西武に譲渡されることが決まり、今後の新たな活躍が注目されている小田急の8000形。
置き換え対象は8000形よりも若い2000系ということになりそうで、車齢の面では今よりも古い車両に交代することとなります。
交代の決め手は、どの程度の車両更新が行われていたのかという点になりますが、そもそも西武で8000形と同時期に生まれた車両はどの形式なのでしょうか。
既に安定した技術を採用した5000形に対し、車体の構造やデザイン、足回りを中心に従来車からの変更が加えられています。
2200系列や2400形を置き換えることになる8000形は、1982年の終わりに最初の編成が登場しました。
営業運転は1983年3月22日より開始され、1987年までに4両と6両が16本ずつ、合計160両が製造されています。
当時の小田急としては平均的な増備両数でしたが、4両と6両の編成数が揃えられており、バランスのよい陣容となりました。
8000形が増備されていた時期は、VVVFインバーター制御を採用した車両が少しずつ登場していた頃で、技術の過渡期というべき時代でした。
界磁チョッパ制御という一世代前の技術を採用した8000形でしたが、リニューアルの際にVVVFインバーター制御へと改造され、それが結果として西武に譲渡される決め手となっています。
2000系自体は1977年に登場した形式ですが、現在残っているのはほとんどが新2000系と呼ばれる車両で、1988年以降に増備されたグループです。
1988年といえば、小田急では1000形の増備に移行していた時期で、西武が新交通システム以外で本格的にVVVFインバーター制御を採用するのは、1992年に登場する6000系を待つこととなります。
そんな西武において、8000形と同世代の車両が2000系なのかというと、必ずしもそうではない面があります。
小田急が8000形を増備していた時期において、西武では101系、301系、2000系の製造が重なりますが、もう1形式忘れてはいけない車両が存在します。
8000形と同世代の車両といえば、1983年から1987年にかけて登場した3000系があり、製造時期の重なりという点では、最も8000形と近い存在といえるかもしれません。
3000系は足回りを2000系、車体を101系としたような車両で、かつての西武らしい3扉の車両でした。
その扉配置を理由として、3000系は2000系よりも先に引退することとなりましたが、この時期に製造した車両の仕様が、結果として8000形の受け入れに繋がっていることを思うと、未来を見据えて設計することの難しさを実感します。
そういった面で8000形は本当に幸運な車両であり、置き換えられる車両の分まで、力強く走ってもらいたいものです。
置き換え対象は8000形よりも若い2000系ということになりそうで、車齢の面では今よりも古い車両に交代することとなります。
交代の決め手は、どの程度の車両更新が行われていたのかという点になりますが、そもそも西武で8000形と同時期に生まれた車両はどの形式なのでしょうか。
小田急8000形が増備された時期
合計160両が造られた8000形は、小田急における昭和の終わりを代表する通勤型車両です。既に安定した技術を採用した5000形に対し、車体の構造やデザイン、足回りを中心に従来車からの変更が加えられています。
2200系列や2400形を置き換えることになる8000形は、1982年の終わりに最初の編成が登場しました。
営業運転は1983年3月22日より開始され、1987年までに4両と6両が16本ずつ、合計160両が製造されています。
当時の小田急としては平均的な増備両数でしたが、4両と6両の編成数が揃えられており、バランスのよい陣容となりました。
8000形が増備されていた時期は、VVVFインバーター制御を採用した車両が少しずつ登場していた頃で、技術の過渡期というべき時代でした。
界磁チョッパ制御という一世代前の技術を採用した8000形でしたが、リニューアルの際にVVVFインバーター制御へと改造され、それが結果として西武に譲渡される決め手となっています。
8000形と同時期に造られた西武の車両
今後西武への譲渡が行われる8000形ですが、導入路線となる国分寺線では、現在2000系という車両が使われています。2000系自体は1977年に登場した形式ですが、現在残っているのはほとんどが新2000系と呼ばれる車両で、1988年以降に増備されたグループです。
1988年といえば、小田急では1000形の増備に移行していた時期で、西武が新交通システム以外で本格的にVVVFインバーター制御を採用するのは、1992年に登場する6000系を待つこととなります。
そんな西武において、8000形と同世代の車両が2000系なのかというと、必ずしもそうではない面があります。
小田急が8000形を増備していた時期において、西武では101系、301系、2000系の製造が重なりますが、もう1形式忘れてはいけない車両が存在します。
8000形と同世代の車両といえば、1983年から1987年にかけて登場した3000系があり、製造時期の重なりという点では、最も8000形と近い存在といえるかもしれません。
3000系は足回りを2000系、車体を101系としたような車両で、かつての西武らしい3扉の車両でした。
その扉配置を理由として、3000系は2000系よりも先に引退することとなりましたが、この時期に製造した車両の仕様が、結果として8000形の受け入れに繋がっていることを思うと、未来を見据えて設計することの難しさを実感します。
おわりに
昭和の終わりに造られた車両は、その後の改造の有無等により、明暗が分かれてしまったようにも思います。そういった面で8000形は本当に幸運な車両であり、置き換えられる車両の分まで、力強く走ってもらいたいものです。
コメント
コメント一覧 (6)
VSEも是非、長野電鉄で観てみたいです。
ワタシダ
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4扉車の2000系は、新宿線専用として投入され、当時逼迫していた乗降時間短縮を目論んだという話を聞きます。
また、普通車両で秩父観光を引き入れるために、快速急行奥武蔵と銘打って走らせるにあたって、座席数を多めにするため、3扉に拘ったとも。
しかし、3000系は僅かな編成数で製造を打ち切られ、西武自身4扉車増備に大きく舵をとる事になりました。
ワタシダ
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ワタシダ
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それに加えて足回りをアップデートしたという点でもキハ40などに通ずるものがあります。
ワタシダ
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関東大手私鉄では小田急で8000形が登場した頃の車両が徐々に廃車や引退の時期を迎える中、関西では経営事情上やむを得ないとはいえまだまだ全車両が現役です(近鉄1200系列や京阪6000系、阪急7000系列や南海6200系50番台及び9000系、阪神8000系)。その一方でそれらより古い車両の置き換えが絶賛進行中(小田急で2600形や旧4000形、そして旧5000形、西武では701系や801系、旧101系などと同時期に登場した車両たちが該当しますが、長くなるので詳細は割愛させて頂きます)の様子を見て正に東西で雲泥の差を実感させられるのは私だけでしょうか?
ワタシダ
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ワタシダ
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