社会的なニーズの高まりを受けて、現在は全車両が禁煙となっている小田急のロマンスカー。
元々は全ての車両で喫煙が可能でしたが、後に禁煙車が設定され、最終的に全面禁煙となりました。
車内でタバコが吸えた時代は遠い過去となりつつありますが、ロマンスカーに禁煙車が登場したのはいつのことだったのでしょうか。
現代と比べて喫煙率も高く、男性の喫煙率が7割を超えていた時代があったことを踏まえれば、禁煙車がないこと自体は普通のことだったのでしょう。
ロマンスカーに禁煙車が設定されたのは1983年5月のことで、町田駅に停車する列車のみが対象となりました。
しかし、これは暫定的な対応であり、新宿から町田までの区間を禁煙としたものです。
区間を決めての禁煙とした背景には、座席の予約を管理するSRシステムの都合があり、端末を設置していない駅からの申し込みにおいて、電話での対応が必要だったため、禁煙車等のような細かい指定は困難でした。
そこで、重複発売の防止等を図るためにSRシステムの更新が行われ、1987年7月1日よりロマンスカーに禁煙車が設定されました。
設定された車両は小田原方で、11両の場合には1号車から3号車、5両の場合には1号車のみでした。
見る角度を変えると、上り列車の場合には、禁煙の展望車には乗れなかったことになります。
最初は少なかった禁煙車ですが、全車両が禁煙となるまでの間に、2回の増設が行われています。
増設の1回目は1992年6月に行われ、11両では1号車から5号車まで、7両では1号車から3号車までとなりました。
1996年に登場した30000形(EXE)については、6両の1号車から3号車、4両の7号車と8号車が禁煙車として設定されています。
2回目の増設は1997年6月23日に行われ、編成中の約70%を禁煙車としました。
11両では9号車から11号車までを追加、7両は7号車を追加、EXEは4号車と9号車を追加しています。
ほぼ半々となっていた割合は、この段階で禁煙車のほうが多くなりましたが、2007年3月18日より全車両が禁煙となり、ロマンスカーの車内でタバコが吸える時代は終焉を迎えました。
全面禁煙化からも約17年が経過し、タバコが吸えた時代は遠い過去となってきました。
元々は全ての車両で喫煙が可能でしたが、後に禁煙車が設定され、最終的に全面禁煙となりました。
車内でタバコが吸えた時代は遠い過去となりつつありますが、ロマンスカーに禁煙車が登場したのはいつのことだったのでしょうか。
ロマンスカーに設定された禁煙車
新宿から箱根や江ノ島に向かうロマンスカーは、かつて全ての車両で喫煙が可能でした。現代と比べて喫煙率も高く、男性の喫煙率が7割を超えていた時代があったことを踏まえれば、禁煙車がないこと自体は普通のことだったのでしょう。
ロマンスカーに禁煙車が設定されたのは1983年5月のことで、町田駅に停車する列車のみが対象となりました。
しかし、これは暫定的な対応であり、新宿から町田までの区間を禁煙としたものです。
区間を決めての禁煙とした背景には、座席の予約を管理するSRシステムの都合があり、端末を設置していない駅からの申し込みにおいて、電話での対応が必要だったため、禁煙車等のような細かい指定は困難でした。
そこで、重複発売の防止等を図るためにSRシステムの更新が行われ、1987年7月1日よりロマンスカーに禁煙車が設定されました。
最初に設定された禁煙車は何号車だったのか
SRシステムの更新により導入された禁煙車ですが、最初に設定された両数は多くありません。設定された車両は小田原方で、11両の場合には1号車から3号車、5両の場合には1号車のみでした。
見る角度を変えると、上り列車の場合には、禁煙の展望車には乗れなかったことになります。
最初は少なかった禁煙車ですが、全車両が禁煙となるまでの間に、2回の増設が行われています。
増設の1回目は1992年6月に行われ、11両では1号車から5号車まで、7両では1号車から3号車までとなりました。
1996年に登場した30000形(EXE)については、6両の1号車から3号車、4両の7号車と8号車が禁煙車として設定されています。
2回目の増設は1997年6月23日に行われ、編成中の約70%を禁煙車としました。
11両では9号車から11号車までを追加、7両は7号車を追加、EXEは4号車と9号車を追加しています。
ほぼ半々となっていた割合は、この段階で禁煙車のほうが多くなりましたが、2007年3月18日より全車両が禁煙となり、ロマンスカーの車内でタバコが吸える時代は終焉を迎えました。
おわりに
社会の変化に対応し、徐々に禁煙車の割合を増やしてきた小田急のロマンスカー。全面禁煙化からも約17年が経過し、タバコが吸えた時代は遠い過去となってきました。
コメント
コメント一覧 (7)
ワタシダ
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時間制限があったのかは不明ですが、この区間は車内で喫煙が出来る旨の放送がありました。
煙は車内に充満して灰は床に降り積もり、カゼ気味の私は大変辛い思いをしました。
それ以来、ずっとタバコ嫌いのままです。
ワタシダ
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LSE更新車は禁煙車の座席を青くして、より判りやすくしていました。
ワタシダ
がしました
昭和50年頃、東海道線の長距離電車は東京-川崎が、高崎線は上野-大宮が禁煙でした。
それが昭和60年頃には、東京-平塚、上野-熊谷に拡大されていました。
そして、いつの間にか全区間になりましたね。
小田急は通勤車両で喫煙可能だったことは、私の知る限りでは有りませんでしたが、東武伊勢崎線は昭和60年頃、通勤車両でも館林以遠は喫煙可だったと思います。ただし通勤車に灰皿は設置されておらず、吸殻は床に棄てられていたような気がします。(記憶違いだったらスミマセン)
駅が喫煙可能だった時代は、線路も吸殻だらけ。
ホームの柱に取り付けられた小さな灰皿からは
完全に消されていない吸殻が燻って煙がモクモク立ち上ぼっていたり、紙屑を入れる人もいて、ひどい時は火が出ていることさえありました。
美化、防火という観点からも、今の常識からすると考えられませんが、当時としてはさほど問題にする程でもなかったのでしょうかね。
ワタシダ
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今後は3月のダイヤ改正を以って東海道新幹線の喫煙ルームも廃止されるとのことで、時代の流れで致し方ないとはいえ喫煙車がなくなることに寂しさを感じるこの頃です(尤も、私自身は非喫煙者ですが…)。
ワタシダ
がしました
つまり、はこね、さがみは全線吸えたりしたような...
ワタシダ
がしました