小田急の営業用車両としては、吊り掛けモーターを搭載する最後の形式となった4000形。
独特な走行音を奏でながら力走を続けましたが、1985年度から高性能車への改造が始まり、1988年度に全ての編成が出揃いました。
高性能化にあたっては、流用品と新品が組み合わされましたが、なぜ入り交じるような結果となったのでしょうか。
同時に冷房化も行われることとなり、小田急は冷房化率100%の達成に向けて歩みを進めることとなります。
4000形の高性能化にあたっては、当時まだ残っていた2400形のモーターが流用され、大型車への統一と冷房化が一気に進みました。
2400形には58両分のモーターがありましたが、4000形の改造には56両分が必要となるため、狙ったかのような数量が確保され、ほぼ全てが流用されたことになります。
車体については、一部の先頭車を中間車化することで、全車両が完全に流用されたほか、台車も元々履いていたTS-814とTS-818が流用されています。
電動台車に目立っていたディスクブレーキも流用されており、改造後も4000形らしさは残ることとなりました。
ヒューズ箱や避雷器も流用されていますが、台車も含めて不足分が生じており、それらについては別途新品が用意されています。
制御装置は一部を改造して流用され、電動空気圧縮機についてもC-2000Mが引き続き使われました。
旧性能車の時代にDH-25からC-2000Mへの換装を行い、後から登場した5両化用の中間車は当初からC-2000Mを搭載していたため、比較的新しいことも流用の大きな理由になったのでしょう。
代表的なものは冷房装置で、8000形と同じものが搭載され、2600形や5000形とは異なる外見が生まれました。
細かい部分を見ると、方向幕は側面を中心に新品を取り付けたほか、車内でも座席下のヒーター等が交換されています。
補助電源装置についてはSIVが新製されていますが、これは冷房化で大容量化が必要だったため、流用ではまかなうことができませんでした。
台車については、電動車が履いていたパイオニア台車を淘汰するため、多数の新品が用意されています。
電動車用にTS-826が56両分用意されたほか、付随車用のTS-814についても10両分が不足することから、その分は新製されたと思われます。
鉄道車両における究極のリサイクルだったようにも思いますが、効率が最重視される現代においては、なかなかこういった改造は行われないのでしょうね。
独特な走行音を奏でながら力走を続けましたが、1985年度から高性能車への改造が始まり、1988年度に全ての編成が出揃いました。
高性能化にあたっては、流用品と新品が組み合わされましたが、なぜ入り交じるような結果となったのでしょうか。
高性能化時に用いられた流用品
他形式との併結運転ができず、加速度や最高速度でもハンデを抱えていた4000形は、当時の運用において極力制限がなくなることを目指し、高性能化と編成の組み替えを行うこととなりました。同時に冷房化も行われることとなり、小田急は冷房化率100%の達成に向けて歩みを進めることとなります。
4000形の高性能化にあたっては、当時まだ残っていた2400形のモーターが流用され、大型車への統一と冷房化が一気に進みました。
2400形には58両分のモーターがありましたが、4000形の改造には56両分が必要となるため、狙ったかのような数量が確保され、ほぼ全てが流用されたことになります。
車体については、一部の先頭車を中間車化することで、全車両が完全に流用されたほか、台車も元々履いていたTS-814とTS-818が流用されています。
電動台車に目立っていたディスクブレーキも流用されており、改造後も4000形らしさは残ることとなりました。
ヒューズ箱や避雷器も流用されていますが、台車も含めて不足分が生じており、それらについては別途新品が用意されています。
制御装置は一部を改造して流用され、電動空気圧縮機についてもC-2000Mが引き続き使われました。
旧性能車の時代にDH-25からC-2000Mへの換装を行い、後から登場した5両化用の中間車は当初からC-2000Mを搭載していたため、比較的新しいことも流用の大きな理由になったのでしょう。
不足分を補った新品
流用品を使いつつ、上手くまとめられた4000形の改造ですが、一部の不足品には新品も使われています。代表的なものは冷房装置で、8000形と同じものが搭載され、2600形や5000形とは異なる外見が生まれました。
細かい部分を見ると、方向幕は側面を中心に新品を取り付けたほか、車内でも座席下のヒーター等が交換されています。
補助電源装置についてはSIVが新製されていますが、これは冷房化で大容量化が必要だったため、流用ではまかなうことができませんでした。
台車については、電動車が履いていたパイオニア台車を淘汰するため、多数の新品が用意されています。
電動車用にTS-826が56両分用意されたほか、付随車用のTS-814についても10両分が不足することから、その分は新製されたと思われます。
おわりに
使えるものを最大限活用しつつ、一部に新品を組み合わせてリフレッシュが図られた4000形。鉄道車両における究極のリサイクルだったようにも思いますが、効率が最重視される現代においては、なかなかこういった改造は行われないのでしょうね。
コメント
コメント一覧 (5)
丁度同じ頃に冷房化された103系も従来の天井に冷風ダクトを線路と平行に扇風機の両脇に設置した簡易冷房車に云った感じが否めませんでした。
高性能化4000形も室内は冷房装置が取り付けられただけで扇風機も非冷房時代の物をそのまま流用しており、冷房使用時で吹き出し口近くの扇風機は非稼働時は吹き出し口からの冷風でくるくる回っていました。
ワタシダ
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8000形の新造と2600形の車体修理が必要でしたし、そんな中で、部品新造もそこまで必要のなく高性能化もそこまで金のかからない4000形は、大型車が1両も廃車にできないあの頃にとっては這ってでも残したかったんでしょうね。
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とはいえ、こうした改造によって長生きした旧4000形も箱根登山線乗り入れ不可の運用面での制限は残り、引退時にさよなら運転が行われなかった(当時の小田急が複々線化に向けた対応で慌ただしかったことを考えるとそれどころやなかったのも納得できますが)もののある意味で幸運な車両やったのかもしれませんね。
ワタシダ
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