箱根登山線の小田急が乗り入れる区間内にあり、かつてはドアカットで有名だった風祭駅。
ホームの延長によりドアカットは終了しましたが、箱根登山線内を走る列車が4両化される原因の一つにもなっています。
そんな風祭には、駅の改良後も構内踏切が残っていましたが、廃止によりひっそりと姿を消しました。
昔はホームが短く、停車する小田急の車両は1両のドアのみを使って客扱いを行っており、それがドアコックを使用した珍しい運用だったため、注目を集める駅でもありました。
2008年のダイヤ改正以降はドアカットを廃止し、延長したホームを使用する状態となりましたが、小田急から急行が乗り入れることがなくなり、4両の各駅停車での運用に変更されます。
駅の改良が行われた後も構内踏切は残り、上り線側にある改札口と上下線のホームを繋いでいました。
小田急線内からは既に構内踏切が消えており、箱根登山線内で見ることができる光景は、令和という時代において貴重なものとなっています。
翌日の10月1日からは新南口の使用が開始され、上下線の各ホームには改札を通って出入りするようになっています。
構内踏切がなくなったことで、駅構内は以前よりすっきりした状態となっています。
枕木の色が異なっていることが、そこに構内踏切があったことを物語っていますが、やがて周囲と同化して分からなくなってしまうのでしょう。
通路側は新たに設けられた柵で塞がれ、関係する設備も既に撤去されていました。
こちらは駅に隣接する踏切がなく、駅舎の位置関係も構内踏切を廃止するには都合が悪いですが、今後の動向が気になる存在となりそうです。
ホームの延長によりドアカットは終了しましたが、箱根登山線内を走る列車が4両化される原因の一つにもなっています。
そんな風祭には、駅の改良後も構内踏切が残っていましたが、廃止によりひっそりと姿を消しました。
風祭駅に残っていた構内踏切
小田急の車両が走行する区間内において、中間地点に位置するのが風祭駅です。昔はホームが短く、停車する小田急の車両は1両のドアのみを使って客扱いを行っており、それがドアコックを使用した珍しい運用だったため、注目を集める駅でもありました。
2008年のダイヤ改正以降はドアカットを廃止し、延長したホームを使用する状態となりましたが、小田急から急行が乗り入れることがなくなり、4両の各駅停車での運用に変更されます。
駅の改良が行われた後も構内踏切は残り、上り線側にある改札口と上下線のホームを繋いでいました。
小田急線内からは既に構内踏切が消えており、箱根登山線内で見ることができる光景は、令和という時代において貴重なものとなっています。
構内踏切を廃止した後の風祭駅
ホームの延長後も使われてきた風祭の構内踏切ですが、2023年9月末日をもって廃止となりました。翌日の10月1日からは新南口の使用が開始され、上下線の各ホームには改札を通って出入りするようになっています。
構内踏切がなくなったことで、駅構内は以前よりすっきりした状態となっています。
枕木の色が異なっていることが、そこに構内踏切があったことを物語っていますが、やがて周囲と同化して分からなくなってしまうのでしょう。
通路側は新たに設けられた柵で塞がれ、関係する設備も既に撤去されていました。
おわりに
風祭の構内踏切が廃止されたことで、箱根登山線内で小田急の車両との組み合わせが見られるのは、入生田のみとなりました。こちらは駅に隣接する踏切がなく、駅舎の位置関係も構内踏切を廃止するには都合が悪いですが、今後の動向が気になる存在となりそうです。
コメント
コメント一覧 (6)
ワタシダ
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置き換え予定が小田急8000形でなく東急9000系になる事から小田急タイプで構内踏切の組合せ再現とはならないのが残念でしょうか
ワタシダ
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その中でも今回の風祭はドアカットが行われた頃は九品仏や等々力など東急大井町線の一部駅に似たような構造が特徴でした(上りホーム裏側に旧上り線の跡がしれっと見えており、改良工事の痕跡を垣間見ることができます)。廃止後にホーム間を繋げる連絡通路を設置する計画も今のところ囁かれとらず、構内踏切も廃止されたということは上下別々になるということでしょうか(となれば改良工事中の代々木八幡などと似たような形になるのでしょうか)?
ワタシダ
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構内踏切は小田急では覚えていません。近隣では地下化前の京王線幡ヶ谷駅がそうでしたね。昭和50年代中頃まであったでしょうか。
ワタシダ
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