1927年に小田原線が開業し、江ノ島線と多摩線が加わり形成されてきた小田急。
関東の大手私鉄では、比較的開業が遅い路線でしたが、それでも開業からの100周年が近付きつつあります。

そんな小田急ですが、会社の設立は1948年となっています。
なぜ開業時期と、会社の設立時期が一致しないのでしょうか。
路線の数としては多くないものの、大動脈である小田原線を中心に、全線に渡って利用者が多いことが特徴です。
鉄道事業を営んでいるのは小田急電鉄株式会社で、数々の子会社、グループ会社を持つ中心的な存在となっています。
小田急電鉄株式会社は1948年6月1日に設立され、1949年に東京証券取引所に上場しました。
小田原線や江ノ島線の開業は戦前ですが、法人の設立は戦後となっており、何らかの動きがあったことが分かります。
このようなケースは小田急に限ったことではありませんが、どのような背景があるのでしょうか。
小田原急行鉄道株式会社は、1923年5月1日に設立された法人で、小田急はこの会社からスタートしたといえます。
社名も現在とは異なりますが、設立日が違うことを考えると、単純な社名変更ではなかったことになります
そんな小田急の社名が小田急電鉄株式会社になったのは、1941年3月1日のことでした。
親会社にあたる鬼怒川水力電気株式会社に合併し、社名を改めたことによるものです。
鬼怒川水力電気株式会社の設立は1910年10月1日のことであり、現在の法人はこれとも違うということになります。
法人が異なる理由は、小田急電鉄株式会社がその後東京横浜電鉄株式会社に吸収合併されたためで、1942年5月1日に社名を改めつつ、東京急行電鉄株式会社の一員となりました。
大東急と呼ばれた時代であり、この時点で法人としての小田急は一度消滅したといえます。
小田原線や江ノ島線が東急の路線だった時期は長くなく、戦後には再び独立することとなりました。
分離独立した日が1948年6月1日であり、これが小田急電鉄株式会社の設立日となっています。
つまり、戦前と戦後の小田急電鉄株式会社は、それぞれが別の法人であるということになります。
設立日という情報の中に、小田急が成立するまでの歴史が詰まっているのかもしれませんね。
関東の大手私鉄では、比較的開業が遅い路線でしたが、それでも開業からの100周年が近付きつつあります。

そんな小田急ですが、会社の設立は1948年となっています。
なぜ開業時期と、会社の設立時期が一致しないのでしょうか。
戦前に開業した小田急線
現在は3路線を運行する小田急は、1927年に小田原線、1929年に江ノ島線、1974年に多摩線が開業しました。路線の数としては多くないものの、大動脈である小田原線を中心に、全線に渡って利用者が多いことが特徴です。
鉄道事業を営んでいるのは小田急電鉄株式会社で、数々の子会社、グループ会社を持つ中心的な存在となっています。
小田急電鉄株式会社は1948年6月1日に設立され、1949年に東京証券取引所に上場しました。
小田原線や江ノ島線の開業は戦前ですが、法人の設立は戦後となっており、何らかの動きがあったことが分かります。
このようなケースは小田急に限ったことではありませんが、どのような背景があるのでしょうか。
会社の設立日が戦後となっている理由
小田急で最初の路線となる小田原線が開業した当時、事業を営むのは小田原急行鉄道株式会社でした。小田原急行鉄道株式会社は、1923年5月1日に設立された法人で、小田急はこの会社からスタートしたといえます。
社名も現在とは異なりますが、設立日が違うことを考えると、単純な社名変更ではなかったことになります
そんな小田急の社名が小田急電鉄株式会社になったのは、1941年3月1日のことでした。
親会社にあたる鬼怒川水力電気株式会社に合併し、社名を改めたことによるものです。
鬼怒川水力電気株式会社の設立は1910年10月1日のことであり、現在の法人はこれとも違うということになります。
法人が異なる理由は、小田急電鉄株式会社がその後東京横浜電鉄株式会社に吸収合併されたためで、1942年5月1日に社名を改めつつ、東京急行電鉄株式会社の一員となりました。
大東急と呼ばれた時代であり、この時点で法人としての小田急は一度消滅したといえます。
小田原線や江ノ島線が東急の路線だった時期は長くなく、戦後には再び独立することとなりました。
分離独立した日が1948年6月1日であり、これが小田急電鉄株式会社の設立日となっています。
