多くの人に見送られ、2023年12月10日に運行を終了した小田急の50000形(VSE)。
ロマンスカーのフラグシップとして活躍し、鉄道ファンだけではなく、多くの利用者にも愛される車両となりました。

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VSEの引退により連接車は消滅し、ロマンスカーらしい車両がなくなってしまったようにも感じますが、小田急の歴史においてVSEはやや異質な存在だった面もあります。
ロマンスカーの系譜を振り返りつつ、VSEが唯一無二の存在となった背景を考えてみたいと思います。

VSEの登場とその後の軌道修正

箱根に向かう観光特急として定着していたロマンスカーですが、30000形(EXE)の登場により、イメージは大きく変化しました。
EXEは日常利用が増えてきたことに対応する車両でしたが、観光輸送も担わせようとしたことや、ロマンスカー自体のブランディングにも使用したことが裏目に出てしまい、短期的な戦略では失敗をしてしまいます。

ポスター等で使用する車両を10000形(HiSE)に戻し、ブランドの再構築を図った小田急でしたが、登場から年数が経過した車両ではインパクトが少なく、ロマンスカーブランドの復権を掲げてVSEを登場させることとなりました。
改めて語る必要はないと思いますが、VSEは脱EXE化を図ったと表現できる車両で、前面展望席や連接構造を復活させることで、従来のロマンスカーに近いイメージとされています。
しかし、原点回帰という表現はあまり正しくなく、3000形(SE)以来ともいえる妥協を許さずに設計された車両であり、ロマンスカーの歴史においてはやや異質な存在でした。

様々な意見があったとは思いますが、総じてVSEに対する評価は高く、脱EXE化を図ったロマンスカーの増備に期待が寄せられました。
3編成目の登場が待たれましたが、VSEに増備車が登場しなかったのは周知の事実で、前面展望席を備える置き換え対象の車両が多数ある中で、増備されたのは60000形(MSE)でした。

前面を流線形とはしたものの、MSEはEXEタイプの車両といえます。
つまり、この時点で小田急は軌道修正を図っていると考えられ、EXEの方向性が正しかったと判断しつつ、ブランド価値をどのようにして高めるかに軸足を移したといえます。

MSEはEXE以上に汎用性が高く、VSEより増備された本数も多くなっていることから、ロマンスカーの主軸はEXE路線が選択されたことになります。
70000形(GSE)は2編成のみで、リニューアルでEXEαとなった30000形は今後も残るため、ロマンスカーのイメージと実態はやや相違する状態にあるともいえそうです。

意外と少ない尖った設計のロマンスカー

VSEの登場により、せっかく元のロマンスカーに戻ったのにと思う面はありますが、ロマンスカーの歴史においては異質で珍しい存在ともいえます。
最もVSEと近い思想で造られたと感じるのは、その後の流れを生み出したSEで、徹底的に行われた軽量化、妥協せずに選定された各機器、保守性を犠牲にしていた面がある等、こだわり抜いたという面で両形式は近い存在となっています。

SEに続いて登場したのは3100形(NSE)でしたが、低重心や連接構造は踏襲しつつも、やや現実路線へと変更されており、その後の車両はNSEを基礎とするようになります。
7000形(LSE)はさらに現実路線となり、ハイデッカーを採用したHiSEや20000形(RSE)についても、足回りはLSEを踏襲した安定志向です。
RSEはダブルデッカーの採用といった目新しさがありましたが、相互直通運転先であるJR東海が絡んでいることや、バブル期であったことを踏まえると、これもやや異質といえるのでしょう。

ロマンスカーの方向性を大きく変え、その後のスタンダードとなったのは、NSEを置き換えたEXEでした。
見方を変えれば、EXEは大きなチャレンジをした車両だったことになり、ブランディングでは戦略を誤ったものの、方向性自体は間違っていませんでした。
チャレンジとはいっても、その方向性自体は実態に合わせた極めて現実的なものであり、NSEに近いものを感じるところでもあります。

SEを軌道修正したNSEが大量に造られ、VSEを軌道修正したMSEも比較的本数が多くなりました。
歴史が繰り返した面を感じるところもあり、そんな異質な存在だったからこそ、VSEは多くの人の心を掴んだのかもしれませんね。

おわりに

状況の変化に合わせて改造されたSEと異なり、VSEは最後までフラグシップとして姿を変えずに使われました。
変化が大きい時代の中で、陳腐化が始まりつつあったともいえるVSEですが、時代に合わなくなる前に引退したという点で、SEが登場した当時の思想を体現した車両だったともいえます。

活躍期間の短さは寂しいものですが、華々しく走り続けることができた幸せな生涯でした。