従来車から一部の機器を流用し、大型の車体に吊り掛けモーターを搭載して登場した小田急4000形。
昭和の終わりには2400形のモーターを流用して高性能化され、運用の幅が大きく広がりました。
高性能化を行う際、4000形は4両と6両の編成に再編されましたが、晩年は使い方が大きく異なる展開となりました。
他形式との併結が可能になり、運用上の制限はほとんどなくなったはずでしたが、なぜそのような展開となったのでしょうか。
同時に小田急の標準的な編成構成である4両と6両に組み替えが行われ、他形式との併結が可能となったことから、運用の幅が大きく広がることとなります。
組み替えにより4両となったのは8編成で、4051Fから4058Fまでに整理されました。
長編成化の進展により、当時の4両は既に付属編成に近い立ち位置で、後に各駅停車の8両化も行われますが、4000形がその役目を担うことは基本的にありませんでした。
そんな4両が担った役割は5000形と同様で、急行を中心とした優等列車の新宿方編成です。
昔は途中駅での分割併合が盛んに行われていたため、分割後は4両単独で各駅停車として走ることも多くありました。
時期により運用の仕方に違いはあるものの、引退まで基本的な使い方は変わらず、4両の編成としては最前線で活躍を続けます。
晩年は3000形とも繋がって走っており、あまりにも性能が異なる車両同士のペアは興味深い存在でした。
高性能化後は4両よりも多い10編成が在籍し、4251Fから4260Fまでに整理されていました。
改造が終わってからの6両は、他形式との併結により急行等でも使われるようになり、4000形の4両と組んだオール4000形も見ることができました。
前後で形態が揃っていることから、編成美はなかなかのもので、小田急顔の形式では珍しい存在だったといえます。
運用上の制約が減った4000形でしたが、9000形や8000形等と比較した場合には、必ずしも万能ではない面もありました。
それは箱根登山線への入線が禁止されていたことで、急行で運用される場合には、小田原止まりや江ノ島線での運用に限定されることとなります。
運用上の制限はありつつも、優等列車での活躍も多かった4000形でしたが、晩年にはその前提が変わってしまいます。
それは2000年のダイヤ改正で起こったもので、箱根登山線に乗り入れる急行が1時間に4本となり、4000形が優等列車で活躍できるシーンが減少しました。
2002年には江ノ島線に湘南急行が登場しますが、10両で走るタイミングを含む運用の中に、少しでも箱根登山線に乗り入れる列車がある場合、4000形を充当できない状態となりました。
全く10両での運行がなかったわけではありませんが、このような前提の変化により4000形は6両単独での走行機会が増加し、晩年は各駅停車を中心に活躍するようになります。
最後まで最前線で活躍した4両とは異なり、晩年らしい過ごし方だったといえそうですね。
オール4000形に遭遇すると嬉しかったものですが、晩年はそう多くは見られない貴重な存在となってしまいました。
昭和の終わりには2400形のモーターを流用して高性能化され、運用の幅が大きく広がりました。
高性能化を行う際、4000形は4両と6両の編成に再編されましたが、晩年は使い方が大きく異なる展開となりました。
他形式との併結が可能になり、運用上の制限はほとんどなくなったはずでしたが、なぜそのような展開となったのでしょうか。
最後まで最前線で活躍した4両編成
登場から20年ほどが経過した1985年に、4000形は高性能化と冷房化が開始されました。同時に小田急の標準的な編成構成である4両と6両に組み替えが行われ、他形式との併結が可能となったことから、運用の幅が大きく広がることとなります。
組み替えにより4両となったのは8編成で、4051Fから4058Fまでに整理されました。
長編成化の進展により、当時の4両は既に付属編成に近い立ち位置で、後に各駅停車の8両化も行われますが、4000形がその役目を担うことは基本的にありませんでした。
そんな4両が担った役割は5000形と同様で、急行を中心とした優等列車の新宿方編成です。
昔は途中駅での分割併合が盛んに行われていたため、分割後は4両単独で各駅停車として走ることも多くありました。
時期により運用の仕方に違いはあるものの、引退まで基本的な使い方は変わらず、4両の編成としては最前線で活躍を続けます。
晩年は3000形とも繋がって走っており、あまりにも性能が異なる車両同士のペアは興味深い存在でした。
他形式のサポート役となった6両編成
最後まで最前線で活躍した4両に対して、晩年に使い方が変わったのは6両でした。高性能化後は4両よりも多い10編成が在籍し、4251Fから4260Fまでに整理されていました。
改造が終わってからの6両は、他形式との併結により急行等でも使われるようになり、4000形の4両と組んだオール4000形も見ることができました。
前後で形態が揃っていることから、編成美はなかなかのもので、小田急顔の形式では珍しい存在だったといえます。
運用上の制約が減った4000形でしたが、9000形や8000形等と比較した場合には、必ずしも万能ではない面もありました。
それは箱根登山線への入線が禁止されていたことで、急行で運用される場合には、小田原止まりや江ノ島線での運用に限定されることとなります。
運用上の制限はありつつも、優等列車での活躍も多かった4000形でしたが、晩年にはその前提が変わってしまいます。
それは2000年のダイヤ改正で起こったもので、箱根登山線に乗り入れる急行が1時間に4本となり、4000形が優等列車で活躍できるシーンが減少しました。
2002年には江ノ島線に湘南急行が登場しますが、10両で走るタイミングを含む運用の中に、少しでも箱根登山線に乗り入れる列車がある場合、4000形を充当できない状態となりました。
全く10両での運行がなかったわけではありませんが、このような前提の変化により4000形は6両単独での走行機会が増加し、晩年は各駅停車を中心に活躍するようになります。
最後まで最前線で活躍した4両とは異なり、晩年らしい過ごし方だったといえそうですね。
おわりに
92両と決して多くはない両数だったものの、4両と6両の編成が存在した4000形。オール4000形に遭遇すると嬉しかったものですが、晩年はそう多くは見られない貴重な存在となってしまいました。
コメント
コメント一覧 (16)
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当時の優等は異編成だらけで制動には気遣いと経験が求められました。
4000は空制のみでクセがなく、相手が暴れ者の9000でも気楽。4000側が先頭の場合は制動力が強い後ろに引っ張られる独特の感触でした。
4000の10両編成は制動が甘いから、1スパン早めに制動開始していました。
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103-3000となんか似ていた経歴を持ち好きな形式でした。
登山線に入れなかったのは下段が上昇可能だった他に理由があるのでしょうか?
4000型の新性能に機器を提供していた2400型は登山線に行っていた記憶がうっすらとあるので不思議に感じました。
N6と似て非なるスタイルも好きでした。
鉄コレ買いそびれたので悔しい形式です。
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非冷房だったので、夏には乗るのを見送ったこともありましたが、今に思えばもったいないことをしたなと後悔しています。
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両形式とも運用面や性能面での制約から2600形2670Fや旧5000形の4両よりも先に廃車が発生した理由も納得できます。
複々線化のタイミングで引退を迎え、さよなら運転も行われなかった旧4000形。現在のように悪質な撮り鉄たちがそれほど多くなかった時代、最後の最後には複々線化されて間もない区間を力走する姿を見せてもらいたかったものです(泣)
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高性能化前は5両+5両の10両編成も、たまにありました。
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