小田急に本格的な大型車の時代をもたらし、2004年に惜しまれつつ引退した2600形。
最後まで残った編成の先頭車が海老名検車区内に保存されており、現在も時折見ることができます。
晩年は懐かしい旧塗装に戻され、多くの方の注目を集めることになりましたが、その際はどのように使われていたのでしょうか。
老朽化が進んだことから、2000年度より廃車が開始され、8両の6編成はそのまま2000形に置き換えられてしまいます。
6両の編成については、新形式の3000形によって置き換えられることとなり、増備の進行に合わせて順次廃車が進められました。
2003年の夏になると、残る2600形は2670Fのみとなりましたが、ここで廃車は一旦小休止となり、先行して4000形の廃車へと移行していきます。
3000形の1次車と2次車を合わせると12編成で、2600形の6両も12編成だったことから、当初は一気に2600形を置き換える予定だったものと思われますが、旧塗装化して走らせることになったため、廃車の順序を入れ替えたものと思われます。
2670Fの検査期限に余裕があったことがプラスに作用し、旧塗装を最後にまとった2600形と4000形が引退することを記念し、旧塗装を復活させるという選択になったのでしょう。
お色直しを行うため、2003年9月18日の運行を最後に2670Fは運行を離脱し、10月18日に新宿から海老名までの臨時列車で復活、そのままファミリー鉄道展で展示されました。
スカートの設置や冷房化が行われており、塗り分けの位置を帯に合わせたといった差異はありましたが、オールドファンにとっては懐かしい旧塗装が復活した瞬間でした。
展示されていた際はレプリカの白地幕を入れていましたが、営業運転では通常の黒地幕に戻り、やや違和感のある姿となりました。
営業運転に復帰してからの2670Fは、旧塗装化前と使い方が変わることはなく、小田急線内の全線を走り回る日常に戻り、小田原線は当然のことながら、多摩線や江ノ島線にも入線することとなります。
走行範囲が広く、箱根登山線への乗り入れも行っていたため、現代のように情報がすぐに入らない時代においては、見つけるのに一苦労する車両でした。
多摩急行と特急以外の列車種別に充当され、湘南急行でも見ることができましたが、本数の関係で準急は比較的珍しく、種別幕の黄色い文字が輝いていました。
各駅停車として走る場合は捕まえやすく、江ノ島線や多摩線では往復することが多かったため、見つけやすかったことをよく覚えています。
多摩線は1時間もせずに戻ってくるため、充当されると沿線には鉄道ファンが集まっていました。
急行については、多くの列車が新松田での分割併合を行っており、1日の中で連結相手が何度も変わります。
新宿方は他の車両という困った問題もありましたが、4両の全形式と繋がる機会があり、それはそれで面白いものでした。
旧塗装になってからの活躍期間は比較的長かったものの、2004年6月5日にさよなら運転が行われ、2600形の長い歴史に幕が下ろされました。
営業運転の終了後は、すぐに解体されずに海老名検車区に留置されますが、2006年にクハ2670以外が解体され、残った1両は塗り分けの位置を正しく修正のうえ保存されています。
この時を最後に旧塗装は見られなくなっていますが、8000形で再現してくれるような企画があれば、意外と楽しいのではないかと思っています。
最後まで残った編成の先頭車が海老名検車区内に保存されており、現在も時折見ることができます。
晩年は懐かしい旧塗装に戻され、多くの方の注目を集めることになりましたが、その際はどのように使われていたのでしょうか。
復活した旧塗装の通勤型車両
晩年は一部の編成が8両化されていた2600形は、6両と8両の編成が混在する状況で運用されていました。老朽化が進んだことから、2000年度より廃車が開始され、8両の6編成はそのまま2000形に置き換えられてしまいます。
6両の編成については、新形式の3000形によって置き換えられることとなり、増備の進行に合わせて順次廃車が進められました。
2003年の夏になると、残る2600形は2670Fのみとなりましたが、ここで廃車は一旦小休止となり、先行して4000形の廃車へと移行していきます。
