複々線化時にホームが地上から地下に移り、大きくイメージが変化した小田急の成城学園前駅。
勾配の途中にあるという位置関係からか、快速急行等が高速で通過するのが印象的な駅となっています。

20230826_01

そんな成城学園前ですが、当初の計画では複々線化後も地上にホームが設けられる予定でした。
高架区間の途中で地下に入る格好となりましたが、なぜ計画は変更されたのでしょうか。

掘割式で建設された成城学園前駅

緩行線と急行線の間に島式ホームを設けた成城学園前は、複々線化時に地下化が行われました。
正確には掘割式での建設となっていますが、完全に蓋をされた状態となっていることもあり、利用者の視点では地下駅という認識になるでしょう。

元々の成城学園前は地上にホームがあり、待避線を備える2面4線の駅でした。
各駅停車が急行の待ち合わせや特急の通過待ちを行うため、昔は今よりも賑やかだった印象があります。

複々線化に向けた変化は1995年頃から本格化し、下りの待避線を使用停止にしつつ、線路の下を掘り下げる工事が進められました。
工事の進展に合わせて、段階的に線路は地下へと切り替えられ、最終的に4本の線路が地下を通る状態となっています。
小田原方には喜多見検車区への出入庫線が設けられており、列車の運行上も重要な位置付けの駅となりました。

地表式から掘割式への計画変更

成城学園前付近の複々線化は、1964年12月に決定した都市計画までさかのぼります。
当初から高架式とされていた計画でしたが、成城学園前付近については地表式とされており、最終的な完成形態とは異なるものでした。

時が流れ、実際に工事を開始する頃になると、地表式という計画による課題が目立ち始めます。
それは踏切が残ってしまうというもので、複々線化によって運行本数が増えることを考えれば、より一層の開かずの踏切化は避けられない状況でした。
そこで、1993年2月に都市計画の変更が決定し、成城学園前付近は掘割式で進められることになりました。

成城学園前を地下駅にするという変更は、直接的には踏切の除去を目的にしていたといえますが、実際にはそう単純なものでもありません。
1964年の時点とは状況も色々と変わっており、地下駅とするほうが色々と都合がよいという背景もあったようです。

前提として、元々は27‰とされていた最急勾配の規定が、35‰に変更されたことで実現が可能となっています。
内規のうえだとは思われますが、勾配を急にしてでも、踏切を除却できるメリットは大きかったといえるでしょう。

さらに、元々の計画にはなかった喜多見検車区が設けられるにあたり、出入庫線を整備するのに都合がよかったことも一因としてあげられます。
駅の位置を変えずに、できるだけ長く平坦な場所を捻出するには、都合がよかったといえます。
元々の地形を活かし、踏切も除却でき、コストの面でも優位性がある構造として、駅付近を掘割とする変更が行われたようです。

おわりに

踏切を廃止し、駅の位置を下げつつ勾配を新宿方に寄せることで、出入庫線の配置を可能とした成城学園前。
狭い範囲で機能的に配置されている光景を眺めていると、上手く組んだものだと感心してしまいます。