45年ぶりの新型車両として、1981年に登場した箱根登山鉄道の1000形。
ベルニナ号という愛称が設定されており、現在も全車両が現役で活躍を続けています。

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箱根登山線に新風を吹き込んだ1000形でしたが、よく見ると中間には2000形が挟まった3両編成になっています。
2両で活躍する2000形がある中、それらを3両にしておけばスマートなのにもかかわらず、なぜこのような組成になっているのでしょうか。

2両編成で登場した1000形

古い車両ばかりが活躍していた箱根登山鉄道に、久々の新型車両が登場したのは1981年のことでした。
1981年といえば、前年末に小田急の7000形(LSE)が登場したタイミングであり、小田急グループとして箱根への輸送を強化する時期だったのでしょう。

カラーリングは従来車と同様にロマンスカーと合わせられましたが、白の範囲が広げられたことでややイメージが異なるものとなりました。
2000形の登場後には、10000形(HiSE)に合わせたカラーリングに変更されますが、後にレーティッシュ鉄道に合わせたものに再度変更されています。

1000形は最終的に2編成が登場し、1984年に増備車が運行を開始しました。
増備された当時の箱根登山線は、箱根湯本から強羅までの各駅が2両での運転となっており、それに合わせた編成長とされたものです。
3両での運転が始まったのは1993年ですが、1000形は2両のままとされたため、短編成で走る状態が続くこととなります。

1000形はなぜ中間に2000形を挟んだのか

2両のままだった1000形が3両化されたのは、かなり時間が経過した2004年のことでした。
登場から20年以上を経て、中間車を追加する3両化が行われたことになります。

ようやく3両になった1000形ですが、中間車をよく見ると新造車ではないことに気付きます。
車両の番号は2201と2202となっており、2000形の中間車を挟んでいる状態となっているのです。

外見にほとんど違いがないため、他形式を挟んでいることによる違和感はありませんが、これらは元々2000形の第1編成と第2編成に組み込まれていたもので、わざわざ抜き出して1000形と組むようになりました。
1000形と2000形は主要機器が共通となっており、中間車を入れ替えることは比較的容易だったものと思われますが、なぜこんなややこしいことをしたのでしょうか。

主要機器が共通で、外見もよく似ている1000形と2000形ですが、決定的な違いとして冷房の有無がありました。
長く非冷房での活躍が続いた1000形は、時代に合わせて冷房化が行われることになったものの、改造には補助電源装置の交換が必要になるという問題がありました。
そこで、大容量の補助電源装置を搭載する2000形の中間車を活用し、交換を避けて改造費用を節約することとなり、1000形の中間に2000形を挟んだ3両が生まれました。
こうして異形式が繋がった不思議な3両が誕生し、今日に至るまでその状態が続いています。

おわりに

冷房化に合わせて2000形の中間車を組み込み、その後は3両で走るようになった1000形。
登場から40年以上が経過しましたが、引退の時期を迎えた際には、2000形に中間車を返すようなことはあるのでしょうか。