3000形の1次車と2次車を合わせると12編成で、2600形の6両も12編成だったことから、当初は一気に2600形を置き換える予定だったものと思われますが、旧塗装化して走らせることになったため、廃車の順序を入れ替えたものと思われます。
2670Fの検査期限に余裕があったことがプラスに作用し、旧塗装を最後にまとった2600形と4000形が引退することを記念し、旧塗装を復活させるという選択になったのでしょう。
お色直しを行うため、2003年9月18日の運行を最後に2670Fは運行を離脱し、10月18日に新宿から海老名までの臨時列車で復活、そのままファミリー鉄道展で展示されました。
スカートの設置や冷房化が行われており、塗り分けの位置を帯に合わせたといった差異はありましたが、オールドファンにとっては懐かしい旧塗装が復活した瞬間でした。
旧塗装の2670Fはどのように使われたのか
ファミリー鉄道展の終了後、2600形はそのままの姿で営業運転に復帰します。展示されていた際はレプリカの白地幕を入れていましたが、営業運転では通常の黒地幕に戻り、やや違和感のある姿となりました。
営業運転に復帰してからの2670Fは、旧塗装化前と使い方が変わることはなく、小田急線内の全線を走り回る日常に戻り、小田原線は当然のことながら、多摩線や江ノ島線にも入線することとなります。
走行範囲が広く、箱根登山線への乗り入れも行っていたため、現代のように情報がすぐに入らない時代においては、見つけるのに一苦労する車両でした。
多摩急行と特急以外の列車種別に充当され、湘南急行でも見ることができましたが、本数の関係で準急は比較的珍しく、種別幕の黄色い文字が輝いていました。
各駅停車として走る場合は捕まえやすく、江ノ島線や多摩線では往復することが多かったため、見つけやすかったことをよく覚えています。
多摩線は1時間もせずに戻ってくるため、充当されると沿線には鉄道ファンが集まっていました。
急行については、多くの列車が新松田での分割併合を行っており、1日の中で連結相手が何度も変わります。
新宿方は他の車両という困った問題もありましたが、4両の全形式と繋がる機会があり、それはそれで面白いものでした。
旧塗装になってからの活躍期間は比較的長かったものの、2004年6月5日にさよなら運転が行われ、2600形の長い歴史に幕が下ろされました。
営業運転の終了後は、すぐに解体されずに海老名検車区に留置されますが、2006年にクハ2670以外が解体され、残った1両は塗り分けの位置を正しく修正のうえ保存されています。
おわりに
旧塗装の復活というサプライズがあり、多くの鉄道ファンに注目された2600形の最後。この時を最後に旧塗装は見られなくなっていますが、8000形で再現してくれるような企画があれば、意外と楽しいのではないかと思っています。
コメント
コメント一覧 (6)
ワタシダ
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黒と紺で前面に明部が無くなり
かなり視認性が悪くなりそう………
黄と紺の旧塗装なら
むしろ 2000の方が似合う気も…
ステンレスへの塗装は厄介… ならば
ラッピングででもやらないだろうか……
8000にはむしろ…
西武の黄色単色塗装をして
ナンチャッテ 西武2000風 とか?
そんなの受け取れない と西武が言うなら
西武に行かないぶんの編成に………
ワタシダ
がしました
訂正ですが、2600形の(編成単位の)廃車が開始されたのは2000年度の間違いだと思います…。
ワタシダ
がしました
ロマンスカーでもLSEで旧塗装が復元されたほか、旧5000形も引退時にブランドマークのない姿に復元されたので100周年記念でこうしたリバイバルカラーを8000形やEXEαでも再現してくれると嬉しい次第です(ただ、悪質な撮り鉄対策とかも必要で90周年記念でやらなかったこと(この頃は下北沢付近の複々線化でそれどころではなかったのかもしれませんが)などを考えると実施可否は微妙な気もします)。
ワタシダ
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黄色と紺はもちろん、開業時の茶色、お買い物電車塗装、深緑に黄色帯の荷電塗装、クリームに赤帯のキハ5000塗装……やってくれないかなぁ。
ワタシダ
がしました