複々線化工事が本格化し、目まぐるしく東京都内の風景が変化した1990年代の小田急。
ロマンスカーの入れ替わりを除けば、車両面での変化は少なかった時代ですが、設備面では様々な改良が進められました。

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現代にも繋がる改良を数多く行った1990年代の小田急は、どのようなことに力を入れていたのでしょうか。

本格的に進められた複々線化工事

代々木上原から登戸までが複々線となり、その風景が既に当たり前となった現代ですが、1990年代はほとんどの区間が複線の状態でした。
1989年に狛江地区の工事が始まり、仮線への切り替えを行いながら風景はどんどん変化し、1995年には高架へと切り替えられました。
その後は高架橋の増設が進められ、1997年に狛江地区は完成へと至ります。

1990年代の小田急は、どうしても狛江地区の複々線化に記憶が集中しますが、実際にはそれ以外にも様々なことに力を入れていました。
利用者が増え続けていた時代であり、複々線化以外にも様々な面で改良が行われ、利用しやすい環境が整備されていきます。

1990年代の小田急が力を入れていたこと

少しでも混雑を緩和し、誰にとっても利用しやすい鉄道となるよう、1990年代の小田急は車両や施設の改良にも力を入れていました。
今では当たり前となっているものは、1990年代に改良や導入が進められたケースも多く、複々線化以外にも様々な変化がありました。

車両面においては、唐木田駅に隣接して車庫が設けられたこともあり、通勤型車両の増加が続きます。
在籍両数は1,000両を超え、各駅停車を中心に長編成化が進められました。
同時に8両や10両の固定編成も登場し、編成中に挟まる先頭車をなくすことで、収容力を少しでも増やそうとする努力が行われていきます。

駅の改良が次々に行われ、現代水準へと近付いていったのも1990年代でした。
エスカレーターや自動改札機の設置、ホーム上屋の増設、各種バリアフリー化が進められ、誰にとっても利用しやすい環境が整えられていきます。
全線を10両で運転するためにホームの延長も行われたほか、新百合ヶ丘や渋沢等のように大規模改良が行われる駅も相次ぎました。

保安度の向上も図られ、踏切の改良や異常を知らせる装置の設置、大型保線機械の導入が推進されていきます。
タバコに対する世の中の変化にも対応し、駅を終日禁煙にするといった取り組みも行われました。

おわりに

輸送力増強を推進しながらも、駅を中心とした様々な改良が進められた1990年代。
当時の対応が現代のベースとなっている部分も多く、設備投資の時代であったといえそうですね。