この記事が公開される頃、大きなトラブルが発生していなければ、小田急の50000形(VSE)はラストランに乗ることができた幸運な方々とともに、最後の力走をしていることでしょう。
前年の2022年に定期運行を終了し、それからは貸切列車等で活躍を続けてきましたが、そんな日々もまもなく終わりの瞬間を迎えようとしています。
私自身も何らかの形でお見送りをしていると思いますが、ついに引退となるVSEについて、遺した功績等を考えてみたいと思います。
EXEという車両を生んだことが正解だったのかどうかは、見る角度によっても評価が分かれるところだとは思いますが、私は車両自体が失敗だったのではなく、ロマンスカーのブランディングに関する戦略ミスだったと考えています。
広告等で登場させる車両を10000形(HiSE)に戻し、ブランド価値の回復に努めた小田急でしたが、登場から年数が経過した車両では弱いと考えたのか、ロマンスカーブランドの復権を掲げた車両として、VSEが造られることになりました。
事前情報の段階から、今度のロマンスカーはEXEの流れではないことが分かっており、小田急ファンは登場を待ちわびることとなります。
車両メーカーからの輸送時は、車体全体が隠された状態で行われ、下地のままの車体はどのように塗られるのだろう等と騒がれましたが、真っ白な車体の車両という予想外の展開がありました。
小田急に到着したVSEは、後日報道発表が大々的に行われ、派手な演出の中で初披露されます。
VSEの姿をはじめて見た私の印象は、思っていたのとは違うというのが正直なところで、従来のロマンスカーとはあまりにも異なる姿に対して、なんともいえない不思議な感覚を抱きました。
このあたりは、当時を知る方であれば、同じような感想をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
VSEという車両が良いのか悪いのか、かっこいいのかかっこ悪いのか、そういった問題ではなく、様々な過去のロマンスカーを見ていたからこそ、変化に対する違和感があったのだと思います。
後々分かってきたのは、それだけVSEは先進的な取り組みをした車両であり、新しいもの、これまでになかったもの、ロマンスカーに新たな価値を加えること、そういった面を徹底的に追及したからこその結果でした。
インターネットは普及しつつあったものの、現在ほど情報の即時性はなかったこともあり、VSEの狙いや想いというのが分かるのは少し後のことで、表面的な印象だけを感覚的に捉えていたのかもしれません。
発表当初から車内に対する期待の声は大きかったように記憶しており、高いドーム型の天井への驚きや、外側に少し傾けられた座席等、岡部憲明氏の込めた想いは強く伝わってきました。
営業運転の開始後に乗車した際の感動もなかなかのもので、新世代のロマンスカーが登場したのだということが、徐々に理解できるようになります。
活躍期間は結果的に短いものとなりますが、その間にかつての流れのロマンスカーは次々に引退し、3形式が過去帳入りしています。
展望席を備える車両は減少を続け、相対的にVSEの価値は上がり続け、気付けば登場時以上に唯一無二の存在へとなりつつありました。
そもそも、ロマンスカーが存在する意義は、時代によって変化しています。
現代においては、箱根や片瀬江ノ島を中心とした観光輸送ではなく、通勤や通学といった日常を快適に移動する手段としての役割が大きく、こちらのほうに需要が移っていることも疑う余地はありません。
そのような流れの中で、ロマンスカーというブランド価値を維持する車両として、VSEは欠かせない存在にもなっていました。
だからこそ、ホームウェイ号への使用解禁等を通じて神格化を弱め、世代交代への準備を始めていたのかもしれません。
前提にとらわれず、徹底的に新たな価値を提供することに集中した車両の造りは、時間の経過によって登場時以上の価値を小田急に提供するようになっていました。
一方で、よい面だけを見ていてはいけないとも思っています。
大胆すぎる構造で造られたことは、結果としてVSEという車両の寿命を縮めてしまうことになったからです。
登場当時の段階で、その後のことを予想することは難しいものの、様々な特殊構造や狭い運転室等、多くの方の苦労によりVSEは維持されてきました。
こういった苦労の結果がVSEの価値でもあり、そこに正解を求めることに意味はないですが、そういった良い面と悪い面も含めて、VSEが遺した功績なのかもしれません。
現在のところ、VSEの正当な後継車両は存在しません。
唯一の展望車両となる70000形(GSE)は、比較的中性的な車両として仕上げられており、観光輸送を最重視した車両は小田急から消えてしまいます。
この結果が意図したものなのか、VSEという車両の引退が予想より早まったことで生じた不可抗力なのか、それは分かりません。
