離を調整する関係で、9000形の一部は日中に千代田線内の折り返し運用に就いており、乗り入れる距離の差がダイヤにも反映されていました。

相互直通運転に変化があったのは1989年のことで、小田急から乗り入れる車両が1000形に交代し、1990年には9000形が乗り入れの運用から外れています。
1991年からは土休日においても乗り入れが行われるようになり、変化が激しい時期が続きました。

相互直通運転は多様化の時代へ

基本的な運行スタイルを変えずに続いてきた相互直通運転でしたが、2000年に大きな変化が生じます。
相模大野の発着を基本としつつ、運行本数が大幅に増加しており、平日の朝には多摩線にも直通列車が走るようになりました。
この頃には06系も小田急に乗り入れており、車両のバリエーションは少し増えています。

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試行錯誤の時代だったのか、相模大野での発着は長く続かず、2002年には新種別として多摩急行が登場します。
小田急と千代田線の乗り入れは多摩線方面という時代の幕開けで、このスタイルは長く続くこととなりました。
2004年には営団地下鉄が東京メトロへと変わり、長く親しまれたSマークが役目を終え、車両にはハートMマークが掲出されるようになります。

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多摩急行を中心にしつつも変化の時代は続き、2007年には小田急から乗り入れる車両が4000形への交代を開始、2008年には60000形(MSE)が乗り入れを開始し、ロマンスカーが地下鉄線内を走るようになりました。
2010年に東京メトロが16000系の導入を開始しつつも、ダイヤの面では安定した状態がしばらく続きますが、2016年に相互直通運転はJR東日本を加えたものに拡大することとなり、多摩急行の多くが急行に変更されつつ、乗り入れの本数はさらに増加することとなります。

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3社の車両が多摩線を走る状態は長く続かず、複々線が完成した2018年のダイヤ改正において、相互直通運転は小田原線を中心とするものに戻りました。
減便等の変更を行いつつ、現在も維持されている運行スタイルですが、この先も変わらずに続くこととなるのでしょうか。

おわりに

車両や運用面を中心に、小田急と千代田線の45年の歩みを振り返ってみました。
5年後には50周年の節目を迎えますが、その際にはどのような状態となっているのか、想像しつつ時が経つのを待ってみてもよいかもしれませんね。