現代の鉄道車両では、側面に列車種別や行先を表示するための表示器が備えられています。
小田急においては、全ての営業用車両が装備している状態となっており、乗車前に確認しやすい環境が用意されています。
方向幕からLEDに変化してきた表示器ですが、小田急の通勤型車両ではいつから設けられるようになったのでしょうか。
何も側面にはなかった時代から、今に至るまでの変遷を振り返ってみたいと思います。
発車時間が迫っている時に、車両を見ればどんな列車か分かるようになっており、きちんと見れば乗り間違えることはないでしょう。
昔はどうだったのかといえば、前面にのみ種別や行先を掲出しているのが一般的で、古くはサボと呼ばれる鉄の板を使用していました。
サボは人の手によって交換されるため、側面に設けた場合にはそれも駅で交換しなければならず、前面だけに設置するのは当然だったのかもしれません。
小田急においても、前面にのみサボを掲げる状態が長く続き、やがてそれは方向幕へと発展しますが、側面でサボを使用していた時期もあります。
しかし、車体の幅が広くなるとサボを設置することはできず、側面に種別や行先の表示がないという状態は、2600形や4000形の時代まで続きました。
側面に表示がないということは、時刻表で確認しておいたり、駅員による放送をしっかり聞くといったことが重要になり、入線する車両の前面を見るというのも有効だったでしょう。
昔になるほど、車両の編成も短かったでしょうから、先頭車まで見に行くこともそう難しくはなかったのかもしれません。
この時に設けたのはランプ切り替え式と呼ばれる表示器で、急行と準急の場合において、裏側から電球で照らして表示するというものです。
ランプ切り替え式は長く続かず、9000形の増備途中で方向幕へと変わりますが、種別だけを大きく表示するもので、行先を表示できるようになるのはもう少し先のことでした。
側面にも種別と行先を表示するようになったのは、1978年に登場した5000形の5254Fからで、それ以降はこれが小田急の標準仕様となっていきます。
従来車についても、種別のみから行先も表示できるタイプに変更された編成や、新たに設置されるといったことが行われ、時代が平成に変わる頃には、ほとんどの車両が行先も表示できるようになっていました。
現在の主流であるLEDを採用したのは1000形のワイドドア車で、2000形以降の車両では標準装備となっていきます。
種別のみのタイプが消滅したのは、2004年に2600形が引退したタイミングで、それ以降は小田急に在籍する全ての車両が種別と行先を表示できる状態となりました。
スマートフォンを使えば列車の位置さえ分かるような時代ですが、色々なことが不便だった時代がたまに懐かしくなる、それは私だけでしょうか。
小田急においては、全ての営業用車両が装備している状態となっており、乗車前に確認しやすい環境が用意されています。
方向幕からLEDに変化してきた表示器ですが、小田急の通勤型車両ではいつから設けられるようになったのでしょうか。
何も側面にはなかった時代から、今に至るまでの変遷を振り返ってみたいと思います。
側面に表示器がないことが当たり前だった時代
車両の側面には種別や行先が表示されている、現代においてそれは当たり前のこととなっています。発車時間が迫っている時に、車両を見ればどんな列車か分かるようになっており、きちんと見れば乗り間違えることはないでしょう。
昔はどうだったのかといえば、前面にのみ種別や行先を掲出しているのが一般的で、古くはサボと呼ばれる鉄の板を使用していました。
サボは人の手によって交換されるため、側面に設けた場合にはそれも駅で交換しなければならず、前面だけに設置するのは当然だったのかもしれません。
小田急においても、前面にのみサボを掲げる状態が長く続き、やがてそれは方向幕へと発展しますが、側面でサボを使用していた時期もあります。
しかし、車体の幅が広くなるとサボを設置することはできず、側面に種別や行先の表示がないという状態は、2600形や4000形の時代まで続きました。
側面に表示がないということは、時刻表で確認しておいたり、駅員による放送をしっかり聞くといったことが重要になり、入線する車両の前面を見るというのも有効だったでしょう。
昔になるほど、車両の編成も短かったでしょうから、先頭車まで見に行くこともそう難しくはなかったのかもしれません。
種別と行先を表示する車両が当たり前になった時代
小田急で側面の表示器を最初に設けた車両は、1969年に登場した先代の5000形でした。この時に設けたのはランプ切り替え式と呼ばれる表示器で、急行と準急の場合において、裏側から電球で照らして表示するというものです。
ランプ切り替え式は長く続かず、9000形の増備途中で方向幕へと変わりますが、種別だけを大きく表示するもので、行先を表示できるようになるのはもう少し先のことでした。
