近郊区間の各駅停車用として1964年に登場し、2004年まで活躍した小田急の2600形。
最後まで残った1編成は、引退を記念して旧塗装に戻され、多くのファンに注目されることとなりました。

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旧塗装化された2670Fが注目されることが多い2600形ですが、6両の中には他にも注目される編成が存在しました。
更新されることなく最後まで活躍した、2652Fについて今回は振り返りたいと思います。

未更新のまま最後まで活躍した2652F

1000形の半数が未更新のまま廃車となり、3000形の更新へと移行した記憶が新しい小田急ですが、2600形にも最後まで未更新のまま使われ続けた編成がありました。
6両の第2編成となる2652Fがそれに該当しますが、1000形のケースとは少し異なり、更新された他の編成と同じく最後まで活躍を続け、結果的に37年以上を未更新で走り抜けています。

2652Fは1次車として1964年に登場し、2600形の中では最古参のグループに属しました。
最初の編成である2651Fは、8両固定編成化によって消滅していたため、晩年は2652Fが最も若い番号を持つ編成となり、未更新のままということもあって、注目を集めていたことを思い出します。

最後まで未更新ではあったものの、2652Fも冷房化時に軽く手は入れられており、装備品自体は他の編成とほぼ同様となっていました。
冷房化を最後に施工した編成だったため、側面の表示装置は種別と行先を表示し、車内ではラインデリアが使われる等、未更新ながら装備品の新しさにギャップがあり、そのような点も印象を強くしたのかもしれません。
座席下のヒーターが更新車とは異なる等、車内を中心に他の編成とは仕様が異なり、最後まで昔ながらの雰囲気が残っていました。

2652Fが未更新のまま残ってしまった謎

6両が22編成在籍した2600形の中で、なぜ2652Fは未更新のまま残ってしまったのでしょうか。
40年近くも使われたためか、晩年は車体の外板がボロボロの状態で、他の編成とは比較にならないぐらい補修の跡が目立ち、その状態からも未更新であることがよく分かりました。
当時の日本はバブル崩壊後の不景気で苦しんでおり、ボロボロの車両が走るのは小田急だけのことではありませんでしたが、2652Fはその中でもかなり痛みが目立つ存在だったように思います。

2600形の更新(車体修理)は1985年度に始まり、冷房化を早期に施工した後期の編成から進められました。
1989年度に2651Fまでが終わったところで、2652Fと2654Fが未更新のまま残っていましたが、なぜかこれらの2編成はそのまま更新されず、5000形の更新へと移行していくこととなります。

未更新のまま残った編成として、2652Fとは別に2654Fがあったことになりますが、この編成はどうなってしまったのかというと、1992年度に8両固定編成へと組み替えられ、その際に活用された3両だけが更新を行っています。
2652Fとは運命が分かれたことになりますが、なぜ2652Fは未更新のまま残ってしまったのでしょうか。

組み替えによって6本の8両固定編成が登場した2600形ですが、元々は全ての編成を8両化する予定だったといわれています。
編成の組み替えは1992年度に開始されますが、1990年度の時点で8両化の方針が見えており、その時点で2652Fと2654Fは組み替えに合わせて更新し、一部はそのまま廃車する計画だったものと思われます。
しかし、結果的に8両化が途中で中止となり、2652Fだけが未更新のまま宙に浮いた状態となってしまったものの、更新をするわけにもいかず、1編成だけを置き換えるのもタイミングが悪い中途半端な時期となってしまい、そのまま使われることになった可能性が高いのではないでしょうか。

おわりに

ボロボロになりながら最後まで活躍した2652Fは、3000形の3251Fと入れ替わりに廃車となりました。
計画変更に振り回されながらも、関係者の努力によって最後まで活躍できたのは、意外と幸運なことだったのかもしれませんね。