下北沢付近の工事が完了するまで、小田急の複々線区間が始まる駅となっていた梅ヶ丘。
複々線が完成した現在は、地下から一気に上がってきた最初の高架駅となっており、特徴的な風景が広がっています。
そんな梅ヶ丘ですが、複々線化が済んで高架駅となってからも、しばらくは小田原寄りが仮設のホームとなっていました。
既に複々線化が済んでいる駅なのにもかかわらず、なぜそのような状態となっていたのでしょうか。
小田急の複々線区間では標準的な配線となっており、停車する各駅停車の横を優等列車が通過していくのは、お決まりの光景となっています。
かつては地上を走っていた線路は、2002年に高架へと切り替えられ、2004年には複々線の使用を開始しました。
この時点で梅ヶ丘の駅はほぼ完成した状態となっていましたが、ホームの小田原方には一部だけ仮設のホームが残っており、本設部分との違いが際立つ状態でした。
仮設部分はかなり短かったものの、幅がとても狭く、必要最低限の状態となっていました。
何度もその場所に立つ機会はありましたが、写真を残すことをしておらず、日々の記録が大切だということを痛感します。
仮設のホームは、下北沢付近の複々線が完成した後に撤去され、本設のホームのみが使われるようになりました。
その背景には、梅ヶ丘が複々線区間の終端となっていたことと、下北沢にかけて下り勾配になっていることが関係しています。
仮設のホームが長く残った理由は、新宿方の状態を確認するとよく分かります。
写真は下北沢付近が地下化された後のものですが、駅を出た直後から急勾配となっており、高架化と同時に生まれました。
現在も新宿方はこのような急勾配となっていますが、複々線の完成前は代々木上原付近からここまでが複線であり、梅ヶ丘の手前にポイントを設置する必要がありました。
急勾配上にポイントを配置するわけにはいかないため、平坦になるホーム部分にポイントがかかっており、新宿方のホームには一部使用できない範囲が存在することになってしまったのです。
梅ヶ丘のホームは10両分の長さで造られましたが、当時の各駅停車は8両が最大だったため、その分長さには余裕がありました。
しかし、2両分の余裕では吸収することができず、足りない分を仮設のホームで補っていたことになります。
仮設ホームが残っていた期間は10年以上に及び、あまりにも見慣れた風景となっていました。
現在はホームドアも設置され、長く残った仮設ホームがあった風景は、あっという間に過去のものとなっています。
複々線が完成した現在は、地下から一気に上がってきた最初の高架駅となっており、特徴的な風景が広がっています。
そんな梅ヶ丘ですが、複々線化が済んで高架駅となってからも、しばらくは小田原寄りが仮設のホームとなっていました。
既に複々線化が済んでいる駅なのにもかかわらず、なぜそのような状態となっていたのでしょうか。
複々線化後も仮設のホームが残った梅ヶ丘駅
複々線化に合わせて高架となった梅ヶ丘は、緩行線の外側にのみホームが設けられ、その間に急行線が挟まれる配線となりました。小田急の複々線区間では標準的な配線となっており、停車する各駅停車の横を優等列車が通過していくのは、お決まりの光景となっています。
かつては地上を走っていた線路は、2002年に高架へと切り替えられ、2004年には複々線の使用を開始しました。
この時点で梅ヶ丘の駅はほぼ完成した状態となっていましたが、ホームの小田原方には一部だけ仮設のホームが残っており、本設部分との違いが際立つ状態でした。
仮設部分はかなり短かったものの、幅がとても狭く、必要最低限の状態となっていました。
何度もその場所に立つ機会はありましたが、写真を残すことをしておらず、日々の記録が大切だということを痛感します。
仮設のホームは、下北沢付近の複々線が完成した後に撤去され、本設のホームのみが使われるようになりました。
なぜ梅ヶ丘駅には仮設のホームが残ったのか
駅自体がほぼ完成していながら、梅ヶ丘ではなぜ仮設のホームが一部に残ってしまったのでしょうか。その背景には、梅ヶ丘が複々線区間の終端となっていたことと、下北沢にかけて下り勾配になっていることが関係しています。
仮設のホームが長く残った理由は、新宿方の状態を確認するとよく分かります。
写真は下北沢付近が地下化された後のものですが、駅を出た直後から急勾配となっており、高架化と同時に生まれました。
現在も新宿方はこのような急勾配となっていますが、複々線の完成前は代々木上原付近からここまでが複線であり、梅ヶ丘の手前にポイントを設置する必要がありました。
急勾配上にポイントを配置するわけにはいかないため、平坦になるホーム部分にポイントがかかっており、新宿方のホームには一部使用できない範囲が存在することになってしまったのです。
梅ヶ丘のホームは10両分の長さで造られましたが、当時の各駅停車は8両が最大だったため、その分長さには余裕がありました。
しかし、2両分の余裕では吸収することができず、足りない分を仮設のホームで補っていたことになります。
仮設ホームが残っていた期間は10年以上に及び、あまりにも見慣れた風景となっていました。
おわりに
複々線化の完成によりポイントが撤去され、梅ヶ丘の仮設ホームも過去のものとなりました。現在はホームドアも設置され、長く残った仮設ホームがあった風景は、あっという間に過去のものとなっています。
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