相鉄や横浜市営地下鉄の延伸開業により、江ノ島線内での立ち位置が逆転した長後と湘南台。
立場が逆転した駅は小田急線内にいくつかありますが、長後と湘南台は設備の違いがその状態を象徴しており、興味深い関係となっています。
元々の主要駅だった長後と、それを追い抜くように発展した湘南台ですが、利用者数が逆転したのはいつのことだったのでしょうか。
長後には急行が、湘南台には快速急行も停車しますが、待避線は格下の駅である長後に設けられています。
1929年に開業した江ノ島線ですが、当時は湘南台が存在しておらず、長後のみが設けられていました。
湘南台が開業するのは1966年のことで、かなり後発の駅だったことが分かります。
昔の湘南台は急行が停車せず、主要駅としての地位は完全に長後にありました。
そんな両駅の関係に大きな変化をもたらしたのは、1999年に相次いで延伸開業した二つの路線で、3月10日に相鉄のいずみ野線、8月29日に横浜市営地下鉄の1号線が繋がり、乗換駅として大きく発展することとなりました。
2002年に運行を開始した湘南急行は、湘南台に停車しつつも長後を通過する列車種別とされ、続いて登場する快速急行も同様となっています。
停車駅の設定は両駅の関係が逆転したことを物語っており、運行開始時には複雑な気持ちだったことを覚えています。
しかし、地元の反対が強かったことから乗換駅は湘南台となり、その後の結果は言うまでもありません。
接続路線の増加により立場が逆転した両駅ですが、2022年度の1日平均乗降人員において、既にダブルスコア以上の差がついています。
具体的には、長後が30,546人なのに対して、湘南台が82,372人となっており、圧倒的な差となってしまいました。
年々差が開く両駅ですが、相鉄と横浜市営地下鉄が延伸開業してから逆転したのかというと、そうではありません。
1日平均乗降人員が逆転したのは1995年度のことで、長後が49,244人なのに対して、湘南台が50,432人となりました。
前年の1994年度については、長後が50,082人、湘南台が49,758人となっており、僅差の状態から逆転へと至っています。
待避設備が長後にあるため、各駅停車は通過待ちという対応になりますが、優等列車の待ち合わせが湘南台でできないのは、少々都合が悪いといえそうですね。
立場が逆転した駅は小田急線内にいくつかありますが、長後と湘南台は設備の違いがその状態を象徴しており、興味深い関係となっています。
元々の主要駅だった長後と、それを追い抜くように発展した湘南台ですが、利用者数が逆転したのはいつのことだったのでしょうか。
立場の逆転が発生した長後と湘南台
江ノ島線内の中間付近に、長後と湘南台という二つの駅があります。長後には急行が、湘南台には快速急行も停車しますが、待避線は格下の駅である長後に設けられています。
1929年に開業した江ノ島線ですが、当時は湘南台が存在しておらず、長後のみが設けられていました。
湘南台が開業するのは1966年のことで、かなり後発の駅だったことが分かります。
昔の湘南台は急行が停車せず、主要駅としての地位は完全に長後にありました。
そんな両駅の関係に大きな変化をもたらしたのは、1999年に相次いで延伸開業した二つの路線で、3月10日に相鉄のいずみ野線、8月29日に横浜市営地下鉄の1号線が繋がり、乗換駅として大きく発展することとなりました。
2002年に運行を開始した湘南急行は、湘南台に停車しつつも長後を通過する列車種別とされ、続いて登場する快速急行も同様となっています。
停車駅の設定は両駅の関係が逆転したことを物語っており、運行開始時には複雑な気持ちだったことを覚えています。
利用者数が逆転したのはいつなのか
利用者数という面で立場が逆転した長後と湘南台ですが、相鉄や横浜市営地下鉄は長後に繋がる予定だったといわれています。しかし、地元の反対が強かったことから乗換駅は湘南台となり、その後の結果は言うまでもありません。
接続路線の増加により立場が逆転した両駅ですが、2022年度の1日平均乗降人員において、既にダブルスコア以上の差がついています。
具体的には、長後が30,546人なのに対して、湘南台が82,372人となっており、圧倒的な差となってしまいました。
年々差が開く両駅ですが、相鉄と横浜市営地下鉄が延伸開業してから逆転したのかというと、そうではありません。
1日平均乗降人員が逆転したのは1995年度のことで、長後が49,244人なのに対して、湘南台が50,432人となりました。
前年の1994年度については、長後が50,082人、湘南台が49,758人となっており、僅差の状態から逆転へと至っています。
おわりに
延伸開業の前から利用者数の逆転が発生し、その後は差を拡大していった長後と湘南台。待避設備が長後にあるため、各駅停車は通過待ちという対応になりますが、優等列車の待ち合わせが湘南台でできないのは、少々都合が悪いといえそうですね。
コメント
コメント一覧 (21)
地下鉄開業後は、道路も湘南台方面へ向かうルートがメインに切り替えられました。
そうそう湘南台って、湘南なのに台なのか?って思ってました。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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小田急も駅の改良工事を行ってましたが
