新宿から小田原に至る小田原線を一気に開業し、当時の世間を驚かせた小田急。
創業者の利光鶴松氏には、このような豪快なエピソードが多くありますが、開業時の人員構成も特徴的なものとされました。

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慣例にとらわれずに進められた小田急の開業準備は、いったいどのようなものだったのでしょうか。

準備期間が短かった開業前の小田急

小田急の本線である小田原線は、1927年4月1日に全線が一気に開業しました。
工事に着工したのが1925年9月11日といわれていることから、約1年半でほぼ全ての工事を終えたということになります。

短期間で工事を進めたこともあり、開業までの準備期間も余裕があるものではありませんでした。
新宿から小田原までを一気に開業するということは、最初から要員も沢山必要になることを意味しますが、明日から電車を運転して下さいと言ってできることではなく、お金さえ払えば集まるという問題でもないのです。

運転士以外にも、どちらかといえば専門的な知識が必要な職業であり、開業にあたっては経験者を採用することが当時は一般的だったようです。
今以上に職人技に頼っていた時代でもあり、当然といえば当然のことだったのかもしれません。

未経験者ばかりを採用した開業時の小田急

経験者を採用するのが一般的だった中、小田急はどうだったのかというと、創業者の利光鶴松氏は全く真逆の方針で採用を進めることとします。
それは、経験者を採用せず、新人ばかりを採用するというもので、実際に経験者が一切いなかったのかは不明なものの、型破りな人員構成でのスタートを目指しました。

沿線地域からの採用に加え、利光鶴松氏の郷里である大分県でも募集し、採用された方々は集団で上京したそうです。
技術系には小田急の建設に携わった方々がそのまま採用され、開業に向けての要員が確保されていきました。
外部から派遣された方による指導や、他社に派遣して教育されるような対応が行われ、社内に技術が集められていくこととなります。

様々な困難を乗り越えて予定どおり開業した小田急でしたが、新人を基本とした構成や、突貫工事で間に合わせたためか、初日の運行は大混乱に陥り、散々なスタートとなりました。
しかし、このような人員構成は社内の団結へと繋がり、ストライキのない小田急といった未来に繋がっていったようです。

おわりに

創業者の利光鶴松氏は、様々な面で小田急の開業に力を入れており、強い思いをもって取り組んでいたことが分かります。
その結果は確実に今日の発展へと繋がり、小田急という会社の基礎を形成したといえるのではないでしょうか。