戦後生まれの駅として、1960年に開業した小田急の百合ヶ丘駅。
元々は川崎市の拠点となる可能性もあった駅ですが、多摩線の開業に合わせて新百合ヶ丘駅が設けられたことで、小田原線内での立ち位置は変化しました。

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そんな百合ヶ丘ですが、駅名の由来は色々と面白く、複数の意味が込められています。
百合ヶ丘の駅名は、どのようにして決まったのでしょうか。

百合丘団地の入居開始に合わせて開業した駅

丘陵地帯に設けられた百合ヶ丘ですが、駅の設置前は緑が豊富な地域でした。
現在の地形を見ても分かるとおり、百合ヶ丘の周辺は山であり、そのような地域を開発したことで、現在の姿が形成されました。

駅周辺の開発が始まったのは1950年代の後半で、きっかけは百合丘団地の建設でした。
当時としては近代的な団地でしたが、1990年代の後半から建て替えが行われ、現在はサンフラレ百合ヶ丘と百合ヶ丘みずき街となっています。

百合ヶ丘の駅は、百合丘団地の入居開始に合わせて開業し、駅名も団地と同様になりました。
他にも名称の候補はあったようですが、最終的に百合ヶ丘が採用されています。
地名等では百合丘となっており、「ヶ」の有無が混在している状態となっています。

駅名はなぜ百合ヶ丘となったのか

百合ヶ丘駅の周辺は、新たに開発された地域ということになりますが、地名が駅名等に採用されたわけではありません。
駅名は百合丘団地から付けられているため、由来が何であったのかについては、なぜ百合丘団地となったのかを確認する必要があるということになります。

一般的にも広く知られている由来は、地域一帯にヤマユリが多く咲いていたというものです。
ヤマユリは山地に生える植物で、日本特産のユリとして知られています。
ユリ科の中では最大級の大きさで、そのようなものが多く見られたということになりますが、開発が進んだことで現在はほとんど見られなくなり、皮肉な結果になったともいえそうです。

そんなヤマユリですが、神奈川県の県花にも指定されています。
指定されたのは1951年のことであり、県内各地に咲いていることから選ばれたようです。
県の花を地名や駅名に採用したことからも、開発に対する意気込みが伝わってきます。

名称の由来としてもう一つ関係しているのが、約100人の地主が地域の開発に協力して誕生したというものです。
山や農地だった地域を開発し、これだけの発展に導くことは、地主の協力がなければできなかったことでしょう。
駅前に地元ならではの商店が多いのも、地主の協力で成立したことが関係しているそうです。

おわりに

緑豊かな土地を開発し、現在の状態が形成された百合ヶ丘駅の周辺一帯。
新百合ヶ丘付近は線形変更で大きく変わってしまいましたが、線路がカーブを繰り返しているのが、丘陵地帯を開発したことを物語っています。