既に70年以上の歴史をもち、長きに渡って行われている小田急から箱根登山線への乗り入れ。
新宿と箱根湯本の間を通して運転するのは特急のみとなりましたが、都心部と観光地を結ぶ大切な役目を担っています。

年々輸送力を増強してきたにもかかわらず、2000年代以降ではそれを削減することになった乗り入れですが、どのような歴史を歩んできたのでしょうか。

輸送力の増強が続いた箱根登山線への乗り入れ

今では当たり前となっている箱根登山線への乗り入れは、戦後間もない1950年に始まりました。
両線で軌間が異なるという問題がある中、それを三線軌条の採用で解決し、その他の諸問題も乗り越えてのスタートでした。

乗り入れが始まった当初、小田急からは2両や3両の列車が箱根登山線に入線しましたが、当時は今のような長編成が存在せず、小田急線内も短い編成の列車が標準でした。
やがて本格的なロマンスカーの時代が訪れると、3000形(SE)が8両で、続いて3100形(NSE)が11両で入線するようになり、特急については早々に現在と同等の輸送力となりました。
しかし、通勤型車両を使用する急行については、20m級の大型車が入線できないことから、2400形等の車体が短い中型車に限定される状態が続くこととなります。

昭和という時代が終わりに近付き、冷房車の割合も増加してくると、箱根登山線に乗り入れる車両が非冷房車ばかりという状態は、利用者にとって好ましいものではなくなってきました。
輸送力の面でも課題がある状況だったことから、混んでいて暑いという状態を解消するため、大型車の乗り入れを可能とする改良工事が行われます。
改良工事の完了後、1982年より大型車の乗り入れが開始され、急行は多くが冷房車の6両となりました。

両数の削減と運行本数の減少

大型車の6両が入線できるようになったことで、箱根登山線に乗り入れる急行は輸送力が最大化されましたが、1時間に2本程度の運行が基本であり、箱根登山鉄道の短い車両も小田原から箱根湯本の間を走っていました。
見方を変えれば、列車によって輸送力には大きな差がある状態で、まだまだ改善の余地があったといえます。

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このような状態を解消するため、2000年に箱根登山線に乗り入れる急行の増発が行われ、日中は1時間に4本の急行が走るようになりました。
日中の小田原から箱根湯本の間は、小田急の車両のみが走るようになりましたが、2006年には全日に渡ってそのような状態となり、箱根登山鉄道線内ながら営業運転を行うのは小田急の車両のみという、やや不思議な区間となります。

こうして輸送力が最大化された状態となった箱根登山線内でしたが、2008年には逆の現象が発生します。
小田急線内の分割併合が大幅に削減されたことに関連し、急行が箱根登山線に乗り入れることがなくなり、特急以外は4両の各駅停車のみとなってしまいました。
その各駅停車も、やがて箱根登山線内を往復する列車がほとんどとなり、小田原を跨いで走る列車はほぼなくなりましたが、2022年のダイヤ変更では運行本数も削減され、一時期よりも輸送力が落とされた状態となっています。

おわりに

輸送力の増強を続けつつも、近年は逆の動きとなってきた箱根登山線への乗り入れ。
2024年以降に行われるであろうダイヤ改正において、輸送力の増強はあるのでしょうか。