多摩線の終点であり、駅の先には車庫も設けられている小田急の唐木田駅。
小田急を利用していなければ、駅自体を知らない方も多いと思われますが、多摩ニュータウンの一部を構成する地域です。

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そんな唐木田ですが、駅名はどのような理由で決まったものなのでしょうか。
掘れば意外と深い駅名の由来について調べてみました。

多摩線の終点に位置する唐木田駅

小田急多摩センターが終点だった多摩線が1990年に延伸し、新たに終点となったのが唐木田駅です。
駅の先はそのまま喜多見検車区唐木田出張所に繋がっており、多くの車両が休む車庫が設けられています。

小田急の利用者は、列車の行先として目にする機会が多い唐木田ですが、東京メトロの千代田線や、JR東日本の常磐緩行線内からの直通列車があった頃には、どこにある駅なんだろうと思う方が多かったと耳にします。

多摩ニュータウン内の鉄道として開業した多摩線ですが、唐木田もその一部を構成する地域となっており、公共施設等が多く配置されつつも、住宅地として発展することとなりました。
唐木田という駅名は付近の地名に由来し、現在は一丁目から三丁目までが存在します。

唐木田という地名に隠された由来

駅名は地名に由来するというよくあるパターンの唐木田ですが、そもそもこの地名の由来は何なのでしょうか。
調べていくと、乞田川の支流としてかつて唐木田川が存在し、それに由来するという情報がありました。

小田急多摩センターから唐木田の間において、小田急は乞田川を渡っていますが、これがかつての唐木田川でした。
この位置よりも少し下流側に進むと、地下を通ってきた中沢川と合流しますが、昔は中沢川と唐木田川が合流し、その先が乞田川となっていたようです。
現在の乞田川自体も、鶴牧西公園付近で地下に入り見えなくなってしまいますが、その先にある唐木田通りに沿って流れていました。

唐木田川については分かりましたが、そもそもなぜこのような名称になったのでしょうか。
さらに調べていくと、中国で唐王朝が滅亡した際、阿倍仲麻呂の子孫が王女を助けて日本に亡命し、田畑を作って暮らした場所が唐木田であったということのようです。
唐から来た人たちが田畑を作ったから唐木田となった、地名に歴史ありですね。

おわりに

駅名として使われるようになり、小田急沿線では知られる存在となった唐木田。
由来となった地名の背景には、多くの興味深い経緯が隠れていました。