車両の開発には時間がかかることや、仮にVSEの更新が可能であれば、このような結果にはならなかったともいえます。
そう遠くない未来には、新型車両の登場か、既存形式の増備が予想されることから、その時にロマンスカーの未来は見えてくるのかもしれません。
良い面も悪い面もあり、そのような意味でもVSEは小田急に多大な功績を遺した車両となりました。
得られた成功体験、反省すべき点、それらを総合的に盛り込み、次世代の車両へと受け継がれることを心から願い、VSEへの贈る言葉としたいと思います。
18年に渡る活躍、本当にお疲れさまでした。
前年の2022年に定期運行を終了し、それからは貸切列車等で活躍を続けてきましたが、そんな日々もまもなく終わりの瞬間を迎えようとしています。
私自身も何らかの形でお見送りをしていると思いますが、ついに引退となるVSEについて、遺した功績等を考えてみたいと思います。
不思議な感覚に包まれた登場時
1990年代に入り多様化が進んでいたロマンスカーの利用需要は、1996年に営業運転を開始した30000形(EXE)の登場へと繋がりました。EXEという車両を生んだことが正解だったのかどうかは、見る角度によっても評価が分かれるところだとは思いますが、私は車両自体が失敗だったのではなく、ロマンスカーのブランディングに関する戦略ミスだったと考えています。
広告等で登場させる車両を10000形(HiSE)に戻し、ブランド価値の回復に努めた小田急でしたが、登場から年数が経過した車両では弱いと考えたのか、ロマンスカーブランドの復権を掲げた車両として、VSEが造られることになりました。
事前情報の段階から、今度のロマンスカーはEXEの流れではないことが分かっており、小田急ファンは登場を待ちわびることとなります。
車両メーカーからの輸送時は、車体全体が隠された状態で行われ、下地のままの車体はどのように塗られるのだろう等と騒がれましたが、真っ白な車体の車両という予想外の展開がありました。
小田急に到着したVSEは、後日報道発表が大々的に行われ、派手な演出の中で初披露されます。
VSEの姿をはじめて見た私の印象は、思っていたのとは違うというのが正直なところで、従来のロマンスカーとはあまりにも異なる姿に対して、なんともいえない不思議な感覚を抱きました。
このあたりは、当時を知る方であれば、同じような感想をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
VSEという車両が良いのか悪いのか、かっこいいのかかっこ悪いのか、そういった問題ではなく、様々な過去のロマンスカーを見ていたからこそ、変化に対する違和感があったのだと思います。
後々分かってきたのは、それだけVSEは先進的な取り組みをした車両であり、新しいもの、これまでになかったもの、ロマンスカーに新たな価値を加えること、そういった面を徹底的に追及したからこその結果でした。
インターネットは普及しつつあったものの、現在ほど情報の即時性はなかったこともあり、VSEの狙いや想いというのが分かるのは少し後のことで、表面的な印象だけを感覚的に捉えていたのかもしれません。
発表当初から車内に対する期待の声は大きかったように記憶しており、高いドーム型の天井への驚きや、外側に少し傾けられた座席等、岡部憲明氏の込めた想いは強く伝わってきました。
営業運転の開始後に乗車した際の感動もなかなかのもので、新世代のロマンスカーが登場したのだということが、徐々に理解できるようになります。
時間の経過による見方の変化
VSEの活躍は20年に満たない短いものでしたが、途中で大規模な更新をせずに18年を超えて走り続け、連日新宿から箱根湯本までを往復していたことを踏まえれば、十分すぎる活躍だったのかもしれません。活躍期間は結果的に短いものとなりますが、その間にかつての流れのロマンスカーは次々に引退し、3形式が過去帳入りしています。
展望席を備える車両は減少を続け、相対的にVSEの価値は上がり続け、気付けば登場時以上に唯一無二の存在へとなりつつありました。
そもそも、ロマンスカーが存在する意義は、時代によって変化しています。
現代においては、箱根や片瀬江ノ島を中心とした観光輸送ではなく、通勤や通学といった日常を快適に移動する手段としての役割が大きく、こちらのほうに需要が移っていることも疑う余地はありません。
そのような流れの中で、ロマンスカーというブランド価値を維持する車両として、VSEは欠かせない存在にもなっていました。
だからこそ、ホームウェイ号への使用解禁等を通じて神格化を弱め、世代交代への準備を始めていたのかもしれません。
前提にとらわれず、徹底的に新たな価値を提供することに集中した車両の造りは、時間の経過によって登場時以上の価値を小田急に提供するようになっていました。
一方で、よい面だけを見ていてはいけないとも思っています。
