東京メトロの千代田線で長く主力形式として活躍し、小田急やJR東日本の路線にも日常的に乗り入れていた6000系。
惜しまれつつ2018年に運行を終了しましたが、保存車が残っているほか、インドネシアで今も多数の編成が活躍を続けています。

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そんな6000系ですが、編成ごとの違いがあまりにも多く、乗り入れてくる他社の車両でありながら、小田急ファンを楽しませてくれました。
353両も造られながら、なぜ6000系はバリエーションが豊富な車両となったのでしょうか。

豊富だった6000系のバリエーション

千代田線の主となる6000系が登場したのは、1968年のことでした。
小田急に先代の5000形が登場したのは1969年のことで、6000系がいかに時代を先取りしていたのかが分かります。

試作車を2本造った6000系は、1970年より量産車の製造へと移行し、1990年まで増備が続けられます。
小田急に乗り入れた量産車だけでも、34本もの編成が最盛期には在籍し、小田原線と多摩線で日常的に見ることができました。

特徴的な前面や、地下鉄らしいデザインが目を引いた6000系ですが、編成による個体差が多いことも特徴の一つで、時が経つほどそれは増えていきました。
外見や内装の違いは当然のことながら、搭載する機器や貫通路の差異が次々に加わり、最終的には全く同じ仕様の編成が存在しないのではないかとまでいわれるようになります。
その違いを普段から意識することはそれほどありませんでしたが、撮った写真を見るとどの編成にも個性があり、6000系という車両の奥深さを改めて感じます。

仕様差を生んだ長期間の増備と車両更新

量産車は全てが10両編成で、運用上の違いがなかったにもかかわらず、なぜ6000系は編成ごとの差異が豊富となったのでしょうか。
その背景には、路線の発展に合わせて増備が長期間に渡ったことと、その後の断続的な改造が影響しています。

1970年に量産車が登場して以降、6000系は20年も増備が続けられました。
長期間の増備とはいっても、初期の18本がまとまって造られた以外、その後の増備は断続的なものとなっており、数年おきに数編成が登場する流れとなります。

このような増備の過程で仕様差が生まれ、途中から側窓の構造が大きく変わり、後期には内装の変化も目立ちました。
装備品にも多くの違いがあり、機器や台車の差異から、貫通扉の有無まで、時代に合わせた改良が次々に盛り込まれていきます。

製造時の差異に加えて、1988年から始まった更新工事により、編成ごとの差異は一気に増加することとなります。
同時期には冷房化も急ピッチで行われ、これらのかけ合わせでさらにバリエーションが増加しました。

増備と同様に更新も長期間に渡り、2007年まで続けられますが、最終的には一部の編成を未施工のまま廃車とする方針に変わり、これもまたバリエーションを増やすことに繋がりました。
更新の過程では、内装、側窓の改造、車内への案内装置追加等に差異が生まれ、これに制御装置の更新が加わったことでさらに違いが生まれます。

製造や更新での差異に加え、都度細かい改良も繰り返されたことから、とても全てを書くことはできないほどの差異が生まれ、趣味的な視点では面白い車両となっていきました。

おわりに

長期の使用を想定して更新が行われ、それが編成ごとの仕様差を生むことに繋がった6000系。
方針転換による早期の置き換えには、そういった多くの仕様差があるという点も影響したのかもしれませんね。