全編成がリニューアルされ、ケイプアイボリーの車体にロイヤルブルーの帯を巻く最後の車両となった小田急8000形。
スローペースではあるものの、近年は廃車によって少しずつ数を減らしています。
そんな中、以前から引退が予告されていた8254Fが廃車となったようです。
8000形の歴史において、運命を変えたともいえる8254Fですので、過去についても少し振り返ってみたいと思います。
ツアー列車の後はもう走らないと思っていた方もいたようで、そのような声を耳にすることもありましたが、先が長くないことは変わらず、やはりその時は訪れてしまいます。
廃車の日はいつになるのかという状況が続いていましたが、他の車両と同様に一部の機器を取り外す動きが始まったため、8254Fの廃車が確定したようです。
既に機器の撤去が行われているため、8254Fについては西武への譲渡対象ではなく、後期車が対象となる可能性が高まってきたといえます。
8254Fは最終的に40年を超えての活躍となり、小田急の中ではかなり長寿な編成となりました。
リニューアルによって機器が一新されている8000形よりも、老朽化が進んでいた1000形の廃車を優先したためですが、その背景には8000形のリニューアルが大規模だったことがあげられます。
その8000形の運命を変えたのが、今回廃車となった8254Fでした。
8251Fと8255Fが車体を中心としたリニューアルだったのに対して、8254Fでは足回りを一新する改造が加わり、VVVFインバーター制御や電気指令式ブレーキへの変更が行われました。
最初の2編成がリニューアルを終えた後も8254Fはすぐに入場せず、今思えば少々変な動きだったといえます。
リニューアルの開始により、8254Fはやがて営業線上から姿を消しました。
しばらくして試運転が始まりますが、8251Fや8255Fとは明らかに異なるその姿に驚かされます。
車体以外は別物なのではないかと思ってしまうぐらい、元の状態とは何もかもが変わっていたのです。
京王では6000系が現役の頃で、既に20年近く前のことになってしまいました。
この時の8254Fは、営業運転に入る頃とは若干姿が異なり、やや中途半端な状態でした。
8000形だけど8000形じゃない、営業運転に復帰した当初の8254Fには、そんな印象を持ちました。
どちらかといえば3000形と同じ立ち位置で、当時の小田急では珍しいタイプの車両でしたが、3000形の大量増備により状況はあっという間に変化することとなります。
当時は6両の各駅停車がそこそこ走っており、編成単独で小田原線を走るシーンも多く見られました。
ブレーキ読み替え装置の搭載により従来車とも繋ぐことが可能で、3000形と同様に優等列車でも活躍します。
8000形のリニューアルが進むと、8254Fは珍しい存在ではなくなりますが、その後の流れを変えた象徴的な編成であることに変わりはありません。
リニューアル後の衝撃的な姿を見た印象からか、私にとってはどこか特別な思いを抱く編成となりました。
8254Fはその第一号の編成でしたが、ついにその歴史に終止符が打たれたことになります。
スローペースではあるものの、近年は廃車によって少しずつ数を減らしています。
そんな中、以前から引退が予告されていた8254Fが廃車となったようです。
8000形の歴史において、運命を変えたともいえる8254Fですので、過去についても少し振り返ってみたいと思います。
8000形の8254Fが廃車に
引退が間近であると添えられ、2023年9月3日にツアー列車に使用された8254Fですが、その後も今までどおり営業列車に使用され、最終的には休車となっていました。ツアー列車の後はもう走らないと思っていた方もいたようで、そのような声を耳にすることもありましたが、先が長くないことは変わらず、やはりその時は訪れてしまいます。
廃車の日はいつになるのかという状況が続いていましたが、他の車両と同様に一部の機器を取り外す動きが始まったため、8254Fの廃車が確定したようです。
既に機器の撤去が行われているため、8254Fについては西武への譲渡対象ではなく、後期車が対象となる可能性が高まってきたといえます。
8254Fは最終的に40年を超えての活躍となり、小田急の中ではかなり長寿な編成となりました。
足回りを一新する大改造に着手した8254F
新形式の5000形が登場したことで、通勤型車両の置き換えがスタートした小田急ですが、先輩である8000形より先に廃車となったのは、未更新のまま残っていた1000形でした。リニューアルによって機器が一新されている8000形よりも、老朽化が進んでいた1000形の廃車を優先したためですが、その背景には8000形のリニューアルが大規模だったことがあげられます。
その8000形の運命を変えたのが、今回廃車となった8254Fでした。
8251Fと8255Fが車体を中心としたリニューアルだったのに対して、8254Fでは足回りを一新する改造が加わり、VVVFインバーター制御や電気指令式ブレーキへの変更が行われました。
最初の2編成がリニューアルを終えた後も8254Fはすぐに入場せず、今思えば少々変な動きだったといえます。
リニューアルの開始により、8254Fはやがて営業線上から姿を消しました。
しばらくして試運転が始まりますが、8251Fや8255Fとは明らかに異なるその姿に驚かされます。
車体以外は別物なのではないかと思ってしまうぐらい、元の状態とは何もかもが変わっていたのです。
京王では6000系が現役の頃で、既に20年近く前のことになってしまいました。
この時の8254Fは、営業運転に入る頃とは若干姿が異なり、やや中途半端な状態でした。
8000形だけど8000形じゃない、営業運転に復帰した当初の8254Fには、そんな印象を持ちました。
どちらかといえば3000形と同じ立ち位置で、当時の小田急では珍しいタイプの車両でしたが、3000形の大量増備により状況はあっという間に変化することとなります。
当時は6両の各駅停車がそこそこ走っており、編成単独で小田原線を走るシーンも多く見られました。
ブレーキ読み替え装置の搭載により従来車とも繋ぐことが可能で、3000形と同様に優等列車でも活躍します。
8000形のリニューアルが進むと、8254Fは珍しい存在ではなくなりますが、その後の流れを変えた象徴的な編成であることに変わりはありません。
リニューアル後の衝撃的な姿を見た印象からか、私にとってはどこか特別な思いを抱く編成となりました。
おわりに
徹底的なリニューアルを行い、長生きをする形式となった8000形。8254Fはその第一号の編成でしたが、ついにその歴史に終止符が打たれたことになります。
コメント
コメント一覧 (9)
ギリギリまで使ってお役御免になったら終わりという感じでしょうか
ワタシダ
がしました
ワタシダ
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すいません
同じのを2つ投稿しまいました
一つ削除お願いします
ワタシダ
がしました
そう考えると,8000形がどれくらい長く走っているかがよくわかります
8254編成ほんとにお疲れ様でした
そして、ありがとう!
ワタシダ
がしました
写真4枚目
車掌台右端にあった(6枚目に映っている)銀色の箱がありませんね。
写真5枚目
乗務員室背面の窓の長さが原型に見えます。末期はクハ8254側だけほかのVVVF車と同じような縮小された状態となっていました。
リニューアル後に量産化改造でも受けたのでしょうかね?
8254F、40年間お疲れさまでした。
ワタシダ
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ワタシダ
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何となく近年のJR東日本首都圏エリアで数本だけ残った置き換え対象車(常磐快速線や鶴見線の103系や中央快速線の201系など)が減便を伴うダイヤ改正まで最後の活躍を続けた姿を彷彿とさせますね。
ワタシダ
がしました