利用者からは「オダサガ」と呼ばれ、神奈川県相模原市の端に位置している小田急相模原駅。
元々は相模原という駅名で開業しましたが、後に現在の駅名に改称されました。

20230826_05

略称がすっかり定着した現在の駅名ですが、なぜ改称が行われたのでしょうか。

社名が入らない状態で開業した小田急相模原駅

小田急最初の路線として、1927年に小田原線が開業しました。
開業当時の段階では、小田急相模原駅自体が存在せず、相模大野も信号所の扱いだったため、町田から相武台前までの間に駅はなかったことになります。

長い直線区間に駅が追加されたのは1938年3月1日のことで、開業当時の駅名は「相模原」でした。
4月1日には大野信号所が駅に昇格し、通信学校駅となっており、一気に駅が設けられました。

元々は駅がなかった相模原一帯は、地価が安い平坦な土地が広がっていました。
そのような中、陸軍士官学校等の軍施設が開設され、軍都計画として整備が進められるようになります。
駅の開設時期もこの頃で、軍都計画により名称が定着しつつあり、その後の自治体名としても有力候補だったことから、駅名を相模原としました。

駅名の改称と社名変更のタイミング

数年後には太平洋戦争が始まろうとしていた時期に開業した相模原は、約3年後に小田急相模原へと改称されます。
駅名に社名が入る初のケースとなっており、オダサガの歴史はこの時からスタートしたことになります。

小田急相模原という駅名になったのは、1941年4月5日のことでしたが、その直前の3月1日に小田急は社名を変更していました。
元々は小田原急行鉄道株式会社という社名でしたが、親会社の鬼怒川水力電気株式会社に合併し、その際に社名を小田急電鉄株式会社としたものです。
あと少し改称が早ければ、小田原急行相模原という駅名になっていたのかもしれません。

早々に駅名を改称した背景には、鉄道省の横浜線に相模原駅が設けられたことが関係しており、後から開業した駅に名称を譲り渡したといえます。
当時の御上は権限が強大であり、駅名を奪われたという表現のほうが適切なのかもしれません。

こうしてオダサガとなった小田急相模原でしたが、興味深いこととして、1942年に小田急が東急に合併していることがあげられます。
戦後に分離独立するまで、駅名はそのままだったようで、東京急行相模原や東急相模原への改称は行われませんでした。

おわりに

元祖の相模原駅であったにもかかわらず、横浜線に駅名を譲った小田急相模原。
オダサガという親しみやすい略称が誕生したことを踏まえれば、結果的に今の駅名のほうがよかったのかもしれませんね。