新宿から小田原までを一気に開業し、2年後には江ノ島線も加えたことで、多摩線を除く路線網が早々に形成された小田急線。
相対式ホームを用いることで、駅の前後にカーブを設けない等、開業当初から高速運転を志向していました。
他の私鉄においては、かつて併用軌道の区間があった路線もありますが、路面電車がルーツにない小田急はどれぐらい珍しいのでしょうか。
小田急で線形が変化したのは、多摩線の開業に合わせて新百合ヶ丘が設置された時ぐらいで、高架や地下に変わった場所は多いものの、元々の線形を維持しています。
沿線の人口が戦後に増加したことで、車両は大型の長編成へと変わりましたが、それ以外は開業時の段階で確立していたといえるのかもしれません。
開業当初から電車での高速走行を考えていた小田急では、地形に合わせたカーブや勾配は存在するものの、可能な場所は極力線路を直線で通しました。
一般的には路面電車と呼ばれる軌道区間も存在せず、後の発展にも寄与したといえそうです。
どれぐらい珍しいのか、関東の私鉄がどうだったのかを簡単に確認してみたいと思います。
まず、路面電車がルーツになっている鉄道といえば、小田急の隣を走る京王線が代表格ではないでしょうか。
現在も線路の幅が路面電車と同じ馬車軌間であり、新宿付近では甲州街道上で併用軌道となっていた等、今となっては想像ができない走行シーンが展開された時代がありました。
馬車軌間を採用した理由は、東京市電への乗り入れを考えていたためですが、実現することはありませんでした。
同じように路面電車がルーツとなっているのは、京急と京成です。
こちらは改軌されていますが、どちらにも併用軌道だった区間がかつては存在し、京急は短期間ながら東京市電への乗り入れも行っていました。
ルーツとは少し違いますが、東急も路面電車との関係が深い鉄道でしょう。
現在も世田谷線が軌道線として残っていますが、かつては玉川線の支線だったものが、廃止されずに残ったものです。
玉川線は渋谷から二子玉川園までを結んでおり、その他の支線を合わせて、現在の田園都市線の前身のようなものでした。
軌道線が存在したことがある鉄道としては、東武と西武があげられます。
いずれも現在の路線とはあまり関係がありませんが、路面電車と無関係ではない鉄道会社です。
このように、路面電車や軌道と何らかの関係がある鉄道会社は多く、小田急は少数派に属しているといえます。
新宿から小田原までを一気に開業したスケールの大きさは、こんなところにも表れているといえそうです。
共通点は後発の私鉄ということになりますが、小田急がどこか違う雰囲気の鉄道会社に感じるのは、スタートの違いも関係しているのかもしれませんね。
相対式ホームを用いることで、駅の前後にカーブを設けない等、開業当初から高速運転を志向していました。
他の私鉄においては、かつて併用軌道の区間があった路線もありますが、路面電車がルーツにない小田急はどれぐらい珍しいのでしょうか。
軌道区間が存在しなかった小田急
戦前の段階で小田原線と江ノ島線が開業していた小田急ですが、その当時から線路が敷かれている位置はほとんど変化していません。小田急で線形が変化したのは、多摩線の開業に合わせて新百合ヶ丘が設置された時ぐらいで、高架や地下に変わった場所は多いものの、元々の線形を維持しています。
沿線の人口が戦後に増加したことで、車両は大型の長編成へと変わりましたが、それ以外は開業時の段階で確立していたといえるのかもしれません。
開業当初から電車での高速走行を考えていた小田急では、地形に合わせたカーブや勾配は存在するものの、可能な場所は極力線路を直線で通しました。
一般的には路面電車と呼ばれる軌道区間も存在せず、後の発展にも寄与したといえそうです。
路面電車がルーツとなっている関東の私鉄
小田急は路面電車がルーツにない私鉄ですが、意外と珍しい存在となっています。どれぐらい珍しいのか、関東の私鉄がどうだったのかを簡単に確認してみたいと思います。
まず、路面電車がルーツになっている鉄道といえば、小田急の隣を走る京王線が代表格ではないでしょうか。
現在も線路の幅が路面電車と同じ馬車軌間であり、新宿付近では甲州街道上で併用軌道となっていた等、今となっては想像ができない走行シーンが展開された時代がありました。
馬車軌間を採用した理由は、東京市電への乗り入れを考えていたためですが、実現することはありませんでした。
同じように路面電車がルーツとなっているのは、京急と京成です。
こちらは改軌されていますが、どちらにも併用軌道だった区間がかつては存在し、京急は短期間ながら東京市電への乗り入れも行っていました。
ルーツとは少し違いますが、東急も路面電車との関係が深い鉄道でしょう。
現在も世田谷線が軌道線として残っていますが、かつては玉川線の支線だったものが、廃止されずに残ったものです。
玉川線は渋谷から二子玉川園までを結んでおり、その他の支線を合わせて、現在の田園都市線の前身のようなものでした。
軌道線が存在したことがある鉄道としては、東武と西武があげられます。
