現在も複線のままで残り、昔ながらの地上区間が続く小田急の新宿付近。
代々木八幡の先まで続く地上区間は、短いながらもどこか懐かしい貴重な風景となっています。

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都心部では高架化や地下化が行われたケースが多い中、小田急の地上区間はなぜ残ったのでしょうか。
ふと疑問に思ったので、その背景を考えてみました。

約3kmが残る都心部の地上区間

起点の新宿を出発した小田急の小田原線は、地上ホームと地下ホームから線路が合流し、早速地上区間が始まります。
新宿付近の地上を走る路線はいくつもありますが、小田急の特徴は多くの踏切が現在も残っていることで、都心部では貴重な存在でもあります。

新宿寄りの地上区間は、南新宿、参宮橋、代々木八幡と続き、その先で東京メトロの千代田線を上下線間に挟みつつ、代々木上原に向かって高架区間となっていきます。
地上区間には現在も12ヶ所の踏切が残っており、これだけまとまった数が健在なのは、都市部だと珍しいかもしれません。

昔ながらの地上区間がよく残ったものだと常々思っていましたが、踏切との関係を考えた際にふと思うことがありました。
踏切の数自体は多いものの、交通量が極端に多い場所はなく、歩行者の利用が中心となっているものが多いということです。
交通量が多い道路の多くは基本的に立体交差となっており、ラッシュ時やタイミングによって渋滞する踏切はあるものの、地上区間が残ることに繋がったのかもしれません。

なぜ地上のまま残ることができたのか

立体交差が多いとはいえ、開かずの踏切となっている場所もあります。
そのような状況でなぜ残ったのかを考えてみたところ、元々立体交差となっていた場所が多いことに気付きました。

新宿駅から順番に見ていくと、小田急が開業した当初から甲州街道は跨線橋だったようで、いきなり立体交差から始まっていました。
南新宿と参宮橋の間にある道路についても、開業時からと断定はできなかったのですが、かなり古くから立体交差で、駅名の由来となった参宮橋についても、開業当初からの橋でした。
その上を通る首都高速4号新宿線についても、当然のことながら最初から立体交差ということになります。

その先にはしばらく交通量が多い道路はなく、代々木八幡の先で山手通りと立体交差します。
山手通りは戦後にできた道路であり、これもまた最初から立体交差だったことになります。
都市計画との関係も当然あるのでしょうが、最初からこれだけ立体交差となっていれば、他にも優先すべき場所が多い中で、小田急を高架化したり地下化する必要はなかったのかもしれませんね。

おわりに

開かずの踏切という問題は残っているものの、これからも今のまま残ると思われる新宿付近。
どこか懐かしい風景の中を走る小田急を見ていると、ちょっとした安心感を覚えるのは私だけでしょうか。