何故2面4線の構造にしなかったんですかね。
ワタシダ
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あれだけ狭ければ後の発展も難しい
ワタシダ
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まぁでも長後だって湘南台では拾えない綾瀬市の玄関口としての役割は続いているし、大きい役割があるだけまだいいんじゃないですか?駅設備もそうだけどそのおかげでまだ急行は停まれてるわけだし。
ワタシダ
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長後のバスターミナル、特に西口は全く拡張の余地がなく、東口のバスターミナルができたのもつい最近とかなり遅れました。
湘南ライフタウンへのバスも道路事情からして長後や六会日大前への乗り入れはほぼ不可能で、湘南台発着以外ではバスの増発もほぼ無理だったのでしょう。
SFC以外の住宅地からのバスによる集客力も加わり、加えて相鉄や地下鉄も入ってさらに集客力がアップして結果として急行停車駅の地位を獲得したと言えるでしょう。
ワタシダ
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長後は、古くからの町並みが既に飽和状態だったことが、利用者が大きく変わらなかった一因かと思っています。また、駅のない綾瀬市とのつながりが強く、例えば住民票、今ではコンビニや他市の役所でも取ることができますが、それができなかった時代でも、長後にある藤沢北郵便局で綾瀬市の住民票が取れました。バス便で長後に行く人が多かったことの裏返しかと。
湘南台は、SFCより人口そのものが増えていることが利用増への寄与が大きいかと。
いすゞが自家用車の生産を止めたとき、社宅が結構大規模な集合住宅になりました。駅チカを含めあちこちで。その後、駅徒歩圏内ホームセンターもマンションに変わるなど、辻堂地域とともに人口増加の拠点となり、横須賀を追い抜き政令3市を除く神奈川の勇となった藤沢市の発展に寄与していると思います。勿論、交通の便が良くなったことが大きかったのでしょう。
ただ、駅東口周辺は、20数年と比べ、感覚的にクルマの交通量が減ったのが気になります。
長くなりました。すみません。
閑話休題
≫9
ドリーム交通の小田急との接続構想は、ルール上に家々が立ち並ぶ長後ではなく、六会だったかと。
ワタシダ
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ただ、地形図を見ると、東側にモノレールを付けるのは当時既に難しそうで、一度小田急線を高架で越してから西側にホームを造るしかないように見えるので、その辺がどのように影響したか、さらにはモノレールそのものが軌道亀裂により運行停止してしまったので、仮に延伸が実現していたとしても、結局その後の発展は望めなかったかもしれませんが…。
ワタシダ
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お手数により、失礼しましたm(_ _)m
ワタシダ
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あざみ野駅の利用客数は横浜市地下鉄延伸の翌年にたまプラーザに大差を付け抜かれましたが、現在に至るまで乗降客数の半数超は地下鉄乗換であり「乗換客が多いだけの小駅」です(この点は菊名や中央林間も同様)。
地下鉄あざみ野駅エレベーターが乗換動線上にない(やや離れた位置にある)のは、地下鉄たまプラーザ延伸が実現しなかったため東急側の協力が得られなかったことによります。
やはり実現しなかった鉄道のことを妄想すると面白くなりそうですが、もし川崎市地下鉄が実現していたら、宮前平は準急停車駅になっていた可能性大ですね(4駅連続停車を避ける観点から急行はおそらく通過)。
ワタシダ
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地下鉄延伸を反対していたのは「横浜に買い物客が流出する」のが理由だったようです。
湘南台は工業団地とその社宅があり元々人口が急増していた地域ですが1990年の慶應大学の開設が長後との立場逆転の決定打となりましたね。
ワタシダ
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ワタシダ
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寂しい
ワタシダ
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相模大野から追浜まで通勤していた時に湘南台でブルーラインが始発からゆっくり座れて、比較的乗り換えやすい上大岡から特急に乗れるのは良かったです
横浜線で横浜乗り換えだと京急のホーム上はもはや戦場でしたからね
ただし京急さんは混む特急に2ドアボックスシートの2100形を使う辺り鬼かと👹
ワタシダ
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ワタシダ
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