古くから城下町として栄え、現在も箱根観光の拠点として賑わう小田原。
その中心である小田原駅は、小田急小田原線の終点でもあり、他にも多くの路線が乗り入れるターミナル駅となっています。
小田急については、吹き抜けの大きな屋根が印象的な駅となっていますが、かつては暗くて狭い地下通路で各路線が結ばれていました。
橋上駅舎化によりなくなった地下通路ですが、現在はどうなっているのでしょうか。
具体的には、JR東日本の東海道線、JR東海の東海道新幹線、伊豆箱根鉄道の大雄山線、それに小田急の小田原線と箱根登山鉄道の鉄道線が加わります。
古くからターミナル駅として栄えた小田原ですが、昔は現在のような橋上駅舎ではなく、地下に駅舎や通路が存在しました。
小田急のホームにも地下へと繋がる階段が設けられており、狭くて暗い通路であるばかりか、大雨の際には冠水してしまうというような問題もあったようです。
改札口自体も地下に設置されており、現在の開放的な雰囲気とは何もかもが異なっていました。
そんな小田原が橋上駅舎化されたのは2003年のことで、小田急とJR東日本の駅は姿を大きく変えています。
広々とした自由連絡通路の設置により、観光地の玄関口にふさわしい設備を備える駅へと変わりました。
橋上駅舎化後に埋められたといわれていますが、何かしらの痕跡はあるのでしょうか。
小田原のホームに立つと、かつて地下通路が設けられていた場所には、それらしき跡が今も残っていました。
昔の映像等を見て確認すると、この付近のホーム上には地下への階段があり、位置関係も合っているようです。
この下が埋められているのか、それとも何かしらの状態で残っているのかは定かではありませんが、昔の姿を今に伝える数少ない痕跡となっています。
大雨の頻度が高くなっている現代において、橋上駅舎化という改良工事が行われたことは、かなりプラスに作用したといえそうですね。
その中心である小田原駅は、小田急小田原線の終点でもあり、他にも多くの路線が乗り入れるターミナル駅となっています。
小田急については、吹き抜けの大きな屋根が印象的な駅となっていますが、かつては暗くて狭い地下通路で各路線が結ばれていました。
橋上駅舎化によりなくなった地下通路ですが、現在はどうなっているのでしょうか。
小田原駅にかつて存在した地下通路
小田急の終点であり、箱根登山線の起点でもある小田原駅には、多くの路線が乗り入れています。具体的には、JR東日本の東海道線、JR東海の東海道新幹線、伊豆箱根鉄道の大雄山線、それに小田急の小田原線と箱根登山鉄道の鉄道線が加わります。
古くからターミナル駅として栄えた小田原ですが、昔は現在のような橋上駅舎ではなく、地下に駅舎や通路が存在しました。
小田急のホームにも地下へと繋がる階段が設けられており、狭くて暗い通路であるばかりか、大雨の際には冠水してしまうというような問題もあったようです。
改札口自体も地下に設置されており、現在の開放的な雰囲気とは何もかもが異なっていました。
そんな小田原が橋上駅舎化されたのは2003年のことで、小田急とJR東日本の駅は姿を大きく変えています。
広々とした自由連絡通路の設置により、観光地の玄関口にふさわしい設備を備える駅へと変わりました。
今も残る地下通路の跡
地下にあった設備を、全てホームの上に移動する大工事を行った小田原ですが、気になるのは地下通路のその後です。橋上駅舎化後に埋められたといわれていますが、何かしらの痕跡はあるのでしょうか。
小田原のホームに立つと、かつて地下通路が設けられていた場所には、それらしき跡が今も残っていました。
昔の映像等を見て確認すると、この付近のホーム上には地下への階段があり、位置関係も合っているようです。
この下が埋められているのか、それとも何かしらの状態で残っているのかは定かではありませんが、昔の姿を今に伝える数少ない痕跡となっています。
おわりに
下から上に移り、諸問題を抜本的に解決した小田原駅。大雨の頻度が高くなっている現代において、橋上駅舎化という改良工事が行われたことは、かなりプラスに作用したといえそうですね。
コメント
コメント一覧 (23)
今は今で本当に便利になりましたが、今も記憶に残る旧駅舎と地下道。大雨が降ると冠水してしまい椅子が設置されてそれを歩いて東西の改札や小田急の改札へ。そしてよくお世話になったのが大雄山線の入り口付近にあったラーメン屋。
安くて美味しく何度も何度もお世話になりました。
ワタシダ
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薄暗い地下通路で大雨の日はよく冠水してました。
改札入った所に小便小僧と小田原提灯がありましたね。改札横には皇室の車寄せがあり、駅としては古いです。