つまり、戦前と戦後の小田急電鉄株式会社は、それぞれが別の法人であるということになります。
おわりに
大東急からの分離独立により、1948年6月1日が会社の設立日となった小田急。設立日という情報の中に、小田急が成立するまでの歴史が詰まっているのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (8)
当初会社設立日
路線開業日
大東急分離日
最低でも3つの日がありうるわけで…
中には
帝都電鉄のように他社と合わせての分離や…
相鉄のように 当初の路線は国鉄に買収 され
当初会社設立日 が有名無実化している例や…
そもそも合併合併の繰り返し&大東急解体で
どの日付けをもって… がわやくちゃな 東急 などもあるけど…
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
余談ですが、相鉄はホールディングス化の際、鉄道事業の子会社は、元蕎麦屋の休眠会社を流用したとか…もちろん相鉄ホールディングス完全子会社なので、客から見れば相鉄なことはなんら変わりません。
ワタシダ
が
しました
ということで、会社としては今の小田急と昔の小田原急行鉄道は何の関係も無いことになりますが、当然車輌も人員も設備も残っていたものは引き継がれているので、何も変わってないとも言えることになりますね。
まあしかし、一応現在の小田急電鉄の始まりは、一応昭和23年(1948年)6月1日と見るべきでしょう。これは江ノ島電鉄も同じようなことが言え、路線を開通させた旧江之島電気鉄道と現在の江ノ島電鉄は全く無関係な法人ではあるものの、やはり路線そのものは変わっていないのと同様です。江ノ電が「創業120年」とは言わず、「開通120年」と言うのはそういうことですね。同様に小田急も「創業100年」とは言えないと思われます。すなわち今年は創業75周年であり、本来の創業100年は2048年ということになります。しかし開通100年は、正しく2027年ということになりますね。
以上参考文献「小田急五十年史」※この本は開通時から起算しています。
ワタシダ
が
しました
小田原急行鉄道→昭和15年5月1日に帝都電鉄を合併→昭和16年3月1日鬼怒川水力電気に合併され小田原急行鉄道は解散、存続会社は鬼怒川水力電気とし、同時に小田急電鉄に改称。
しかし、電力事業は昭和16年10月1日に全て国家管理へ移譲したため、電力事業は無くなり、鉄道専業となったので、多少のタイムラグはあるものの、事実上は鬼怒川水力電気のほうが消滅したと見るべきでしょう。
その後初代社長であった利光鶴松の引退と五島慶太の社長就任(既に京浜電鉄を買収)とともに、小田急線に熱海・伊東発の新宿行き省線列車を、東海道線のバイパスとして小田原から1日5往復乗り入れ(EL+PC7連)、または沼津発松田連絡新宿行き列車を蒸気機関車けん引で1日4往復乗り入れ(SL+PC4連)することを検討するなど、広域交通路の一部に小田急を組み込むことを考えたようです。
さらに、陸上交通事業調整法による私鉄統合の動きとともに、東京横浜電鉄、京浜電気鉄道、小田急電鉄が合併し東京急行電鉄が成立。ついで京王電軌軌道も加わって、いわゆる「大東急」時代を迎えることになるわけです。これにより小田急電鉄は消滅し、新宿営業局となりました。ちなみに京王はこのとき京王営業局、井の頭線は渋谷営業局による営業となっていたようです。後に局が管理部になり、さらには支社になる再編もあるのですが。
戦後になってみなさんご存じのように、昭和23年6月に大東急は解体され、小田急電鉄、京浜急行電鉄、京王帝都電鉄、東京急行電鉄などに分離独立することになりますが、既に昭和22年12月26日には分割案が決定していました。
井の頭線を京王に付けたのは、京王が電灯電力事業を失っているため、単独では採算性に不安があったためです。(つづく)
ワタシダ
が
しました
小田原線が開業した当時の社名である小田原急行鉄道を略して小田急と呼ばれたことから現在の社名に由来するのではないかとも考えられますが、阪急が元々の社名である京阪神急行電鉄を略する形で設立されたのと似通う節があります(その阪急は現在の神宝線系統をルーツとしつつ、京都線系統は元々京阪グループの路線として開業しました。この経緯を見ると上記の井の頭線が小田急グループの路線として開業した後、戦後の大東急解散とともに京王の路線に統合されたのと似通いますね)。
ワタシダ
が
しました