複々線化によって数を増やし、東京都内を中心に高架駅がある小田急。
開業時から盛り土の高架駅はいくつかありましたが、高架橋を用いたものは全て戦後に造られました。

数としてはそこまで多くない小田急の高架駅は、1970年代から少しずつ増加を続けてきましたが、どのような順番で誕生したのでしょうか。
当時は開かずの踏切とは無縁の本数で運行されており、自動車も少なかったことから、線路が地上にあることはほとんど問題がないことでした。
時は流れ、高度経済成長期に都市へと人口が集中し、小田急沿線も急速に発展することとなりますが、利用者が多い駅を中心に地上のままでは都合が悪い状況となってきました。
そのような状況の中で、他路線との関係や複々線化に合わせて立体化が進められ、高架橋を用いた多数の高架駅が誕生することとなります。
徐々に増えてきた小田急の高架駅ですが、現在は何駅あるのでしょうか。
現在の小田急において、駅全体が高架橋によって造られているのは、以下の駅となります。
・代々木上原
・梅ヶ丘
・豪徳寺
・経堂
・千歳船橋
・祖師ヶ谷大蔵
・喜多見
・狛江
・和泉多摩川
・登戸
・厚木
・本厚木
・大和
・小田急永山
・小田急多摩センター
該当するのは15駅となっており、全70駅に対する割合は約21%という結果になりました。
高架駅の割合は、5駅に1駅ぐらいということになりそうです。
順番に並べるにあたっては、高架駅になったとするタイミングを定義するのが難しいところですが、高架化によるものについては、上下線が仮設も含めて高架に移った時点にしたいと思います。
今回の記事における高架駅は、高架橋を用いていることを前提にしているため、全て戦後に誕生したものとなります。
各駅が高架駅となった順番は以下のとおりで、上下線が高架となった年月を合わせて記載しました。
厚木:1971年8月
小田急永山:1974年6月
小田急多摩センター:1975年4月
本厚木:1976年1月
代々木上原:1976年7月
大和:1990年4月
喜多見:1995年3月
狛江:1995年3月
和泉多摩川:1995年3月
祖師ヶ谷大蔵:2000年4月
経堂:2000年6月
千歳船橋:2002年7月
梅ヶ丘:2002年12月
豪徳寺:2002年12月
登戸:2004年10月
意外にも小田急初の高架駅は厚木ということになるようで、相模川橋梁の架け替えに伴って誕生しました。
厚木に続くのは多摩線の開業によって誕生した2駅で、これらは開業時からという小田急では珍しいケースとなります。
1970年代は、本厚木と代々木上原の大規模な改良が続きますが、そこからはしばらくは高架駅の誕生が途切れます。
15年近くが経過して大和が高架駅となりますが、この時点では完全に仮設の状態であり、完成形態となるのは先のことでした。
その後は複々線化によって高架駅が次々に誕生しますが、狛江地区が同日に高架駅となったのに対して、それ以外の駅は高架化されたタイミングが異なっており、細かく切り替えが行われたことを感じさせます。
こうして多くの高架駅が誕生しましたが、複々線区間以外は6駅となっており、それほど多くない結果となっています。
最も新しい高架駅は登戸ですが、その後は20年近く新たな高架駅は誕生しておらず、現時点でも具体的な計画はない状況となっています。
開業時から盛り土の高架駅はいくつかありましたが、高架橋を用いたものは全て戦後に造られました。

数としてはそこまで多くない小田急の高架駅は、1970年代から少しずつ増加を続けてきましたが、どのような順番で誕生したのでしょうか。
小田急線内にある高架駅
1927年に開業した小田急は、河川に隣接する駅を中心に盛り土による高架駅を設けつつも、ほとんどの駅が地上に設けられました。当時は開かずの踏切とは無縁の本数で運行されており、自動車も少なかったことから、線路が地上にあることはほとんど問題がないことでした。
時は流れ、高度経済成長期に都市へと人口が集中し、小田急沿線も急速に発展することとなりますが、利用者が多い駅を中心に地上のままでは都合が悪い状況となってきました。
そのような状況の中で、他路線との関係や複々線化に合わせて立体化が進められ、高架橋を用いた多数の高架駅が誕生することとなります。
徐々に増えてきた小田急の高架駅ですが、現在は何駅あるのでしょうか。
