ビルの中を線路が貫き、待避線を備えた大規模なホームが設けられている小田急の町田駅。
このような珍しい状態が完成したのは1976年のことで、あと数年で50年を迎えようとしつつあります。

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そんな町田駅ですが、何をきっかけに工事が始まり、どのようにして建設が進められたのでしょうか。

輸送力の増強が急務だった時代

昔から利用者が多かった町田駅で、改良工事が始まったのは1971年11月のことでした。
当時の駅名は新原町田で、横浜線の駅は今以上に離れており、駅名も原町田と異なっていました。

1970年代の小田急といえば、利用者が増え続けている時代であり、本数を増やしつつ車両を大型化し、さらに編成両数を増やしている状況ながら、輸送力の増強が追いつかない状態となっていました。
最終的には急行と準急で大型車の10両運転を行うこととなり、停車駅のホームを延長する必要が生じます。
町田の改良工事はこの動きの一環として行われ、ホームの長さを210mに延長しつつ、駅ビルの建設が行われました。

改良工事後は小田原方が高架となり、さらに線路を跨いで駅の上にビルがある状態で、線路が建物内を貫通する珍しいものとなっています。
駅ビルは1976年7月に完成しますが、工事は電車を平常運行しながら行われたため、なかなかの難工事だったといえるでしょう。

途中で計画が変更された町田駅ビル

町田の改良工事が行われた1970年代は、オイルショックが発生した時期でもありました。
資材の価格が高騰する等、困難な状況が発生する中での工事となっています。
原油価格が高騰する現代ですが、何か通じるものがあるようにも感じます。

そのような中で建設が進められた駅ビルは、地下2階、地上7階で計画され、小田急建設と清水建設のJVが工事を担当しました。
建設を開始した当時、付近一帯は建物の高さが31mに制限されており、地上7階はそれを受けてのものでした。
工事中に容積率が定められて600%とされたことから、駅ビルは設計を変更して地上11階とされています。

最大の特徴である小田急のホームは、ビルの3階部分に設けられており、朝から晩まで数多くの電車が行き来する状態となりました。
改良工事は1976年9月に竣功し、大きく変わることなく今日に至っています。

おわりに

改良工事が終わって以降、大きな変化がない状態だった町田駅ですが、多摩モノレールの延伸構想により動きが出てきました。
建設完了から50年を迎える日が近付く中、建て替えも含めた今後が気になるところですね。