いずれも現在の路線とはあまり関係がありませんが、路面電車と無関係ではない鉄道会社です。
このように、路面電車や軌道と何らかの関係がある鉄道会社は多く、小田急は少数派に属しているといえます。
新宿から小田原までを一気に開業したスケールの大きさは、こんなところにも表れているといえそうです。
おわりに
元々は私鉄ではなかった東京メトロを別にすると、路面電車と関係がない関東の大手私鉄は、相鉄と小田急ぐらいということになります。共通点は後発の私鉄ということになりますが、小田急がどこか違う雰囲気の鉄道会社に感じるのは、スタートの違いも関係しているのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (13)
贔屓のひき倒し感が……
東武 西武 東急の軌道線は各社のルーツとは関係無く
後に傘下に入ってきたもの( 日光軌道線 玉川電気軌道 ) や
都心を目指す路線免許競争上や他社の自社エリアへの参入阻止のためのもの( 西武 ) …
関東で軌道( 路面電車 ) にルーツがあるのは
東京市電への乗り入れを目指したことがある
京王 京成 京急の3社のみでしょう
軌間が 1067ミリではない……
ワタシダ
がしました
喜多見分岐をやめた理由を私も少し調べてみました。
①狛江市・稲城市の反対運動(市街地が分断される等)
②多摩川鉄橋の建設費が高い
③京王とルートが被る
④電磁波か何かの施設があり、悪影響を及ぼす
以上のような理由から複合的に判断して、不利になることを承知で新百合分岐に変えたのでしょうか。
関連して思った事は、小田急は橋本延伸も京王とルートが被るという理由で早々に放棄しています。
小田原線の輸送力増強で手一杯だったにしても、多摩に関しては京王に譲り過ぎというか、最初からあまり競争する意志がないような感じがします。
ワタシダ
がしました
京王の明大前と千歳烏山に待避線が完成すれば、朝の通勤時間帯でも京王有利になるでしょう。
できるのはまだ何年か先だけど、どんな手をうつ? どうする小田急。
ワタシダ
がしました
日本の大手私鉄の中で軌道法による鉄道路線を有したことがないのはわずか3社で、小田急電鉄、相模鉄道、南海電鉄のみだそうです。
このうち、相鉄と南海は創業当時は蒸気機関車を用いていました。
「軌道法に準拠しておらず、かつ、蒸気機関車由来でもなく、開業当時から全線が電化済」の大手私鉄は小田急のみと言えます。
鉄道法・全線電化の私鉄は戦後では当たり前になりましたが、小田急は1920年代の時点でこれを実現していたのが先見の明があるのではないかと。
ワタシダ
がしました
路線を徐々に伸ばすのではなく一気に開通。
複数の鉄道会社を吸収合併しての路線網拡大ではなく、現行路線は一社によるもの。
他の私鉄は徐々に線路を敷いていますし、成り立ちが複数の鉄道会社です。
この様な小田急の強気な事業展開はどこから来ていたのでしょうかね?
路面電車の件は開業時の段階で山手線内の都心部乗り入れを他の私鉄は目指していたのでしょうが、小田急は開業時にはその手段を選ばなかったということですよね。その辺も気になります。
ワタシダ
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そう言えば、江ノ電の併用軌道というと、みなさん江ノ島-腰越駅間が思いつくと思いますが、他に現在も峰ヶ原信号所-七里ヶ浜駅間、七里ヶ浜駅-稲村ヶ崎駅間、稲村ヶ崎駅-極楽寺駅間に、併用軌道区間が存在します(ただし自動車が走る部分と線路は一応別れています)。
ワタシダ
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バス転換した西鉄は当時全国展開していまはた国鉄バスの台数より1.5倍も多いバスを保有していました。
(現在、単社レベルでは神奈中バスですが西鉄バスグループ全社になると別です)
※小田急以外の長文失礼しました
ワタシダ
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大野信号所(相模大野)を戦前に造ったとは驚き
東北沢通過線は島秀夫が視察に来て新幹線駅の参考にした
直線にこだわったのは貨物列車のため
ワタシダ
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また、名鉄や西鉄も路面電車ルーツで、本文中で紹介された会社以外では東京メトロも路面電車と関わりがあり、城東電気軌道及び西武軌道(現在の西武に関係する会社で、東京乗合自動車との共同運営でした)が運営した路線を継承しました。これらの路線は後に都電に編入された経緯を持ちます。
このように多くの大手私鉄が路面電車と深く関わりがある中で、小田急は鬼怒川水力電気という発電会社、相鉄は現在のJR相模線がルーツとなっており、それぞれ路面電車とは別に独自の生い立ちを歩んどることが窺えます。
ワタシダ
がしました