現在の小田急において、駅全体が高架橋によって造られているのは、以下の駅となります。
・代々木上原
・梅ヶ丘
・豪徳寺
・経堂
・千歳船橋
・祖師ヶ谷大蔵
・喜多見
・狛江
・和泉多摩川
・登戸
・厚木
・本厚木
・大和
・小田急永山
・小田急多摩センター
該当するのは15駅となっており、全70駅に対する割合は約21%という結果になりました。
高架駅の割合は、5駅に1駅ぐらいということになりそうです。
高架駅が誕生した順番
全部で15ある小田急の高架駅ですが、誕生した順番はどうなっているのでしょうか。順番に並べるにあたっては、高架駅になったとするタイミングを定義するのが難しいところですが、高架化によるものについては、上下線が仮設も含めて高架に移った時点にしたいと思います。
今回の記事における高架駅は、高架橋を用いていることを前提にしているため、全て戦後に誕生したものとなります。
各駅が高架駅となった順番は以下のとおりで、上下線が高架となった年月を合わせて記載しました。
厚木:1971年8月
小田急永山:1974年6月
小田急多摩センター:1975年4月
本厚木:1976年1月
代々木上原:1976年7月
大和:1990年4月
喜多見:1995年3月
狛江:1995年3月
和泉多摩川:1995年3月
祖師ヶ谷大蔵:2000年4月
経堂:2000年6月
千歳船橋:2002年7月
梅ヶ丘:2002年12月
豪徳寺:2002年12月
登戸:2004年10月
意外にも小田急初の高架駅は厚木ということになるようで、相模川橋梁の架け替えに伴って誕生しました。
厚木に続くのは多摩線の開業によって誕生した2駅で、これらは開業時からという小田急では珍しいケースとなります。
1970年代は、本厚木と代々木上原の大規模な改良が続きますが、そこからはしばらくは高架駅の誕生が途切れます。
15年近くが経過して大和が高架駅となりますが、この時点では完全に仮設の状態であり、完成形態となるのは先のことでした。
その後は複々線化によって高架駅が次々に誕生しますが、狛江地区が同日に高架駅となったのに対して、それ以外の駅は高架化されたタイミングが異なっており、細かく切り替えが行われたことを感じさせます。
こうして多くの高架駅が誕生しましたが、複々線区間以外は6駅となっており、それほど多くない結果となっています。
おわりに
1970年代以降に誕生し、複々線化によって一気に増加した小田急の高架駅。最も新しい高架駅は登戸ですが、その後は20年近く新たな高架駅は誕生しておらず、現時点でも具体的な計画はない状況となっています。
コメント
コメント一覧 (13)
相鉄線(神中鉄道)が有ったためです。
過去の資料から、平面クロスの記述を見たことがないし、60年前に子供時代から高架だったので1990年に高架になったと言う事は無いと思います。
しかも、1990年は相鉄の地下化工事の時期なのでその誤解から記述の通りになったと思われます。
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いろいろ面白そうな古レールがありそうでしたが、何しろ高さがあるので、適当な調査方法が見つからず、調査しない結果に終わったのが残念です。
豪徳寺駅はホームへ上がる階段の一部と、下を走る道路をまたぐ部分のホーム下が、古レールで出来ていました。しかし線路は築堤、ホームは大半石積みの普通のホームでしたね。
豪徳寺駅の古レールは、それほど珍しいものは無かったように思います。地平ホーム時代の祖師ヶ谷大蔵駅には、なぜか小田急が開通するはるか前の1907年(明治40年)銘のレールがあり、謎の一つのままです。
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(但し京王の調布駅みたく地下化したにも関わらず、バスロータリーが南北に別れたままというのもありますが)
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喜多見・祖師ヶ谷〜梅ヶ丘駅構内のアーチ上の架線柱とか、魅力的ですよね♪
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