最新の通勤型車両として、2019年度に製造が開始された小田急の5000形。
昔ながらの小田急顔で登場した先代が引退したことから、新たに同じ形式を名乗ることとなりました。
小田急にはこれまでに三つの5000形が存在しますが、引退後に再登場するまでの期間はどれぐらいだったのでしょうか。
車両が引退して廃車となった後には、過去に使用した形式が再登場することも多く、3000形や4000形、そして今回ピックアップする5000形等が分かりやすい事例です。
小田急において、5000形を名乗った車両は、現在のところ3形式となっています。
最初に登場したのは、国鉄の御殿場線に乗り入れるために登場したキハ5000形で、増備車であるキハ5100形も含めて、合計4両が製造されました。
最大の特徴は、全線が電化されている小田急においては珍しい気動車だったことで、非電化の御殿場線に乗り入れるための車両でした。
続いて登場したのは、小田急らしいデザインでまとめられた5000形で、優等列車での使用を重視する性能とされた車両です。
4両と6両の編成を合わせて、合計180両が製造されました。
途中で9000形の増備を挟んだため、編成による仕様差が多くあり、見ていて面白い車両でした。
現在のところ最新の5000形となるのが、8000形と1000形の一部を置き換えている車両です。
拡幅車体を復活させた10両固定編成となっており、先代の5000形と通じる部分もあるのが面白いところです。
2023年度は増備がストップしていますが、合計120両の状態からさらに増えるのか、今後の動向も気になる車両といえます。
最後の編成が廃車になった日から、新たな5000形が登場したその日までの期間を確認してみたいと思います。
まず、キハ5000形が竣功した時期ですが、1955年8月となっています。
廃車は全編成が1968年7月1日で、全4両が関東鉄道に譲渡されました。
続く5000形の登場については、1969年10月17日となります。
その期間は僅かに1年ほどしかなく、日数では473日という短さです。
早々に同じ番号を再度使用したケースとなっており、キハ5000形と5000形というやや特殊な関係性ではあるものの、ここまで短期間での復活は珍しい事例でしょう。
先代の5000形については、2012年5月11日に5063Fが廃車となり、形式消滅しています。
現行の5000形は2019年11月18日に竣功し、7年半ほどの期間での登場となりました。
最初のケースほどではありませんが、これも比較的短い期間といえそうです。
空白となっている期間は僅かであり、キハ5000形が登場して以降、小田急では5000形が存在していない時期のほうが珍しいのが面白いところです。
昔ながらの小田急顔で登場した先代が引退したことから、新たに同じ形式を名乗ることとなりました。
小田急にはこれまでに三つの5000形が存在しますが、引退後に再登場するまでの期間はどれぐらいだったのでしょうか。
小田急に存在する三つの5000形
戦時中に東急に合併して以降、小田急は主に4桁か5桁の番号を車両に使用してきました。車両が引退して廃車となった後には、過去に使用した形式が再登場することも多く、3000形や4000形、そして今回ピックアップする5000形等が分かりやすい事例です。
小田急において、5000形を名乗った車両は、現在のところ3形式となっています。
最初に登場したのは、国鉄の御殿場線に乗り入れるために登場したキハ5000形で、増備車であるキハ5100形も含めて、合計4両が製造されました。
最大の特徴は、全線が電化されている小田急においては珍しい気動車だったことで、非電化の御殿場線に乗り入れるための車両でした。
続いて登場したのは、小田急らしいデザインでまとめられた5000形で、優等列車での使用を重視する性能とされた車両です。
4両と6両の編成を合わせて、合計180両が製造されました。
途中で9000形の増備を挟んだため、編成による仕様差が多くあり、見ていて面白い車両でした。
現在のところ最新の5000形となるのが、8000形と1000形の一部を置き換えている車両です。
拡幅車体を復活させた10両固定編成となっており、先代の5000形と通じる部分もあるのが面白いところです。
2023年度は増備がストップしていますが、合計120両の状態からさらに増えるのか、今後の動向も気になる車両といえます。
5000形が再登場するまでの期間
これまでに登場した三つの5000形ですが、再登場までの期間はどれぐらいあったのでしょうか。最後の編成が廃車になった日から、新たな5000形が登場したその日までの期間を確認してみたいと思います。
まず、キハ5000形が竣功した時期ですが、1955年8月となっています。
廃車は全編成が1968年7月1日で、全4両が関東鉄道に譲渡されました。
続く5000形の登場については、1969年10月17日となります。
その期間は僅かに1年ほどしかなく、日数では473日という短さです。
早々に同じ番号を再度使用したケースとなっており、キハ5000形と5000形というやや特殊な関係性ではあるものの、ここまで短期間での復活は珍しい事例でしょう。
先代の5000形については、2012年5月11日に5063Fが廃車となり、形式消滅しています。
現行の5000形は2019年11月18日に竣功し、7年半ほどの期間での登場となりました。
最初のケースほどではありませんが、これも比較的短い期間といえそうです。
おわりに
過去に使われながらも、後に復活し続けている小田急の5000形。空白となっている期間は僅かであり、キハ5000形が登場して以降、小田急では5000形が存在していない時期のほうが珍しいのが面白いところです。
コメント
コメント一覧 (13)
ワタシダ
がしました
3000 SE/SSE→通勤車で再登場
4000 更新車→千代田2代目で再登場
5000 キハ→初代→通勤車2代目
6000 は元々が無く
7000 LSE
8000 現役
9000 暴れ馬が名乗っていただけ
10000 HiSE
次は 11000かと思いきや…
5桁 20000 30000 50000 60000 70000 特急車
4桁 1000 2000 3000 4000 5000 通勤車
という感じにしたようで…
営団6000は亡き現在
5000の次の通勤車は 6000を名乗るのか
飛ばして 7000を名乗るのか…
それが出る頃には 1000 2000 8000も淘汰されていそうだけど……
あれ?特急車で 40000は欠番か…
初代 4000はあったし 新4000もあるのだから
忌み番でもないはずなのに…
ワタシダ
がしました
鉄道会社は頭に「4」だと「死」を連想するので忌み嫌う事が多いです
西武の様に4000系や40000系を普通に付番している所もありますが、東武や相鉄は4000系を、小田急ロマンスカーや東武、南海は40000系を飛ばしています
東急の東横線用特急運用(10両編成)は4000を名乗っていますが、見た目の通り5000系で、あくまで4000番台と位置づけています
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
あらさがしのようで申し訳ないのですが、2代目は、4両6両合わせて180両製造かと思います。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
がしました
記憶がうろ覚えですが確か南海も国鉄 急行きのくに に連結してた気もします(和歌山市か難波まで走ってたかはちょっと憶えてません……)
ワタシダ
がしました
御殿場線直通列車用として登場した車両が通勤型車両として同じ番号で生まれ変わったのもまた感慨深いですね。2代目の3000形を通勤型車両として登場させたのはHiSE以降のロマンスカーを5桁の形式で区分したことも関係ありそうです(他に近鉄や南海でも同様の区分が見られます)。
ちなみに西武や東武、相鉄では大手私鉄として珍しく通勤型車両に5桁の番号を付与しており(東武の特急型は3桁)、京王や東急、阪急や阪神、名鉄や西鉄などでは4桁の番号を伝統的に採用し続けており、京成や京急などのように乗り入れ先で番号が重複しないように工夫されとるところもあります。またJRでは国鉄時代からの伝統的に3桁の番号を採用しており(四国と貨物を除く)、各社とも車両番号の付番方法に個性が感じられますね。
ワタシダ
がしました