大胆すぎる構造で造られたことは、結果としてVSEという車両の寿命を縮めてしまうことになったからです。
登場当時の段階で、その後のことを予想することは難しいものの、様々な特殊構造や狭い運転室等、多くの方の苦労によりVSEは維持されてきました。
こういった苦労の結果がVSEの価値でもあり、そこに正解を求めることに意味はないですが、そういった良い面と悪い面も含めて、VSEが遺した功績なのかもしれません。
現在のところ、VSEの正当な後継車両は存在しません。
唯一の展望車両となる70000形(GSE)は、比較的中性的な車両として仕上げられており、観光輸送を最重視した車両は小田急から消えてしまいます。
この結果が意図したものなのか、VSEという車両の引退が予想より早まったことで生じた不可抗力なのか、それは分かりません。
車両の開発には時間がかかることや、仮にVSEの更新が可能であれば、このような結果にはならなかったともいえます。
そう遠くない未来には、新型車両の登場か、既存形式の増備が予想されることから、その時にロマンスカーの未来は見えてくるのかもしれません。
おわりに
VSEが終着駅まで走りきり、無事にラストランを終えることを願って筆をおくことにします。良い面も悪い面もあり、そのような意味でもVSEは小田急に多大な功績を遺した車両となりました。
得られた成功体験、反省すべき点、それらを総合的に盛り込み、次世代の車両へと受け継がれることを心から願い、VSEへの贈る言葉としたいと思います。
18年に渡る活躍、本当にお疲れさまでした。
コメント
コメント一覧 (41)
改めて思うのが私にとってVSEは楽しい時間を作ってくれる特別な車両でもあると思います。
この度の完全引退に関して私から見た見解として、小田急はVSEを捨てたことでロマンスカーのブランドを失速した可能性は極めて高くしてしまったと思います。むしろ先のことを考えない小田急さんに今は失望してるとしか思えません。ロマンスカーブランドに対するシンボル的存在を捨てるのはかなりの寂しさを感じました。
攻めて物申すならば展望席が設けられた車両を投入するべきだと私は思います。また、輸送意識を考える場合として展望席に加えて2階建車両を連結すれば通勤輸送にも効率的にも優れていると考えています。
ワタシダ
がしました
ワタシダ
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改めて思うのが私にとってVSEは楽しい時間を作ってくれる特別な車両でもあると思います。
この度の完全引退に関して私から見た見解として、小田急はVSEを捨てたことでロマンスカーのブランドを失速した可能性は極めて高くしてしまったと思います。むしろ先のことを考えない小田急さんに今は失望してるとしか思えません。ロマンスカーブランドに対するシンボル的存在を捨てるのはかなりの寂しさを感じました。
攻めて物申すならば展望席が設けられた車両を投入するべきだと私は思います。また、輸送意識を考える場合として展望席に加えて2階建車両を連結すれば通勤輸送にも効率的にも優れていると考えています。
ワタシダ
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VSE お疲れ様でした。
現場の方々もお疲れ様でした。
沢山の人に見送られ無事に完走できて良かったです。
こうして見るとやはり圧倒的なオーラを放ってましたねえ。
そしてその引退に合わせてのワタシダさんの愛ある投稿もとても良かったです!
ワタシダ
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もしかしたら、新ロマンスカープロジェクトは、密かに海老名で進められているのかもしれないですね
このときは、観光型になるのか、それとも通勤兼用型になるのか
いずれにせよ、ロマンスカーらしい車両が出てきてほしいものですね
ワタシダ
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その中に車体更新で余ったデニの旧車体を改造した連接台車+強制振り子装置や操舵機能の実験車輌というものがあり、子供心に「これが全部載ったらすごいロマンスカーができるんだろうな」と妄想したものです。
だからそういうハイテクを全部乗せしたVSEが登場した時は夢が実現した気がしたのです(EXEでがっかりした後だけに)。
VSEが海老名のミュージアムに展示されたら「ありがとう。結果はアレだったかもしれないけど、お前はガキの頃の俺の夢をかなえてくれたんだ」とお礼を言いに行くつもりです
ワタシダ
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白いロマンスカー引退、寂しいですね。
ところで昔の準急綾瀬行きは朝ラッシュ時相模大野の時点ではどれくらい混んでいましたか?
