小田急江ノ島線の中で2番目に利用者が多く、相鉄線との乗り換えも可能な大和駅。
メトロえのしま号を除いた、江ノ島線内を走るほとんどの列車が停車し、待避線を用いた緩急接続も行われています。

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そんな小田急の大和ですが、開業当初は西大和という駅名を名乗っており、後に改称された経緯があります。
駅名の改称は戦時中に行われていますが、なぜ西大和とされたのでしょうか。

開業時から高架駅だった大和

神奈川県大和市の中心である大和駅は、1929年4月1日に開業しました。
江ノ島線の開業が同日であることから、かなり歴史が長い駅ということになります。

開業当初の駅名は西大和とされ、待避線のない相対式のホームを備えましたが、古くから優等列車の停車駅とされていました。
盛土によるものではありましたが、開業当時から大和は高架駅となっており、現在も江ノ島線内では唯一の存在となっています。

大和が高架駅となったのは、先に神中鉄道の路線が開業していたためで、地上に敷設された線路と立体交差をするために、小田急が高架駅とされたものです。
神中鉄道は現在の相鉄本線であり、昔からの長い付き合いということになります。

西大和という駅名になった理由

先に開業していた相鉄ですが、こちらは開業当初から大和駅を名乗っていました。
少しばかり遅れて開業した小田急が西大和駅とされ、駅名が異なる状態となったのです。

開業時期が異なる両路線ですが、当時はお互いの駅が離れており、相鉄の駅は200mほど瀬谷寄りにありました。
つまり、西側の少し離れた位置に駅が設置されたことから、小田急は西大和という駅名にされたことになります。

気になる点としては、当時の車両が現在とは比較にならないぐらい短かったとはいえ、僅か200mほどの距離で、異なる駅名とされたことです。
その一方で、開業時に既存の路線と交差することになった小田急の駅は、全てが異なる駅名とされており、豪徳寺、登戸、町田、厚木、新松田、それに加えて大和が該当します。
後に駅名が統一されたケースもありますが、開業段階で他社線との接続があった駅では、新宿、小田原、藤沢のみが統一の駅名で、大和は特殊な事例ではなかったことになります。

相鉄の駅が小田急の位置に合わせられたことで、駅名は大和に統一され、その後は大規模な改良工事を経て現在の状態が形成されました。
町田の駅名が統一された経緯と似ていますが、大和の場合は比較的早期の改称だったといえそうです。

おわりに

最終的には位置と駅名が合わせられ、現在は一体化した構造の駅となっている大和。
2018年に中間改札が設置されるまでは、今以上に一体化したイメージとなっていましたが、現在も一つの駅といった印象は強いほうかもしれません。