小田急江ノ島線の中で2番目に利用者が多く、相鉄線との乗り換えも可能な大和駅。
メトロえのしま号を除いた、江ノ島線内を走るほとんどの列車が停車し、待避線を用いた緩急接続も行われています。
そんな小田急の大和ですが、開業当初は西大和という駅名を名乗っており、後に改称された経緯があります。
駅名の改称は戦時中に行われていますが、なぜ西大和とされたのでしょうか。
江ノ島線の開業が同日であることから、かなり歴史が長い駅ということになります。
開業当初の駅名は西大和とされ、待避線のない相対式のホームを備えましたが、古くから優等列車の停車駅とされていました。
盛土によるものではありましたが、開業当時から大和は高架駅となっており、現在も江ノ島線内では唯一の存在となっています。
大和が高架駅となったのは、先に神中鉄道の路線が開業していたためで、地上に敷設された線路と立体交差をするために、小田急が高架駅とされたものです。
神中鉄道は現在の相鉄本線であり、昔からの長い付き合いということになります。
少しばかり遅れて開業した小田急が西大和駅とされ、駅名が異なる状態となったのです。
開業時期が異なる両路線ですが、当時はお互いの駅が離れており、相鉄の駅は200mほど瀬谷寄りにありました。
つまり、西側の少し離れた位置に駅が設置されたことから、小田急は西大和という駅名にされたことになります。
気になる点としては、当時の車両が現在とは比較にならないぐらい短かったとはいえ、僅か200mほどの距離で、異なる駅名とされたことです。
その一方で、開業時に既存の路線と交差することになった小田急の駅は、全てが異なる駅名とされており、豪徳寺、登戸、町田、厚木、新松田、それに加えて大和が該当します。
後に駅名が統一されたケースもありますが、開業段階で他社線との接続があった駅では、新宿、小田原、藤沢のみが統一の駅名で、大和は特殊な事例ではなかったことになります。
相鉄の駅が小田急の位置に合わせられたことで、駅名は大和に統一され、その後は大規模な改良工事を経て現在の状態が形成されました。
町田の駅名が統一された経緯と似ていますが、大和の場合は比較的早期の改称だったといえそうです。
2018年に中間改札が設置されるまでは、今以上に一体化したイメージとなっていましたが、現在も一つの駅といった印象は強いほうかもしれません。
メトロえのしま号を除いた、江ノ島線内を走るほとんどの列車が停車し、待避線を用いた緩急接続も行われています。
そんな小田急の大和ですが、開業当初は西大和という駅名を名乗っており、後に改称された経緯があります。
駅名の改称は戦時中に行われていますが、なぜ西大和とされたのでしょうか。
開業時から高架駅だった大和
神奈川県大和市の中心である大和駅は、1929年4月1日に開業しました。江ノ島線の開業が同日であることから、かなり歴史が長い駅ということになります。
開業当初の駅名は西大和とされ、待避線のない相対式のホームを備えましたが、古くから優等列車の停車駅とされていました。
盛土によるものではありましたが、開業当時から大和は高架駅となっており、現在も江ノ島線内では唯一の存在となっています。
大和が高架駅となったのは、先に神中鉄道の路線が開業していたためで、地上に敷設された線路と立体交差をするために、小田急が高架駅とされたものです。
神中鉄道は現在の相鉄本線であり、昔からの長い付き合いということになります。
西大和という駅名になった理由
先に開業していた相鉄ですが、こちらは開業当初から大和駅を名乗っていました。少しばかり遅れて開業した小田急が西大和駅とされ、駅名が異なる状態となったのです。
開業時期が異なる両路線ですが、当時はお互いの駅が離れており、相鉄の駅は200mほど瀬谷寄りにありました。
つまり、西側の少し離れた位置に駅が設置されたことから、小田急は西大和という駅名にされたことになります。
気になる点としては、当時の車両が現在とは比較にならないぐらい短かったとはいえ、僅か200mほどの距離で、異なる駅名とされたことです。
その一方で、開業時に既存の路線と交差することになった小田急の駅は、全てが異なる駅名とされており、豪徳寺、登戸、町田、厚木、新松田、それに加えて大和が該当します。
後に駅名が統一されたケースもありますが、開業段階で他社線との接続があった駅では、新宿、小田原、藤沢のみが統一の駅名で、大和は特殊な事例ではなかったことになります。
相鉄の駅が小田急の位置に合わせられたことで、駅名は大和に統一され、その後は大規模な改良工事を経て現在の状態が形成されました。
町田の駅名が統一された経緯と似ていますが、大和の場合は比較的早期の改称だったといえそうです。
おわりに
最終的には位置と駅名が合わせられ、現在は一体化した構造の駅となっている大和。2018年に中間改札が設置されるまでは、今以上に一体化したイメージとなっていましたが、現在も一つの駅といった印象は強いほうかもしれません。
コメント
コメント一覧 (10)
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相鉄地下化工事の過程で、大和駅開業当初の位置に仮駅が置かれたことがあります。
しかし都営浅草線蔵前駅と大江戸線蔵前駅、かなり離れていて(特に西馬込・京急方面ホームから(に)乗換の場合)、地下通路もないため、番線は通しでなく各々に1・2番線があります。
千代田線湯島駅北側改札から上野広小路・御徒町駅も充分徒歩圏ですが、地上乗換の対象から外されています。
ワタシダ
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ワタシダ
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そんな大和ですが、相鉄の都心乗り入れにより都心方面とのアクセスにおいて小田急とのライバル関係が新たに生まれました。埼京線に加えて東急との乗り入れを開始したことでこれからどのような競合を繰り広げるか、興味深さに尽きるこの頃です。
ワタシダ
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1989年前後、地下化工事に伴い相鉄の大和駅が瀬谷方向に移転していましたが、そこが開業当時の駅位置に近いのかもしれません。仮設ホームに向かう連絡通路が線路の上に作られましたが、とても立派だった印象があります。
ワタシダ
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