新宿から小田原までの82.8kmを一気に建設し、1927年4月1日に開業した小田急の小田原線。
郊外へと延びる鉄道であり、開業後の経営は苦しかったようですが、沿線とともに発展する歴史を歩んできました。
小田急の開業は今から100年近くも前のことであり、当時の記録はほとんど残っていません。
現代のように写真や映像が沢山残らない時代のことですが、開業日当日の様子はどのようなものだったのでしょうか。
後に江ノ島線と多摩線が加わりますが、小田原線は小田急の本線として発展を続け、箱根登山線に乗り入れて箱根湯本まで到達しています。
多数の路線を組み合わせたり、延伸を繰り返しつつ全通する路線が多い中、小田原線は新宿から小田原までを一気に開業し、当時の世間を驚かせました。
現在のように沿線が発展した状態ではなかったとはいえ、これだけの距離を一気に開業まで導くことは、容易ではなかったものと思われます。
開業当日はどんな様子だったのかを知りたいと思っていたところ、戦後の小田急で初代の社長を務めた安藤楢六氏の「私の履歴書」という著書において、当時の様子が書かれていました。
全線の工事を急ピッチで進めた小田急ですが、さすがに余裕がある状態ではなく、開業の認可がおりたのは前日の夕方でした。
ギリギリまで工事をしていたのかは不明ですが、なんとかして間に合わせたというところだったのでしょうか。
無事に開業の日を迎えた小田急でしたが、当日のダイヤは大混乱に陥ってしまったそうです。
急いで工事を進めた反動か、列車の遅延や設備の故障が続出したそうで、電車がなかなか来ないという悲惨な状況となってしまいました。
設備の故障は信号等だったようですが、経験者の採用を意図的に避けたという経緯があり、乗務員も不慣れという状況で、負のスパイラルに陥ってしまったのでしょう。
小田急の混乱は翌日も続いたようで、正常化したのは3日目ぐらいだったそうです。
修理は社員総出で行われたとのことですが、今の時代では考えられないような、勢いに溢れた開業だったといえそうです。
開業当時から見え隠れする働く人々のエネルギーが、今日の発展へと繋がっていったのかもしれませんね。
郊外へと延びる鉄道であり、開業後の経営は苦しかったようですが、沿線とともに発展する歴史を歩んできました。
小田急の開業は今から100年近くも前のことであり、当時の記録はほとんど残っていません。
現代のように写真や映像が沢山残らない時代のことですが、開業日当日の様子はどのようなものだったのでしょうか。
全線を一気に開業した小田原線
東京都から神奈川県へと路線を広げる小田急は、1927年4月1日に開業した小田原線から歴史が始まりました。後に江ノ島線と多摩線が加わりますが、小田原線は小田急の本線として発展を続け、箱根登山線に乗り入れて箱根湯本まで到達しています。
多数の路線を組み合わせたり、延伸を繰り返しつつ全通する路線が多い中、小田原線は新宿から小田原までを一気に開業し、当時の世間を驚かせました。
現在のように沿線が発展した状態ではなかったとはいえ、これだけの距離を一気に開業まで導くことは、容易ではなかったものと思われます。
大混乱に陥った開業当日の小田急
現代において新たな路線が開業するとなれば、盛大な式典が催されて大々的に報道もされますが、小田急が開業したのは昭和の初期であり、残っている記録は限られます。開業当日はどんな様子だったのかを知りたいと思っていたところ、戦後の小田急で初代の社長を務めた安藤楢六氏の「私の履歴書」という著書において、当時の様子が書かれていました。
全線の工事を急ピッチで進めた小田急ですが、さすがに余裕がある状態ではなく、開業の認可がおりたのは前日の夕方でした。
ギリギリまで工事をしていたのかは不明ですが、なんとかして間に合わせたというところだったのでしょうか。
無事に開業の日を迎えた小田急でしたが、当日のダイヤは大混乱に陥ってしまったそうです。
急いで工事を進めた反動か、列車の遅延や設備の故障が続出したそうで、電車がなかなか来ないという悲惨な状況となってしまいました。
設備の故障は信号等だったようですが、経験者の採用を意図的に避けたという経緯があり、乗務員も不慣れという状況で、負のスパイラルに陥ってしまったのでしょう。
小田急の混乱は翌日も続いたようで、正常化したのは3日目ぐらいだったそうです。
修理は社員総出で行われたとのことですが、今の時代では考えられないような、勢いに溢れた開業だったといえそうです。
おわりに
大混乱でスタートした小田急の歴史でしたが、その後の大発展は今更語るまでもないでしょう。開業当時から見え隠れする働く人々のエネルギーが、今日の発展へと繋がっていったのかもしれませんね。
コメント
コメント一覧 (7)
ここ最近ダイヤ改正無いけど。
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新車の1形が、経堂工場に到着しているのに、まだ線路が仮線のような枕木のみの線路に置かれていて、建屋やホームも不完全な写真が残されていますよね。
それから開通からしばらくは、各所に単線区間が残っていて、追加工事で複線化されているなど、なんとか「暫定開業」にこぎ着けたような感じだったのではと思います。
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小田急の場合は2年後に江ノ島線が開業しとるのでその分新線建設ラッシュで余裕のない状態やったことが分かります。他の路線は本線の一部のみが完成した状態やったことを考えると如何に小田急が全線開業に必死で拘ったか当時の関係者が汗水流した上での努力が偲ばれると言えるでしょう。
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