新宿寄りの区間でも10両編成の各駅停車が走るようになり、より一層長編成化が進んだ小田急。
かつてはロマンスカーで11両編成が見られましたが、編成長では20m級車体の10両編成が最長となっています。

過去から現在まで、10両が最長だった小田急ですが、試運転で12両の編成が運転されたことがあります。
今思えば驚くような取り組みでしたが、どのようなできごとだったのでしょうか。

多摩線を12両編成が走り回る珍事

ある日のお昼頃だったでしょうか、私は新百合ヶ丘駅のホームで衝撃的な光景を目にしました。
多摩線のホームから試運転の列車が発車していったのですが、単独でしか走るはずがない2000形が、他形式と併結した状態になっていたのです。

最初は1000形と勘違いしたのかもしれないと思いましたが、12両編成であることは間違いなく、4両と8両を繋いだ状態になっていることを認識しました。
新百合ヶ丘駅では、電車がホームからはみ出して停車しており、救援や牽引といった事象を除けば、小田急で最長の編成を組んだことになります。

試運転に使われた2000形の編成は、当時の最新編成である2053Fで、1999年5月から試運転が始まりました。
他の編成を繋ぐため、新宿方の先頭車であるクハ2053には電気連結器が設置され、スカートの下部を塞いでいる板については、支障するため取り外されています。

新宿方に電気連結器を設置していたため、小田原方に8両の2053Fが配置され、後ろに4両の編成が繋がるという組成になりましたが、クハ2053は編成の中間に入ってしまうため、その姿を見ることは難しい状態でした。
しかし、試運転の合間に営業運転へと復帰した時期があり、短期間ながら電気連結器を付けたまま走っていました。
その時のスカートには、塞ぎ板の跡がしっかり残っており、大変貴重な姿での走行となっています。

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試運転の走行シーンはこのようになっており、奥に見える2000形に対して、4000形の4両を繋いだ状態でした。
8両固定編成で登場し、他形式との併結運転は想定していなかった2000形ですが、予想外の展開を見せてくれることとなります。

12両編成で試運転を行うことになった理由

2000形を使ってまで、12両編成での試運転を行ったことには当然理由がありました。
後に3000形が登場し、試運転の結果が反映されることになりますが、将来的に採用することを検討していたブレーキ読み替え装置の試験であり、電気指令式ブレーキを搭載する2000形が選ばれたものです。

当時の小田急において、電気指令式ブレーキを搭載する通勤型車両は2000形のみで、それに電磁直通ブレーキの4両を繋ぎ、試験が行われました。
2000形にはブレーキ読み替え装置が搭載されており、4両編成が在籍する全ての形式を対象に試運転が行われることとなります。

ここで疑問となるのが、なぜ12両という厄介な組成としてまで、2000形を用いて試運転を行ったのかという点です。
当時は30000形(EXE)も在籍しており、そちらを活用すれば10両以内とすることも可能でした。

2000形が選ばれた理由は定かではありませんが、加速特性が通勤型車両とは異なることや、ワンハンドルマスコンを採用しているため、試運転には適さなかったのかもしれません。
新百合ヶ丘駅の配線も試運転に味方し、3番ホームの出発信号機がホームを出てから2両分ほど先にあるため、12両編成での試運転が可能な条件が整いました。
12両編成を停められるとはいっても、それなりに無理をした状態ではあったようで、OM-ATSの地上子にかかるかかからないかのような、ぎりぎりの状態だったそうです。

おわりに

もはや伝説となってしまい、現代では実現できないと思われる12両での試運転。
情報伝達手段も限られていた当時は、爆発的に知れ渡るようなこともなく、試験の結果は3000形の登場へと繋がっていくこととなります。