ワタシダ
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実際は限界寸前、見えない部分はボロボロで悲鳴をあげていたのですね。
そんな様子は全く見せず、美しい姿のままで、すべてのファンに最後の瞬間まで夢を与えながら走っていたVSEを、魂の無いただの機械だとはとても思えない。ゆっくり休んでください。
ワタシダ
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こんなに早く引退するとは思いませんでした。
エレガントなロマンスカーの中では体育会系イメージのVSEは特異な存在でした。
LSE引退時のような感傷は起きませんでしたが、
やはり残念です。
連接台車+展望室ロマンスカーは、もう二度と造られないのでしょうか?
日本が誇る一つの文化が終焉を迎えました。
ありがとうございました。
ワタシダ
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その結果、ロマンスカーブランドと共に復権させた箱根で見送るのが相応しいだろうと思うに至り、今日は箱根湯本駅に向かいました。
そこには、同じくラストランを見送りに来た人がたくさんいました。それも、ホームだけではありません。沿線にもです。
正月の風物詩の一つ箱根駅伝でも、沿線のコースにはたくさんの人がいますが、応援のためであって、主役は選手です。コース沿いにある箱根湯本駅で実況中にロマンスカーが映り込んで毎年話題になりますが、あくまで脇役です。
しかし、今日の主役は明らかに違いました。誰しもが、箱根駅伝の名脇役の最後の力走を見守りに来たのです。
11区とでもいうべき300万kmものコースは過酷そのもので、車体傾斜装置の使用停止など、機械として見れば満身創痍と言っても過言ではなかったでしょう。それでも、ずっとスタート時と変わらぬ華やかな姿で最後まで走り抜けました。
正月には駅伝選手の応援で溢れかえる沿線の道路で、見送りに来たたくさんの人に見守られながら、慣れ親しみ憧れたいつもの姿のまま、山の神は最後の力走を見せてくれました。
率直に言って、もう走ることはないのだという実感はまだ湧きません。
ありがとうVSE
おもいでは永遠に
ワタシダ
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あの狭い運転台で窓も開かない
なんて労働環境としては有り
得ず乗務するための選抜試験は
受けずじまいだったなー
設計者の意向を重視し過ぎて
メンテナンス計画も甘かったね。
結果的にはもっと口を出せば
違う展開があっただろうに惜しい。
ワタシダ
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ワタシダ
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MSEやGSEはVSEの分長く活躍できるか…?
ワタシダ
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ワタシダ
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2編成しかないということは検査で即車種変更が頻発するワケですが、そのために3〜4編成にできないか…と脳内で考えたことがありましたが、やはり現場の負担が非常にデカいことを考えたらおいそれと増備するわけにいかなかったんですね。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ロマンスカー復権の目的で導入し、言い方は悪いが使い捨てにしたのだと思います。
VSEは白く麗しい車体に負った重い使命を、充分過ぎるほど果たして走り切った。ありがとう。お疲れ様。誰もが絶対に忘れない。
ワタシダ
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VSE登場の頃は小田急が観光を重視しながらも通勤路線としての方にウエイトを置いていた気がします
なので通勤ライナーとしても重宝されているEXEの方が合っていたのではないでしょうか
ワタシダ
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私が上京して小田急沿線に住み始めて間もなく営業入りし、それ以来今日に至るまで多くのお客様に愛されてきましたが、展望席&連接台車の復活とロマンスカーブランドの復権に貢献したことは間違いなく、それくらい人気の高い車両やったことが分かります。私自身、定期運用では1回しか乗車したことがなく、それ以降はツアー形式のイベントで乗車したことがあるのみでした。今後どうなるのかも気になりますが、是非ともロマンスカーミュージアムでの展示で再会できる日を楽しみにしております。
18年間ありがとう、そしてさようなら、VSE…。
ワタシダ
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でも、VSEはオーラから違う車輌でした。あんな美しいロマンスカーは、後にも先にももう見ないでしょう。
引退する実感すらわきません、何なら、更新されて更に美しくなったVSEが全うして廃車、そんなふうにも思っていました。
でももう、運命にはあらがえません。
そして、MSEやGSEももしかしたら長く生きられないかもしれないと感じ、残されたロマンスカーと共に、今を大事にしたいと思いました。
最後に月並みの言葉かもしれませんが、はなむけの言葉を送りたいと思います。
「ありがとうVSE。」
ワタシダ
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→コロナで焦った小田急が、二流の視野の狭い経営コンサルに引っ掛ったのだろうな。
→やはり、鉄道素人の大須賀を社長にした失策は大きいな。VSEの二次増備を潰すなど、背任行為に匹敵する失策である。
→2005年の子会社の有価証券報告書虚偽記載事件で、社長・会長ともに辞任したのが間違い。
ワタシダ
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