ミナカの入口に当時の景色のマンホールあり、JRの改札の右上には写真が飾ってあります。
小田原に来た時はチェックしてください❗️
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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海側から小田急乗るのに 不便になりました。
ワタシダ
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今は前の方が見えない(見えにくい)し、登山電車来ないのに登山電車のりば。の看板あるし。www
地下通路、狭くて天井も低かった。😅
階段降りるとちょっと冷っとしてた記憶が・・・
ワタシダ
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原因は西口側広場の排水設備の問題で、地下道自体が悪かった訳ではなかったみたいですね。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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かれこれ40〜50年前の当時と比べ、駅舎ばかりか周辺の街並みも見違えるほど綺麗になりましたね。
それにしても、あの地下通路がその後どうなったか………………って、結局わからんのかーい(笑)
ワタシダ
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半地下通路を拡幅延長して小田地下に繋げるのが最も利便性が良いのは自明でしたが、工事資金が掛かり過ぎるという理由で現在の跨線式の通路が選ばれました。「だったら、地下通路もそのまま残して」とい要望もありましたが、老朽化が進んでいて安全性を確保できないと言う理由で却下。では自転車2台がすれ違える程度の幅に狭めて補強工事するくらいなら大してお金も掛からないんじゃないの?って思いますが、実は、地下通路を残すと併設される駅ビルへの集客が見込めないと言う生々しい裏事情がありました。跨線橋を駅ビルに貫通させ、鉄道会社は見事に税金使って潤っているいるわけです。
ワタシダ
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新幹線からは独立している小田急西口改札がありますが、やはり東口への連絡通路から小田急に乗り換えてました。
大雄山線にも小さな連絡改札があり、小田急箱根登山のキップでも大雄山線連絡改札で乗換できました。
幼いながらも東口小田原地下街から連絡通路の真下に自由通路作り西口まで繋げば西口側住民も買い物しやすいのに…と思ってました。
ワタシダ
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地下通路は作業専用に残されているらしいです(入口は鍵付に交換され一般立入厳禁)。
ワタシダ
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地下乗り換えだと、小田急側では、小田急とJRの切符を重ねて入れなければならず、例えば小田急の磁気定期とJRの普通回数券のように、サイズが違う切符を重ねて通すのが至難の業でした。
これをいかに要領よく通して短時間接続をうまく乗り換えるかが醍醐味だったのが懐かしいです
ワタシダ
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小田急の改札を抜けると、そのあとJRと共用の地下通路を通って
JR改札を抜けて外に出ていた(2回改札があった)ので
小田急の下車客が、小田急の自動改札機を通った際にきっぷを取り忘れる事象が頻発し、
気づいたら取り忘れた前の乗客の切符になっていた…ということもありました。
ワタシダ
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そして↑こちらも大雨の時は冠水してました。
ワタシダ
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自由通路ではないという致命的な欠点はありましたが、ぶっちゃけ東口(表口)から小田急ホームに行くには昔の方が早くてはるかにラクでした笑
ワタシダ
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あと、私は見たことないのですが、国鉄・JRとの連絡線もあり、荷電が通って荷物の受け渡しを行なっていたそうです。
ワタシダ
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