通勤型車両は千の位、特急型車両は万の位で形式を設定し、現役の車両は統一が図られている小田急。
過去には百の位で区切るケースも多くありましたが、製造両数の増加に合わせて現在のスタイルに落ち着きました。

様々な形式が登場し、世代交代を繰り返してきた小田急ですが、過去には十の位で区切られた形式も僅かながら存在します。
その場合には20で区切ることがありましたが、どのような事例が存在するのでしょうか。

形式自体を20で区切るケース

沿線が大きく発展する前、小田急が保有する車両の数は、現代とは比較できないほど少ないものでした。
当然のことながら、1形式あたりの製造両数は少なく、用途の違い等で形式を細かく区切ることもあり、その場合は十の位が使われました。

形式を20で区切ったケースとして、珍車の部類といえるのは、国鉄の事故復旧車として入線した1820形があげられます。
国鉄の40系と42系で事故廃車となった車両を譲受したもので、モハ60050がクハ1871(入線当初はクハ1661)に、モハ42004がデハ1821となりました。
後の更新時に1800形へと編入され、最終的には1811Fとして活躍することになります。

小田急初の高性能車となった2200形には、派生形式として2220形と2320形が登場しました。
2220形は2200形を4両固定編成として、搭載する機器のマイナーチェンジを図った車両でしたが、後に2両化が行われています。
同様の流れで登場したのが2320形で、こちらは格下げされる2300形に合わせた仕様で登場し、準特急に使われますが、後に2200形等と合わせた仕様に改造されました。

形式を20で区切ったのはこれらの3形式ですが、10で区切った形式としては1910形があり、1900形を特急仕様とした車両でした。
不思議なケースとしては百の位で区切ったキハ5100形があり、僅かに2両だったキハ5000形のマイナーチェンジにもかかわらず、キハ5010形とはされていません。

車両の番号を20で区切るケース

形式だけではなく、車両の番号にも20で区切ったケースが存在します。
事例はそこまで多くありませんが、どちらも若干強引に感じるものとなっています。

有名な事例としては、ロマンスカーの3100形(NSE)と10000形(HiSE)でみられたものがあり、11両の連接車だったことが影響しています。
これらの2形式は、車両の番号を新宿方から1ずつ足していきますが、小田原方が11となってしまうため、次の編成は21から始まるといったように、20ずつで区切ることとなりました。

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晩年に8両固定編成化が行われた2600形についても、20で区切る対応が行われました。
これは編成中に6両の電動車が存在したためで、百の位で区切ると3000番台に入ってしまうことから、小田原方の4両は20で区切ることで回避しています。

おわりに

様々な事情により、20という中途半端な数字で区切られた小田急の車両。
製造両数が多くなった現代においては、このような区切り方はもう発生しないかもしれませんね。