周辺に大学が点在し、急行以上の列車が停まらない駅としては比較的利用者が多い生田駅。
隣にある向ヶ丘遊園や読売ランド前とは異なり、川崎市内に開業時からある駅としては、唯一過去に橋上駅舎化が行われています。

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そんな生田駅ですが、いつ改良工事が行われ、どのような課題を解決したのでしょうか。

1983年に行われた生田駅の改良工事

生田駅が現在の姿となる改良工事は、1983年が始まって早々に着工されました。
当時の1日あたりの平均乗降人員は36,255人で、最盛期より1万人ほど少なかったことを踏まえると、まだまだ増えていくような時代だったことになります。
利用者が増えてきたことに加え、1982年にはバスターミナルも完成しており、改良工事を行うきっかけとなりました。

橋上駅舎化される前の生田は、上り線側の地上に駅舎が設けられており、上下線のホームは跨線橋で行き来する必要がありましたが、改良工事後は南北を結ぶ自由通路が設けられ、下り線側からのアクセスが向上することとなります。
幅員が6mの自由通路からは、330㎡の駅舎へと繋がり、売店や箱根そばといった店舗も設けられました。
ホームへと繋がる階段も増設されており、利用者増に対応する設備が、このタイミングで整えられたことになります。

改良により課題を解決した生田駅

手狭になったという理由以外に、生田駅にはもう一つの課題がありました。
それはバスターミナルができたことに関連しており、導線の面での課題が生じてしまったのです。

当時の駅舎が上り線側にあるのに対して、バスターミナルは下り線側に設けられました。
つまり、駅舎とバスターミナルは線路を挟んだ関係にあり、行き来するには踏切を渡る必要があったのです。
踏切に隣接する歩道橋は当時もありましたが、かなり不便な導線となっている状況で、踏切自体の交通量も多かったため、この課題を解決する手段として橋上駅舎化は最適だったことになります。

橋上駅舎の完成後は、バスターミナルがある下り線側から直接改札口に行けるようになり、不必要な行き来をする状況が解消されています。
こうして生田駅は小田急で23番目の橋上駅舎となり、利用しやすい駅へと生まれ変わりました。

おわりに

改良工事によって導線をよくし、課題の解決が図られた生田駅。
川崎市との協議が早々にまとまっていることを踏まえると、それだけ早めに解消が必要な状況だったということなのでしょうね。