従来車から一部の機器を流用し、大型の車体に吊り掛けモーターを搭載して登場した小田急4000形。
昭和の終わりには2400形のモーターを流用して高性能化され、運用の幅が大きく広がりました。

高性能化を行う際、4000形は4両と6両の編成に再編されましたが、晩年は使い方が大きく異なる展開となりました。
他形式との併結が可能になり、運用上の制限はほとんどなくなったはずでしたが、なぜそのような展開となったのでしょうか。

最後まで最前線で活躍した4両編成

登場から20年ほどが経過した1985年に、4000形は高性能化と冷房化が開始されました。
同時に小田急の標準的な編成構成である4両と6両に組み替えが行われ、他形式との併結が可能となったことから、運用の幅が大きく広がることとなります。

組み替えにより4両となったのは8編成で、4051Fから4058Fまでに整理されました。
長編成化の進展により、当時の4両は既に付属編成に近い立ち位置で、後に各駅停車の8両化も行われますが、4000形がその役目を担うことは基本的にありませんでした。

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そんな4両が担った役割は5000形と同様で、急行を中心とした優等列車の新宿方編成です。
昔は途中駅での分割併合が盛んに行われていたため、分割後は4両単独で各駅停車として走ることも多くありました。

時期により運用の仕方に違いはあるものの、引退まで基本的な使い方は変わらず、4両の編成としては最前線で活躍を続けます。
晩年は3000形とも繋がって走っており、あまりにも性能が異なる車両同士のペアは興味深い存在でした。

他形式のサポート役となった6両編成

最後まで最前線で活躍した4両に対して、晩年に使い方が変わったのは6両でした。
高性能化後は4両よりも多い10編成が在籍し、4251Fから4260Fまでに整理されていました。

改造が終わってからの6両は、他形式との併結により急行等でも使われるようになり、4000形の4両と組んだオール4000形も見ることができました。
前後で形態が揃っていることから、編成美はなかなかのもので、小田急顔の形式では珍しい存在だったといえます。

運用上の制約が減った4000形でしたが、9000形や8000形等と比較した場合には、必ずしも万能ではない面もありました。
それは箱根登山線への入線が禁止されていたことで、急行で運用される場合には、小田原止まりや江ノ島線での運用に限定されることとなります。

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運用上の制限はありつつも、優等列車での活躍も多かった4000形でしたが、晩年にはその前提が変わってしまいます。
それは2000年のダイヤ改正で起こったもので、箱根登山線に乗り入れる急行が1時間に4本となり、4000形が優等列車で活躍できるシーンが減少しました。
2002年には江ノ島線に湘南急行が登場しますが、10両で走るタイミングを含む運用の中に、少しでも箱根登山線に乗り入れる列車がある場合、4000形を充当できない状態となりました。

全く10両での運行がなかったわけではありませんが、このような前提の変化により4000形は6両単独での走行機会が増加し、晩年は各駅停車を中心に活躍するようになります。
最後まで最前線で活躍した4両とは異なり、晩年らしい過ごし方だったといえそうですね。

おわりに

92両と決して多くはない両数だったものの、4両と6両の編成が存在した4000形。
オール4000形に遭遇すると嬉しかったものですが、晩年はそう多くは見られない貴重な存在となってしまいました。