1969年に営業運転を開始し、4両と6両の編成が登場した小田急5000形。
小田急5000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
製造区分上は4次車に含まれており、3編成中の1本となります。
細かい仕様変更が行われた5000形の6両において、4次車は少々分かりにくい部分が変わっており、車内の床材を変更したことや、側ドアの脇に指挟みを防止する安全ゴムが設けられたといった違いになっています。
車体の仕様としては中期の姿となっており、Hゴムを多用しつつも、側面の表示装置は種別と行先を表示するタイプが採用されました。
1998年度にはリニューアルを行い、車体の修繕や車内の居住性改善が図られ、側ドアの窓はHゴムから押さえ金式に変更されたことで、外見のイメージが変化しています。
前照灯の改造やパンタグラフの削減は行われていないため、比較的登場時の姿を保ったまま、最後まで活躍することとなります。
優等列車を中心に活躍し、箱根登山線にも頻繁に乗り入れましたが、各駅停車でも運用されました。
リニューアルから引退までの期間は比較的長く、6両の中では適正な時期まで使われた編成といえそうです。
※左側が新宿方
デハ5207:4次車
デハ5307:4次車
デハ5407:4次車
デハ5507:4次車
クハ5557:4次車
デハ5207:東急車輛製造
デハ5307:東急車輛製造
デハ5407:東急車輛製造
デハ5507:東急車輛製造
クハ5507:東急車輛製造
デハ5207:1979年6月25日
デハ5307:1979年6月25日
デハ5407:1979年6月25日
デハ5507:1979年6月25日
クハ5557:1979年6月25日
デハ5207:1998年10月6日
デハ5307:1998年10月6日
デハ5407:1998年10月6日
デハ5507:1998年10月6日
クハ5557:1998年10月6日
デハ5207:2006年11月13日
デハ5307:2006年11月13日
デハ5407:2006年11月13日
デハ5507:2006年11月13日
クハ5557:2006年11月13日

小田急5000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
5257Fの概要
1979年度に登場した編成で、大型車ながら旧性能の非冷房車として残る1800形を置き換えました。製造区分上は4次車に含まれており、3編成中の1本となります。
細かい仕様変更が行われた5000形の6両において、4次車は少々分かりにくい部分が変わっており、車内の床材を変更したことや、側ドアの脇に指挟みを防止する安全ゴムが設けられたといった違いになっています。
車体の仕様としては中期の姿となっており、Hゴムを多用しつつも、側面の表示装置は種別と行先を表示するタイプが採用されました。
1998年度にはリニューアルを行い、車体の修繕や車内の居住性改善が図られ、側ドアの窓はHゴムから押さえ金式に変更されたことで、外見のイメージが変化しています。
前照灯の改造やパンタグラフの削減は行われていないため、比較的登場時の姿を保ったまま、最後まで活躍することとなります。
優等列車を中心に活躍し、箱根登山線にも頻繁に乗り入れましたが、各駅停車でも運用されました。
リニューアルから引退までの期間は比較的長く、6両の中では適正な時期まで使われた編成といえそうです。
編成表
クハ5257-デハ5207-デハ5307-デハ5407-デハ5507-クハ5557※左側が新宿方
製造区分
クハ5257:4次車デハ5207:4次車
デハ5307:4次車
デハ5407:4次車
デハ5507:4次車
クハ5557:4次車
製造所
クハ5257:東急車輛製造デハ5207:東急車輛製造
デハ5307:東急車輛製造
デハ5407:東急車輛製造
デハ5507:東急車輛製造
クハ5507:東急車輛製造
竣功日
クハ5257:1979年6月25日デハ5207:1979年6月25日
デハ5307:1979年6月25日
デハ5407:1979年6月25日
デハ5507:1979年6月25日
クハ5557:1979年6月25日
車体修理竣功日
クハ5257:1998年10月6日デハ5207:1998年10月6日
デハ5307:1998年10月6日
デハ5407:1998年10月6日
デハ5507:1998年10月6日
クハ5557:1998年10月6日
廃車日
クハ5257:2006年11月13日デハ5207:2006年11月13日
デハ5307:2006年11月13日
デハ5407:2006年11月13日
デハ5507:2006年11月13日
クハ5557:2006年11月13日
5257Fの写真


コメント
コメント一覧 (1)
ドアが金属支持で製造され戸袋窓もシンプルになった後期型は、かなり美しい側面でした。
初代5000系列で最後まで残ったのは4連で製造された田型窓の初期型という…ドアチャイムも設置されなかった編成でした。
ワタシダ
が
しました