駅間距離が長い区間が多くなり、郊外の色がより一層濃くなってくる小田急の相模大野以西。
本厚木から先では列車の本数も少なくなり、緑豊かな風景の中を走るシーンも見ることができます。
起点の新宿からは離れている相模大野以西ですが、昔は都心寄りの駅とは大きく利用者数が異なりました。
50年前と比べた場合には、どれぐらい相模大野以西の利用者が増えたのでしょうか。
一方で、生活様式の変化により元通りとはなっておらず、小田急も定期客を中心に元の状態には戻っていません。
そんな状況下ではありますが、昔に比べれば大きく利用者が増えた状態となっています。
かつては新宿から向ヶ丘遊園までをサバー区間、それ以西をインター区間と呼ぶほど利用実態が異なりましたが、現在はほぼ全線に渡って沿線の宅地化が進行し、小田急はどこまで乗っても混んでいると言われるほどになりました。
相模大野から先の発展はなかなかのもので、かつてはこの区間を2400形の4両急行が走っていたとは、想像しにくい状態となっています。
過去との比較をするにあたり、まずは現在の状況をおさらいしてみましょう。
以下は2022年度における1日の平均乗降人員で、相模大野から先の急行停車駅をピックアップしたものです。
相模大野:110,249人
海老名:123,222人
本厚木:114,922人
愛甲石田:40,799人
伊勢原:44,098人
鶴巻温泉:12,737人
東海大学前:32,462人
秦野:35,053人
渋沢:22,683人
新松田:19,352人
小田原:53,079人
開成は50年前に駅自体がないため省略しています。
海老名が相模大野や本厚木を超えているのが印象的で、小田急が力を入れて開発している結果が数字にも表れていました。
2022年度の50年前は1972年度ですが、まだ多摩線は開通しておらず、既に引退した9000形が登場した頃でした。
当時から新宿寄りの区間は利用者が多く、新宿に至っては1日に49万人を超える利用がありましたが、都市部と郊外の差は今以上に大きく開いていました。
実際にどれぐらいの差があったのか、1972年度の乗降人員についても確認してみましょう。
以下は1972年度における1日の平均乗降人員で、括弧内は2022年度時点から見た場合の増減率です。
相模大野:77,677人(141.9%)
海老名:40,093人(307.3%)
本厚木:68,654人(167.4%)
愛甲石田:6,879人(593.1%)
伊勢原:26,927人(163.8%)
鶴巻温泉:9,362人(136.0%)
東海大学前:19,413人(167.2%)
秦野:27,113人(129.3%)
渋沢:16,520人(137.3%)
新松田:25,401人(76.2%)
小田原:62,547人(84.9%)
現在とは全く様相が異なるのが、結果からは分かります。
当時から海老名の利用者はそこそこ多いですが、相鉄との乗換駅であることを踏まえると、当然といえるかもしれません。
約3倍に増えている海老名にも驚きますが、それ以上の結果だったのが愛甲石田です。
6倍近く利用者が増加していますが、宅地化が進んだのが1980年代以降だったため、このような結果となったようです。
それ以外も1.5倍程度になっている駅が多いものの、新松田と小田原については減少しており、駅としての立ち位置が変化したことを実感する結果となりました。
全線に渡って10両の列車が走るようになったのも、利用者の増加具合を見れば必然だったといえそうですね。
本厚木から先では列車の本数も少なくなり、緑豊かな風景の中を走るシーンも見ることができます。
起点の新宿からは離れている相模大野以西ですが、昔は都心寄りの駅とは大きく利用者数が異なりました。
50年前と比べた場合には、どれぐらい相模大野以西の利用者が増えたのでしょうか。
2022年度の駅別乗降人員
コロナ禍を境に落ち込んだ鉄道の利用者は、世の中が正常化する中である程度の回復を見せました。一方で、生活様式の変化により元通りとはなっておらず、小田急も定期客を中心に元の状態には戻っていません。
そんな状況下ではありますが、昔に比べれば大きく利用者が増えた状態となっています。
かつては新宿から向ヶ丘遊園までをサバー区間、それ以西をインター区間と呼ぶほど利用実態が異なりましたが、現在はほぼ全線に渡って沿線の宅地化が進行し、小田急はどこまで乗っても混んでいると言われるほどになりました。
相模大野から先の発展はなかなかのもので、かつてはこの区間を2400形の4両急行が走っていたとは、想像しにくい状態となっています。
過去との比較をするにあたり、まずは現在の状況をおさらいしてみましょう。
以下は2022年度における1日の平均乗降人員で、相模大野から先の急行停車駅をピックアップしたものです。
相模大野:110,249人
海老名:123,222人
本厚木:114,922人
愛甲石田:40,799人
伊勢原:44,098人
鶴巻温泉:12,737人
東海大学前:32,462人
秦野:35,053人
渋沢:22,683人
新松田:19,352人
小田原:53,079人
開成は50年前に駅自体がないため省略しています。
海老名が相模大野や本厚木を超えているのが印象的で、小田急が力を入れて開発している結果が数字にも表れていました。
1972年度の駅別乗降人員
ここからは、50年前の小田急に目線を移していきたいと思います。2022年度の50年前は1972年度ですが、まだ多摩線は開通しておらず、既に引退した9000形が登場した頃でした。
当時から新宿寄りの区間は利用者が多く、新宿に至っては1日に49万人を超える利用がありましたが、都市部と郊外の差は今以上に大きく開いていました。
実際にどれぐらいの差があったのか、1972年度の乗降人員についても確認してみましょう。
以下は1972年度における1日の平均乗降人員で、括弧内は2022年度時点から見た場合の増減率です。
相模大野:77,677人(141.9%)
海老名:40,093人(307.3%)
本厚木:68,654人(167.4%)
愛甲石田:6,879人(593.1%)
伊勢原:26,927人(163.8%)
鶴巻温泉:9,362人(136.0%)
東海大学前:19,413人(167.2%)
秦野:27,113人(129.3%)
渋沢:16,520人(137.3%)
新松田:25,401人(76.2%)
小田原:62,547人(84.9%)
現在とは全く様相が異なるのが、結果からは分かります。
当時から海老名の利用者はそこそこ多いですが、相鉄との乗換駅であることを踏まえると、当然といえるかもしれません。
約3倍に増えている海老名にも驚きますが、それ以上の結果だったのが愛甲石田です。
6倍近く利用者が増加していますが、宅地化が進んだのが1980年代以降だったため、このような結果となったようです。
それ以外も1.5倍程度になっている駅が多いものの、新松田と小田原については減少しており、駅としての立ち位置が変化したことを実感する結果となりました。
おわりに
急行停車駅だけで見ても、1日あたりの利用者は20万人以上増加しています。全線に渡って10両の列車が走るようになったのも、利用者の増加具合を見れば必然だったといえそうですね。
コメント
コメント一覧 (5)
ワタシダ
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東海道新幹線の速達型列車(のぞみ・ひかり)の新横浜停車の影響かな。
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綾瀬市の早川工業団地、吉岡工業団地が出来たのとそれを結ぶ路線バスが結んでいるのもあると思います
(吉岡工業団地については長後駅西口からもアクセスしていますが……)
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