その後に登場するロマンスカーの基礎となり、現在はロマンスカーミュージアムに3両が保存されている小田急の3000形(SE)。
8両の連接車として登場しましたが、国鉄の御殿場線に乗り入れを行うため、後に5両へと編成を短縮しました。

20210320_04

晩年は一部の編成が先に廃車となったり、国鉄との関係で延命が行われたりと混乱しましたが、1992年に残る全編成が引退しました。
最終的には3021Fが保存されましたが、そこに至るまでの経緯を振り返ってみたいと思います。

先行して廃車された2編成

編成短縮後のSEは5両が6編成の陣容に整理され、2編成を繋いだ重連で走行することも可能となりました。
御殿場線に乗り入れるあさぎり号のほか、さがみ号やえのしま号等で使われ、3100形(NSE)の代走として、重連ではこね号に充当される等、活躍の幅が広い車両となります。

1980年に7000形(LSE)が登場すると、増備の進展によってSEは余剰気味となり、1983年に第1編成である3001Fが廃車となります。
廃車後は大井川鉄道に譲渡され、小田急時代とほとんど変わらない姿で活躍しますが、1987年のダイヤ改正で運用から外れて休車となり、1993年に解体されてしまいました。
貴重な第1編成ではありましたが、残念な終わり方だったといえそうです。

残った編成については、1984年から車体修理が行われますが、第2編成である3011Fだけは対象から外され、4編成が順次更新されます。
3011Fは他編成の更新後は運用に入らず、1987年に廃車となってしまいました。

保存が予定されていた3011F

1980年代に2本が廃車となったSEですが、3011Fについては当初保存が予定されていました。
廃車後は海老名検車区に留置されていましたが、方針の変更により1989年に解体され、更新改造前の姿を残すSEは、大井川鉄道に移籍した3001Fのみとなります。

3011Fは国鉄線上で高速試験を行った編成で、そういった面でもSEの中では象徴的な存在でした。
保存予定とされたのは、そのような事情を考慮してのことと思われますが、留置線不足等を理由として解体されてしまい、これもまた残念な終わり方となっています。

残った4編成は、20000形(RSE)の登場まであさぎり号を中心に活躍を続けますが、1991年に定期運行を終了し、1992年のさよなら運転後に廃車となりました。
元々は保存予定がなかったものの、SEが持つ車両としての価値が認められ、3021Fの5両が最終的には保存されました。
その後中間車の2両が抜かれ、ロマンスカーミュージアムへと保存されていますが、状況の変化に振り回され続けた車両だったといえるのかもしれません。

おわりに

最終的に3021Fが保存されたSEですが、時系列を眺めると面白いことに気付きます。
1983年に3001Fが廃車されて大井川鉄道に譲渡、1987年に3011Fが廃車されて大井川鉄道では3001Fが運用離脱、1989年に3011Fが解体、1992年に残りの編成が廃車されて3021Fを保存、1993年に大井川鉄道で3001Fが解体、この気になる時系列はただの偶然なのでしょうか。