側面にも種別と行先を表示するようになったのは、1978年に登場した5000形の5254Fからで、それ以降はこれが小田急の標準仕様となっていきます。
従来車についても、種別のみから行先も表示できるタイプに変更された編成や、新たに設置されるといったことが行われ、時代が平成に変わる頃には、ほとんどの車両が行先も表示できるようになっていました。
現在の主流であるLEDを採用したのは1000形のワイドドア車で、2000形以降の車両では標準装備となっていきます。
種別のみのタイプが消滅したのは、2004年に2600形が引退したタイミングで、それ以降は小田急に在籍する全ての車両が種別と行先を表示できる状態となりました。
おわりに
駅構内から車両まで、様々な案内が充実する状態となった現代。スマートフォンを使えば列車の位置さえ分かるような時代ですが、色々なことが不便だった時代がたまに懐かしくなる、それは私だけでしょうか。
コメント
コメント一覧 (29)
ワタシダ
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移動しているので、LEDの高速点滅の特性から流れてしまい読み取れないため?それとも省エネのため?
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ワタシダ
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またこの際に行き先駅名も正式表示に変更され、「各停片瀬江ノ島行き」に入った時も「各駅停車」と一瞬大きく表示されていました。
(各停江ノ島→各駅停車/片瀬江ノ島の交互表示)
種別・行き先表示器を側面に標準装備した後でも、「どうすれば一目で客に伝わるか」をあれこれ試行錯誤していたように思います。
ワタシダ
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ワタシダ
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種別表示だけの2600形は各停の下に「唐木田↔新百合ヶ丘」と表示した多摩線内うんよのみの
ワタシダ
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その2671Fの復活にあたり、暫定的に小田原側2両に2654Fからバラしたクハ、サハ(いずれも側面行先+種別付き)を組んだのですが、
制御線がないため、この2両は種別のみ表示していて、行先表示が黒幕のままだった記憶があります。
このレアな編成に乗車したのが思い出です。
ワタシダ
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これが原因で、ある編成の1両はもとの3色LEDに戻され、さらにもう1編成のうち1両は3色LEDどころか大昔のROM(各停表示など)に換装されるという、不可解なことが起きています。
ワタシダ
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今も昔も快速は無いし、何故入っていたか不思議です。
ワタシダ
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今も昔も快速は無いし、何の目的で入っていたか不明です。
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私が子供の頃の小田急の前面の行先表示幕、単に行先だけ書いてあるのは急行、上部が尖った五角形のような縁取りの中に行先が書いてあるのは各停、というように区別がありました。
五角形の表示、昭和48年頃まで使われていたかなぁ? 各停も急行と同じく行先だけの表示に集約されていき、徐々に見かけなくなりました。
ワタシダ
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移動等円滑化のために必要な旅客施設又は車両等の構造及び設備並びに旅客施設及び車両等を使用した役務の提供の方法に関する基準を定める省令
第三章 車両等の構造及び設備
第一節 鉄道車両
(車体)
第三十三条
2 車体の側面に、鉄道車両の行き先及び種別を見やすいように表示しなければならない。ただし、行き先又は種別が明らかな場合は、この限りでない。
ワタシダ
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電車だと7~12両、客車だと機関車+荷物車+郵便車+10両という具合で、乗車時に前は見ませんでした。
初期の401系には「仙台」という前面幕が入ってるのを目撃しましたが、使ったのでしょうか?
いつからか前面幕はほとんど使わなくなり、無地か「普通」固定でした。
ワタシダ
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