多摩線の延伸区間の終点として、1990年に開業した唐木田駅。
小田急にとっては69番目の駅が誕生したことになり、現在まで多摩線の終点として親しまれています。
駅ができてから既に30年以上が経過していることにも驚かされますが、開業当時の唐木田駅はどのような様子だったのでしょうか。
清掃工場の設置等に関係して設けられた駅で、小田急としても車庫の用地を確保したいという思惑がありました。
唐木田に車庫が設置されたことで、小田急はそれまで以上に輸送力の増強が可能となり、1000形の増備により保有車両数を増やしていくこととなります。
駅が開業した当時、日本はバブル景気の真っ最中でした。
そんな世相を反映してか、唐木田駅は全体的に豪華な造りとなっており、ホームは全体に渡って化粧ブロックを使用し、当時から反転フラップ式の行先案内装置が設けられていました。
最初からエスカレーターが設置されており、終点の新駅であるとはいえ、見込める利用者に対して立派な駅舎となっています。
駅が開業する時点では開発に伴い移転していたものの、唐木田という地にはかつて菖蒲園がありました。
菖蒲園にあった花は中沢池公園に移植されていますが、駅のシンボルとして菖蒲が各所に使われており、ステンドグラスやタイル等で見ることができます。
現在はエレベーターが整備されていますが、開業当時は改札の先にあるコンコースがなく、階段付近で終わっていました。
エレベーターを設置する際にコンコースが広げられ、今の姿へと変わっています。
唐木田はかつての落合村にあった小字で、それが駅名に採用されつつ、後に地名としても使われるようになっています。
多摩ニュータウンとしては開発時期が遅く、駅が開業した当時の周辺は静かなものでした。
立派な駅に対して周辺は緑に溢れ、現在のように住宅も多くはありません。
駅の開業後に周辺が発展していることになりますが、駅は街をつくるのだということを再認識させられます。
住宅地も広がる唐木田駅の周辺ですが、清掃工場以外にも大規模な施設が多いのが特徴で、大学や商業施設等があります。
小田急の車庫が設けられたことにも関係しそうですが、計画的に大規模な施設を集めたということなのでしょうね。
機会を見つけて、他の内容もご紹介できればと思っています。
小田急にとっては69番目の駅が誕生したことになり、現在まで多摩線の終点として親しまれています。
駅ができてから既に30年以上が経過していることにも驚かされますが、開業当時の唐木田駅はどのような様子だったのでしょうか。
豪華な造りの唐木田駅
多摩線の終点である唐木田駅は、1990年3月27日に開業しました。清掃工場の設置等に関係して設けられた駅で、小田急としても車庫の用地を確保したいという思惑がありました。
唐木田に車庫が設置されたことで、小田急はそれまで以上に輸送力の増強が可能となり、1000形の増備により保有車両数を増やしていくこととなります。
駅が開業した当時、日本はバブル景気の真っ最中でした。
そんな世相を反映してか、唐木田駅は全体的に豪華な造りとなっており、ホームは全体に渡って化粧ブロックを使用し、当時から反転フラップ式の行先案内装置が設けられていました。
最初からエスカレーターが設置されており、終点の新駅であるとはいえ、見込める利用者に対して立派な駅舎となっています。
駅が開業する時点では開発に伴い移転していたものの、唐木田という地にはかつて菖蒲園がありました。
菖蒲園にあった花は中沢池公園に移植されていますが、駅のシンボルとして菖蒲が各所に使われており、ステンドグラスやタイル等で見ることができます。
現在はエレベーターが整備されていますが、開業当時は改札の先にあるコンコースがなく、階段付近で終わっていました。
エレベーターを設置する際にコンコースが広げられ、今の姿へと変わっています。
唐木田駅の開業によって変化した周辺
現在の所在地は多摩市の唐木田ですが、開業した当時は落合で、「東京都多摩市落合2540-1」が駅の所在地でした。唐木田はかつての落合村にあった小字で、それが駅名に採用されつつ、後に地名としても使われるようになっています。
多摩ニュータウンとしては開発時期が遅く、駅が開業した当時の周辺は静かなものでした。
立派な駅に対して周辺は緑に溢れ、現在のように住宅も多くはありません。
駅の開業後に周辺が発展していることになりますが、駅は街をつくるのだということを再認識させられます。
住宅地も広がる唐木田駅の周辺ですが、清掃工場以外にも大規模な施設が多いのが特徴で、大学や商業施設等があります。
小田急の車庫が設けられたことにも関係しそうですが、計画的に大規模な施設を集めたということなのでしょうね。
おわりに
現在も静かな終点の駅というイメージの唐木田ですが、歴史的な様々なエピソードがあります。機会を見つけて、他の内容もご紹介できればと思っています。
コメント
コメント一覧 (7)
新たな駅が新たな街をつくり、新たな路線や直通運転が新たな需要をつくり、人の流れが生まれる。それが沿線を、路線を育てる。
その意味では多摩線上溝方面延伸は決して無謀ではないように思うけど、夢や希望に溢れていた多摩ニュータウン構想当時とは、状況が違いすぎるのだろうか?
ワタシダ
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さすがに開業記念で定期作った人はほとんど居ないはず
ワタシダ
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一部の学部が都心に移転し、多摩に残っているのは少なくなっていると思います。
多摩センターの近くの恵泉女子大学は今の1年生を最後に廃校が決まり、
中央大学は都心回帰が始まり、多摩線を利用する学生数減が多摩線の将来にどういう影響を与えるのか心配です。
ワタシダ
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